主日礼拝

恵みと平和があなたがたに

「恵みと平和があなたがたに」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:詩編 第138編1-8節
・ 新約聖書:テサロニケの信徒への手紙一 第1章1節
・ 讃美歌:206、396

今、テサロニケの信徒への手紙一を読む
 先月、ガラテヤの信徒への手紙をほぼ二年かけて読み終えました。本日からテサロニケの信徒への手紙一を読み始めます。皆さんとご一緒にテサロニケの信徒への手紙一を読みたいと思ったのは、この手紙が感謝と喜びに溢れているからです。それがどのような感謝であり喜びであるかは、これから読み進めていく中で見ていくことになりますが、手紙を読み始めるにあたり、5章16-18節の御言葉に共に聴きたいと思います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」パウロがテサロニケの人たちに語った勧めの言葉です。キリスト者の生き方を語っています。この生き方は、テサロニケの人たちへの勧めであるだけでなく、ほかならぬパウロ自身の生き方でした。この手紙のあちらこちらからそのことを窺い知ることができます。
 パウロがテサロニケの人たちに「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と勧めたのは、テサロニケの人たちを取り巻く環境が平和であったからでも彼らの教会が順調であったからでもありません。パウロ自身も、その伝道が順調であったから、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝することができたのではありません。テサロニケの人たちとその教会、またパウロ自身も厳しい苦難の中にあったのです。
 今、私たちも厳しい苦難の中にあります。一年前の今頃から新型コロナウイルスへの警戒が徐々に高まってきていました。それから一年間、私たちはこの未知のウイルスによって翻弄されています。私たちの教会は集まっての礼拝をしばらく休まなくてはなりませんでしたし、礼拝再開後も三回に分かれての礼拝が続いています。当たり前のように毎週の礼拝で会えていたのに、長い間お互いに会えていない、という方がいらっしゃいます。感染予防のために長く教会で礼拝を守れていない方がいらっしゃいます。主イエス・キリストがお定めくださった聖餐に与ることもできていません。礼拝は、説教と聖餐という二つの焦点を持つと言われます。今、私たちは、その一つを欠いたまま歩んでいるのです。飛行機で例えれば片翼飛行です。教会の営みと私たちの信仰生活は、とても不安定な状況の中にあります。もちろん危機は教会に限られたことではなく社会全体が危機の中にあります。先週から医療従事者のワクチン接種が始まりました。とても喜ばしいことであり、これからも接種が順調に広がっていくことを願います。三月の初めには非常事態宣言が解除され、自粛生活も終わりが近づいてくるのかもしれません。そのようにして社会は徐々にコロナ前に戻っていくのでしょうか。それほど遠くない将来に、教会も社会も元に戻るのであれば、なぜ、今、苦難の中にあって喜びと感謝を語るこの手紙を読み始めようとするのか、と思われる方もあるかもしれません。しかし私は、これからそれほど時間を必要とせずに教会や社会がおおよそ元に戻ったとしても、このコロナ禍と呼ばれる長期に渡った苦難が残した深い傷は、簡単に癒やされることはないと思うのです。新型コロナウイルスの感染そのものによる苦難は収束に向かったとしても、それが引き起こした多方面への影響によって深く傷ついた人々と社会、そして教会の苦難は、しばらく続くと思わずにはいられません。そうであるからこそ、今、テサロニケの信徒への手紙一を共に読み進めて行きたいと思うのです。この手紙を読み進めつつコロナ禍の中を、そしてコロナ後へと向かっていきたいと願います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」という御言葉に繰り返し立ち返りつつ、深い傷を抱えながらも私たちと私たちの教会は歩んでいきたいのです。1節の終わりの「恵みと平和が、あなたがたにあるように」という祝福と祈りの言葉は、恵みと平和が失われているように思える現実に直面している私たちにこそ向けられているのです。

