主日礼拝

横浜にある神の教会

「横浜にある神の教会」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書; 詩編 第34編1-23節
・ 新約聖書; コリントの信徒への手紙一 第1章1-3節
・ 讃美歌 ; 325、127、392

 
信仰の応用編

 本日から、コリントの信徒への手紙一を、礼拝において連続して読んでいきたいと思います。初代の教会の最大の伝道者パウロが、自らの伝道によって生まれたコリントの教会に宛てて書き送った手紙です。パウロの伝道によってこの教会の礎は据えられましたが、彼が去った後、いろいろな問題が生じてきました。パウロはそれを伝え聞いて心配し、また教会から寄せられたいくつかの具体的問題についての問い合わせに答えて、この手紙を書きました。ですからここには、教会に起っているいろいろな問題をどのように考え、どう解決していったらよいのか、というかなり具体的なことが語られています。つまりこの手紙は、信仰の一般論ではなくて、教会における様々な具体的問題に関わる、信仰の応用編、実践編を語っているのです。しかしただ実践的なマニュアルのようなことを語っているのではなくて、具体的問題を述べることの中で、信仰の中心的な事柄が浮き彫りにされています。それゆえにこの手紙を読むに当って、コリント教会で起っている具体的問題の背景となる事柄を知っておくのは有益なことです。つまりコリントとはどのような町であり、パウロがどのようにそこで伝道をしてこの教会が生まれたのか、そしてパウロが去った後この教会に何が起ったのか、ということです。それらのことを語っているのは、私たちがこの四月のはじめに読み終えた使徒言行録です。使徒言行録を振り返りながら、パウロとコリント教会の関わりについて先ず確認しておきたいと思います。

コリントの町

 使徒言行録は、パウロが三回にわたって大伝道旅行をしたことを語っていますが、その第二回に伝道旅行においてパウロは、小アジア、今日のトルコから、エーゲ海を渡ってギリシャに足を踏み入れました。聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3」を見ていただきたいと思います。パウロはギリシャの北部、フィリピとかテサロニケとかべレアで伝道した後、南の方、アカイア地方に行きました。そしてアテネとその西のコリントで伝道したのです。ギリシャは、地中海に突き出した半島、ペロポネソス半島にありますが、この半島はコリントのあたりでぐっとくびれていて、東からも西からも海が湾になって迫っています。ちょっと見るとこの海はつながっていて南にあるのは島のように思えてしまいますが、そうではありません。ここは「コリント地峡」と呼ばれており、半島が極端に狭くなっている所なのです。今ではそこに運河が掘られて、船が行き来できるようになっていますが、当時は、船全体を陸揚げして陸の上を6キロほど運んでいた、船を運ぶための道があったそうです。このことからも分かるように、コリントは地中海世界の東西の物流の拠点であり、貿易、商業の盛んな町でした。アテネが学問や芸術の町であったのに対してコリントは経済都市であり、アカイア州の州都でした。当時の人口が六十万を超していたともいわれます。そのような経済の中心地であり、豊かな都市であった反面、その豊かさがもたらす文明の爛熟、頽廃が著しい町でもありました。コリントには女神アフロディテの神殿がありました。アフロディテはローマ式にいえばヴィーナス、愛の女神、美の女神です。そこにはこの神殿の巡礼者を相手とする神殿娼婦が千人いたと言われます。今日風に言えば、観光客相手の売春宿が立ち並ぶ町でもあったのです。そのようなことから、「コリント風」というのは当時のギリシャにおいて性的な乱れを意味する言葉であり、「コリント男」とは「売春宿に通う男」のこと、「コリント娘」とは「売春婦」のことだったと言われています。コリントはこのように、経済的繁栄と倫理的堕落の同居する、つまりは今日の私たちの社会と、あるいはこの横浜の町と似通った所だったのです。さらに横浜と共通するであろうことは、ここは東西の文明が流れ込む文明都市であり、相当に教養の高い、当時の最も進歩的な思想を持った人々が集まる所だった、ということです。そういうことも、コリント教会の問題の背景にあることが伺えます。