最も古い手紙
 さて、改めてテサロニケの信徒への手紙一について見ていきます。この手紙はパウロが書いた手紙の中で最も古い手紙と考えられています。新約聖書に収められている27の諸文書の中で最も古いということです。新約聖書は書かれた年代順に並んでいるのではありません。先月読み終えたガラテヤの信徒への手紙は、テサロニケの信徒への手紙より前にありますが、書かれた年代としては後になります。いわゆる共観福音書やヨハネ福音書はさらに後代に書かれました。テサロニケの信徒への手紙一が書かれたのは紀元50年頃とされます。主イエス・キリストの十字架と復活、そして昇天から20年経つか経たないか、そのような時代です。ですから私たちはこの手紙から最も初期の教会の姿を知ることができるのです。使徒言行録のほうが誕生したばかりの教会を語っているのではないかと思われる方もいるでしょう。確かに使徒言行録ではペンテコステに聖霊が降り教会が誕生し、聖霊の働きによって使徒たちが福音を宣べ伝えていくありさまが描かれています。しかし使徒言行録が書かれたのはパウロの手紙より後のことであり、その時点から振り返って教会の誕生と使徒たちの伝道を語っているのです。テサロニケの信徒への手紙一は、キリストの十字架と復活、そして昇天から20年ほどしか経っていない時代に、使徒パウロによって書かれたものであり、私たちは最も初期の教会とそこに連なる人たちの姿をありありと見て取ることができるのです。
 その一方で最も初期の教会と2000年後の私たちの教会の間には大きな隔たりがあります。指路教会は今年創立147年を迎えますから、手紙が書かれた当時のテサロニケの教会よりもずっと長い歴史を持っていることになります。その違いはいくつもありますが、大切なことだけ申しておきたいと思います。一つは、テサロニケ教会の人たちは、私たちが手にしている新約聖書を持っていないということです。これは当然のことですが、しばしば私たちが忘れがちのことでもあります。新約聖書がまとめられるのはもっと後の時代であり、パウロにとって聖書とは旧約聖書のことでした。これから見ていくようにテサロニケ教会は異邦人中心の教会であり、彼らはそれほど旧約聖書に親しんでいたわけではなかったと思います。この手紙でパウロが旧約聖書を引用していないのはそのためではないでしょうか。もう一つは、テサロニケの教会には、まだ教会の制度が整っていませんでした。新約聖書の中でより後の時代に書かれたものを読むと、教会の制度が少しずつ整えられていったことが分かりますが、テサロニケの教会はそのような制度を持っていたとは言えません。もちろんそれは、テサロニケの教会のように制度がなくても良い、ということではありません。言うまでもなく制度は教会に欠かすことのできないものです。あえてテサロニケ教会と私たちの教会との違いを強調したのは、歴史を持ち制度が整い、あるいは教会が大きくなることで見えにくくなっていることが、つまり私たちに見えにくくなっていることが、この手紙に示されていると思うからです。最も初期の、整っていない、未熟な、不安定な教会に、私たちの信仰の核が、信仰の宝が確かにあるのです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」この手紙に埋もれている宝を、私たちは掘り起こしていきたいと思います。その宝は、私たちの教会がこの危機を乗り越えていく支えとなり力となるに違いないからです。

国際都市テサロニケ
 テサロニケは紀元前300年頃に建てられた町で、新約聖書の時代には、ローマ帝国マケドニア州の州都でした。現在は、ギリシャ共和国において首都アテネに次ぐ第二の都市で北部ギリシャを代表する大都市です。ローマと東方を結ぶ街道沿いの港町で交通の要所であり、通商がとても盛んでした。人口が多いだけでなく、人々の往来も頻繁で、様々な民族の人たちがいました。テサロニケは当時の国際都市であったのです。そこでは様々な神々が崇拝されていて、その神々の祭りも行われていたようです。パウロたちにも当てはまりますが、大都市テサロニケには多くの旅行者や、様々な宗教や教えを巡回して伝える人たちがやって来ていました。

手紙執筆の経緯
 パウロたちがテサロニケ教会を建てた経緯については、使徒言行録にその報告があります。パウロは、いわゆる第二伝道旅行で、小アジア、現在のトルコからエーゲ海を渡りマケドニア州へと足を踏み入れました。ついに福音が海を渡りヨーロッパへと伝えられたのです。第二伝道旅行は、福音が世界に広がっていく大きな一歩であったと言えます。この伝道旅行においてパウロには同行者がいました。使徒言行録やパウロの手紙を読んでいると分かることですが、パウロは一人で孤立して伝道をしたのではありません。福音を宣べ伝え、教会を建てていくための協力者、仲間がいました。本日の箇所の冒頭に「パウロ、シルワノ、テモテから」とありますが、第二伝道旅行に同行したのがシルワノとテモテです。シルワノは使徒言行録のシラスと同一人物と考えられていて、パウロがシラスと共に第二伝道旅行に出発したことが、使徒言行録17章に記されています。また途中から、ユダヤ人キリスト者の母とギリシア人の父を持つテモテが同行することになります。そしてパウロとシラスとテモテは小アジアの西の端トロアスまでやって来たのです。そこから船でエーゲ海を渡りマケドニア州に上陸して最初に訪れたのはフィリピでした。彼らはそこで主イエス・キリストによる救いを宣べ伝え、その救いを信じ洗礼を受ける人たちが与えられフィリピ教会の基礎ができたのです。しかしフィリピでの伝道には苦難もありました。パウロとシラスは捕らえられ牢に入れられたのです。パウロたちの伝道によって福音を受け入れる人たちが起こされる一方で、その福音を拒み、受け入れようとしない人たちがいました。パウロたちは釈放されることになりますが、結局フィリピから出て行くことになります。彼らが次に向かったのがテサロニケでした。フィリピからテサロニケにやって来たときのことについて、パウロはテサロニケの信徒への手紙一2章2節でこのように語っています。「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。」彼らは投獄による苦しみと屈辱を、またフィリピから半ば追い出されることによる苦しみと屈辱を味わったのです。使徒言行録17章によれば、テサロニケに着いたパウロはユダヤ人の会堂で三回の安息日にわたって、旧約聖書に預言されているメシアこそイエスであり、主イエスの十字架と復活によって救いが実現したことを宣べ伝えました。それを聞いた多くの人たちが信じ、テサロニケの教会が建てられたのです。ところがユダヤ人たちはこのことをねたみ、ならず者に暴動を起こさせました。そのためにパウロたちは、夜のうちにテサロニケから逃げ出しベレアへと向かうことになります。彼らはベレアでも福音を宣べ伝えましたが、そこにもテサロニケからユダヤ人たちがやって来て民衆を扇動して暴動を起こしたために、ベレアを離れアテネに行くことになったのです。パウロたちがテサロニケにどれぐらい滞在したのか正確には分かりませんが、長くても数ヶ月であったでしょう。パウロたちは不本意にも誕生してから数ヶ月しか経っていない教会と、そこに連なる人たちから離れなくてはならなかったのです。フィリピでもテサロニケでも教会を取り巻く環境はとても厳しいものであり、いつ迫害されてもおかしくありませんでした。すでにお話ししたように新約聖書はまだありません。そのような中で、復活したキリストに出会い、キリストによって使徒とされたパウロこそ、テサロニケの人たちにとって信仰の支えであったに違いありません。テサロニケ教会の人たちは、予期せぬ事態によって指導者を失うことになり、苦難の中で、未熟で不安定な誕生したばかりの教会を自分たちで形作っていかなくてはならなくなったのです。彼らの不安や恐れはとても大きいものであったに違いありません。パウロも不本意にも離れなければならなかったテサロニケ教会のことが気がかりであり心配でした。そこでパウロはアテネからテサロニケへテモテを派遣したのです。この手紙の3章1節以下に「そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした」とあります。苦難の中にあるテサロニケの人たちの信仰の様子を知るために、そして彼らを励まし、信仰を強め、動揺しないようにするためにテモテを遣わしたのです。「もはや我慢できず」という言葉に、パウロの居ても立っても居られない気持ちがよく表れていると思います。使徒言行録によれば、パウロはアテネを去ってからコリントに滞在していたましたが、そのときにシラスとテモテがマケドニア州から戻って来たとあります。おそらくこれがテサロニケからテモテが帰還したことを報告していると思われます。テモテの帰還がアテネではなくコリントであった理由は、パウロのアテネ滞在が短かったからです。彼はアテネのアレオパゴスで説教を語りましたが、アテネの人たちは死者の復活についてあざ笑い、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」などと言い、福音を受け入れなかったのです。パウロは、教会を建てることなくアテネを立ち去りコリントへ向かうことになります。そのためにテモテはテサロニケからアテネではなくコリントにいるパウロのところへ戻ってきたのです。戻ってきたテモテは、テサロニケ教会の現状をパウロに報告しました。そのことが3章6節以下にありますが、テモテが伝えたのは「うれしい知らせ」でした。テサロニケの人たちは、突然指導者を失ったにもかかわらず、「主にしっかりと結ばれて」、パウロが伝えた福音に堅く留まっていたのです。この「うれしい知らせ」を聞き、喜びと感謝に溢れてパウロは、このテサロニケの信徒への手紙一を書いたのです。