コリント伝道

 パウロは第二回伝道旅行の途中この町に1年半滞在して伝道をし、コリント教会が誕生しました。その様子は使徒言行録の18章に記されています。彼はここで、アキラとプリスキラという、クリスチャンである夫婦と出会い、彼らと協力して伝道をし、最初はユダヤ人の会堂で、そこを追い出されてからは会堂の隣りのティティオ・ユストという人の家で伝道を続けました。その結果、ユダヤ人の会堂の責任者であったクリスポという人が、一家をあげて主を信じるようになりました。このようにコリント教会は順調に発展していったようです。パウロがこの町を去った後しばらくして、アポロという人がこの町に来て教会を指導しました。そのことは18章の終わりのところに語られています。アポロはエフェソからコリントに来て力強く伝道をし、教会を指導したのです。ところがその頃からだんだん、この教会にはいろいろな問題、トラブルが起ってきました。詳しいことはこれから読み進めていく中で見ていきたいと思いますが、一つの大きな問題は、教会の中に党派ができ、内輪もめが起ったということです。パウロはそのことを大変心配し、他の所で伝道している時にもいつもコリント教会の様子を気にかけていました。そのような中でこの手紙が書かれたのです。つまりこの手紙は、最初にも申しましたように、様々な問題、トラブルをかかえている、弱い、罪深い人間の集団であることを露呈してしまっている教会に対して書き送られたものなのです。

手紙の書き出し

 さて以上のことを予備知識として踏まえた上で、本日の箇所、この手紙の書き出しのところを見ていきたいと思います。本日は第1章の1~3節を読みますが、ここは1節ずつ三つに区切ることができます。1節は手紙の差出人を、2節は宛先を、3節は挨拶を語っているのです。このような、差出人、宛先、挨拶という書き出しは、当時の手紙の普通の形だったようで、パウロの他の手紙の書き出しも大体そのようになっています。けれども、差出人、宛先、挨拶を記すだけなら、「パウロから、コリントの人々へ、恵みと平和があるように」と言うだけでよかったのです。パウロはそこにいろいろなことを書き加えています。書き加えられている言葉に、パウロがこの手紙に込めた思いが示されているのです。

神に召されたパウロ

 まず1節、差出人を語る所です。「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」と訳はなっていますが、原文の言葉の順序は、「パウロ、召されてキリスト・イエスの使徒となった、神の御心によって」です。先ず自分の名前を書き、次にその自分とは何者であるかを語っています。そこで彼が真っ先に語ったのは、「召された」ということです。自分は召された者である、それがパウロの自己理解の中心です。召されたとは、呼ばれたという言葉です。名前を呼ばれて呼び出されたのです。ある使命を与えられるためにです。その使命が「キリスト・イエスの使徒」です。「使徒」とは、「遣わされた者」という意味であり、キリスト・イエスによって遣わされ、福音を宣べ伝え、教会の信仰の指導者となる人です。その使命へと彼が召されたのは「神の御心によって」です。この1節でパウロは、私は、自分の思いによってではなく、神の御心によってキリスト・イエスの使徒としての使命に召されたのだ、ということを強調しています。彼はもともとはユダヤ教ファリサイ派のエリートであり、十字架につけられたイエスをキリスト、つまり救い主と信じるような教えは神を冒涜するものとして憎み、教会を迫害していたのです。その彼が、迫害の手をさらに広げるためにダマスコへ向かう途上で、復活された主イエス・キリストと出会ったのです。主イエスは彼を、全世界に私の名を宣べ伝える器として立てる、と宣言されました。この主イエスとの出会いによって彼は180度の方向転換をし、迫害する者からキリスト信者へ、さらに伝道者へと変えられたのです。この回心、方向転換は、彼が長年真理を追い求めてきた結果ではありません。教会の教えとはどのようなものか、と興味を持って行ってみた結果信仰が与えられた、ということでもありません。彼が信者となり、伝道者となったのは、彼自身の思いでは全くなく、神様の驚くべき御業によること、つまり一般的に言えば奇跡であり、彼自身の思いにおいてはそれは「神に召された」としか言いようのないことなのです。そのように、神の御心によって召されて使徒となったパウロがこの手紙を書き送る、ということを、彼はこの手紙の冒頭で力を込めて語っているのです。