テサロニケの教会へ
 1節には手紙の宛先として「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」とあります。「教会」と訳された言葉は、「召し出された者たちの集まり」という意味です。神様によって召し集められた者たちの群れが教会なのです。私たちは自分の意志によって教会に来て、自分の決断によって信仰を告白し洗礼を受け、教会の一員になったと思いがちです。もちろん私たちの意志や決断は大切なことですが、それよりも前に、神様の召し、神様の招きがあるのです。それぞれに洗礼に至った経緯は違います。しかし神様の召しによって救いに与り神の民とされ、召し集められた者たちの群れの一員とされたのです。教会は、神様の召し集めによってのみ建てられます。志を同じくする人たちが集まって教会を作るのではありません。今、この礼拝には洗礼を受けておられない方もいらっしゃいますし、初めて教会に来た方、あるいはまだ数えるほどしか教会に来たことがない方もいらっしゃると思います。お一人お一人がどのようなきっかけでこの礼拝に参加されているかは分かりません。しかしすでに教会に連なっている私たちは、お一人お一人が神様に招かれたからこそ、この教会に足を運び、今、礼拝をご一緒に守っている、と確信しているのです。
 「召し集められた者たちの群れ」が教会ですから、今、新型コロナウイルスによって、集まることが妨げられていることは教会の根本に関わる危機です。この手紙を読むとき、パウロが、テサロニケに一度ならず行こうとしたこと、テサロニケの人たちに会いたいと願っていたことが分かります。単に会いたいというだけでなく、共に集い共に礼拝を献げたいと願っていたに違いありません。しかしなんらかの妨げがありパウロはテサロニケを訪れることはできませんでした。この手紙は、共に集いたいと願いつつもそれが叶わない現実の中で、パウロがテサロニケの人たちに書いた手紙なのです。今、私たちの教会では、三回に分かれているために共に礼拝に集えない方がいらっしゃいます。感染予防を始めとする様々な理由のために、教会に来たくても来られない方がいらっしゃいます。そのような中で私たちは、パウロが会いたくても会えないテサロニケの人たちに語りかけている言葉を、それぞれに離れた場所にあっても、原稿によって、あるいは音声によって共に聴いていきたいのです。この手紙を読み進める中で、パウロの思いが、私たちの思いと重なることがあるのではないかと思うのです。
 手紙の宛先は、単に「テサロニケの教会」ではなく「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会」です。パウロがテサロニケの教会を建て、その指導者であったことはすでにお話ししました。しかしテサロニケの教会は、パウロに結ばれているのではありません。「父である神と主イエス・キリストとに結ばれている」のです。教会は、神様によって召し集められ、主イエス・キリストの十字架と復活による救いに与り、キリストに結ばれ神の子とされ、神様を父と呼ぶ交わりに生きる者たちの群れなのです。

恵みと平和があなたがたに
 1節の終わりでパウロは「恵みと平和が、あなたがたにあるように」と祈りと祝福の言葉を記しています。「恵みが私たちにある」とはどういうことでしょうか。善い行いや努力や頑張りによって、あるいはなにか条件を満たすことによって恵みが私たちのものになるのでしょうか。そうではありません。神様が一方的に、無条件に恵みを賜物として私たちに与えてくださったのです。私たちは救いに与るのにまったくふさわしくない罪人です。それにもかかわらず、神様は一方的な恵みによってキリストの十字架と復活による罪の救いを私たちに与えてくださいました。そのことによって「恵みが私たちにある」のです。私たちはその恵みをただ信仰によって受け取るのです。
 私たちが救いの恵みに与り生きるところに平和があります。私たちが対立を回避して妥協点を模索することによって、平和がもたらされるのではありません。主イエス・キリストと共に生きることにこそ平和があるのです。そのことによって神様と私たちとの間に平和が、また隣人と私たちとの間に平和があるのです。神様の救いの恵みによって生かされているからこそ、私たちは神様を愛し隣人を愛する者とされます。そこに私たちの知恵や思惑では築くことができない平和があるのです。私たちは困難な現実に直面して、焦りうろたえ動揺します。喜びではなく苦しみで、祈りや感謝ではなく怒りや不平不満で私たち自身は占められています。けれども恵みと平和の源は「父である神と主イエス・キリスト」にのみあるのです。教会は恵みと平和の源である「父である神と主イエス・キリスト」に結ばれています。その恵みと平和がすでに与えられている私たち一人ひとりに御言葉が響き渡ります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

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