コリントにある神の教会

 このパウロの自己理解は、2節の宛先を語る部分へとつながっていきます。2節は基本的には「コリントの教会の人々へ」ということなのですが、そこにもいろいろなことがつけ加えられており、そこにパウロの深い思いが込められています。ここも原文の語順を生かして訳すならば、「コリントにある神の教会、キリスト・イエスによって聖なる者とされ、召されて聖なる者とされた」となります。「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に」という、翻訳では頭に置かれている文章は2節の最後にあるのです。ここでパウロは、1節における自己理解と重なるような仕方で、コリントの教会とはどのようなものであるか、を語っています。つまり2節にはパウロの教会理解が語られているのです。「コリントにある神の教会」という書き方は他の手紙には見られない、この手紙に独特なものです。「神の」という言葉に込められているのは、教会は神のものであり、神によって召し集められたものだ、ということです。教会は、人間が自分の思いで寄り集まって造っているものではないのです。神様が、人々を召し集めてご自分のものである群れをお立てになったのです。そのことが次の「キリスト・イエスによって聖なる者とされ、召されて聖なる者とされた」という言葉においても言い表されています。教会は「聖なる者とされた」人々の群れです。「聖なる」とは、聖書においては、清く正しく汚れがないという意味ではありません。「神様のものとして選び分たれた」ということです。教会は、そこに集っている人々が清く正しい人々だからではなく、神によって召し集められた神のものであるがゆえに、聖なるものなのです。そしてこの神による召し集めは「キリスト・イエスによって」なされています。もともと聖なる者などではない、むしろ汚れに満ちた罪人である私たちをご自分のものとして下さるために、神様は独り子イエス・キリストを遣わして、その十字架の死と復活によって私たちの罪を赦し、新しい命を与えて下さいました。そこに神様の召しがあります。私たちは、このイエス・キリストによる罪の赦しの恵みを信じて洗礼を受け、キリストの体である教会に加えられるのです。つまり私たちの信仰は、主イエス・キリストによって示された神様の召しに応えることです。パウロはこの2節で、あなたがたは、コリントにおいて、キリスト・イエスによる神の召しを受け、それに応えて洗礼を受け、神の教会に加えられ、神のもの、聖なる者とされた群れなのだ、ということを強調しているのです。

教会とは

 このことは「教会」という言葉そのものの意味からも言えることです。「教会」の原語は「エクレーシア」ですが、それは先ほどからの「召された」という言葉から生まれたものです。意味としては、「召し集められた群れ」となります。その言葉を日本語にするときに「教会」と訳したのは果して良かったのか、疑問です。「教会」と言うとどうしても、「教える会」という意味になります。何かを教えてもらうために行く所、というイメージがつきまといます。ですから、塾やカルチャーセンターと同列に考えられてしまったりするのです。世間の人々がそう思うだけでなく、教会に集っている信仰者自身が、そのような意識で教会に通っている、つまり、何かのサークルの会員であるのと同じような気持ちでいる、ということが起るのです。サークルなら、自分が入りたいと思ったら入ればよいし、やめようと思ったらやめればよいのです。しかし教会は本来そういうものではなくて、神様に召し集められた群れです。「神様のことを学びたい、知りたい」と思った人間が集まって教会を造っているのではなくて、神様が、独り子イエス・キリストによる救いにあずからせようという御心によって私たちを召し集め、ご自分のものである教会を作って下さったのです。日本基督教団信仰告白に、「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」とあるのはそのことです。私たちが教会に連なっているのは、神様が私たちを召し集めて下さっているからなのです。2節にはその、教会の本質が語られているのです。

トラブル解決のための土台

 このようにパウロはこの手紙の冒頭の1、2節で、この手紙は、神に召され、神のものとされた私パウロから、同じように神に召され、神のものとされたコリント教会への手紙なのだ、ということを、渾身の力を込めて語っています。彼がこんなにも力を込めてそのことを語るのは、これから語っていく全てのことの土台をそこに置くためです。先ほど申しましたように、コリント教会には、様々な問題が起っており、人間の罪が露になっている現実があったのです。パウロはそのためにこの手紙を書き、教会の人々を、ある点では叱り、悔い改めを求めようとしているのです。そのような手紙が本当に意味を持ち、目的を達成するためには、コリント教会の人々が、このことをしっかりと知っている必要があるのです。自分たちは神によって召し集められた神の教会であり、それゆえに聖なる者とされているのだ、という自覚を、教会に連なる一人一人がしっかり持つことから、教会における様々なトラブルの解決への道が開けていくのです。罪を指摘し、悔い改めを求める手紙が効果を発揮していくのです。逆に言えば、教会の人々の中に、神に召されて神のエクレーシア、召し集められた群れの一員とされているという自覚と、その恵みを受け止めて生きようとする思いのない所では、どんなによい指導や助言がなされても、あるいは厳しい叱責がなされても、何の効果もないのです。

聖なる公同の教会

 パウロがここでもう一つコリントの人々に意識させようとしていることは、神様に召し集められた者たちの群れが、コリントだけにあるのではなくて、他のあちこちにもあるのだ、ということです。そのことが「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に」という言葉に言い表されています。コリントにある神の教会は、コリントにあって主イエス・キリストのみ名を呼び求めている群れです。主のみ名を呼び求めている群れは、他の至るところにもあり、彼らはその中の一つなのです。これは、私たちが毎週の礼拝で告白している使徒信条に、「聖なる公同の教会(を信ずる)」とある、そのことです。「公同の」というのは、一つには、「至るところにある」ということです。この町にもあの町にも、この国にもあの国にも、全世界に広がっている、それらが一つの教会であることを信じるのです。パウロはコリント教会の人々の目をそこに向けさせようとしています。それは、自分たちの群れが自分たちだけで存在しているのではない、ということを覚えさせるためです。それは裏を返せば、コリント教会には、自分たちだけで完結してしまい、他の群れのことを思わないという傾向があったということです。この教会とそこに集う人々には、恵まれた豊かな賜物が与えられていました。そのような豊かさの中で、他の群れのことを思わないという傾向が生じているのです。それは、余所から援助してもらう必要がない、ということではありません。むしろ、自分たちは自分たちだけでちゃんとやっているんだ、という思いです。そういう思いはしかし既に、人間の誇り、高ぶり、傲慢の罪に犯されています。そのような誇りは、「それに比べて余所の群れはだらしがない、ちゃんとやっていない」という批判と表裏一体です。しかしそれは、神様が恵みによってこの群れを召し集めて下さったことを忘れた物言いであり、あたかも自分たちが自分たちの力で教会を「ちゃんとやっている」かのような高ぶりがそこにあるのです。教会が、自分たちの群れだけで完結してしまい、他の群れのことを思わなくなるところには必ずこのような驕り高ぶりがあります。そして、これからだんだんに見ていきますけれども、コリント教会に起っている様々な問題の根本には、この高ぶり、誇りがあったのです。それは豊かな賜物を与えられている群れであればある程陥りやすい問題です。つまり私たちの教会もよくよく気をつけていなければならないことです。そのような誇り、高ぶりに陥らないためには、他の群れ、他の教会のことを覚えることが必要なのです。それは、より力のある群れは自分たちよりも弱く小さい他の群れにいろいろな援助をする義務がある、というだけのことではありません。勿論そういうことも大切ですが、もっと根本的には、共に主イエス・キリストを信じ、そのみ名を呼び求めている人々の群れの全体を、神様によって召し集められた神の教会として意識する、ということです。神様に召されて聖なる者とされた人々は自分たちだけではない、ということを知ることです。言い換えれば、2節の終わりにあるように、「イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります」ということをちゃんと意識し、その同じ主イエス・キリストの下に、様々な違いのある、それぞれに良い点と課題とを持っている群れが、至る所に、また歴史を貫いて存在しており、その中で自分たちはコリントで、神様に召し集められ、神の教会として生かされている、ということをしっかり知ることです。それが、「聖なる公同の教会を信じる」ということなのです。「コリントにある神の教会」とは、今この時代のコリントという町に、具体的な一つの群れとして存在している自分たちの教会が、全世界に、また歴史を貫いて存在するただ一つの神の教会、すなわち聖なる公同の教会に連なっている、ということなのです。

横浜にある神の教会

 私たちのこの横浜指路教会も、今のこの時代の、日本の、横浜において、神様に召し集められ、神様のもの、聖なる者たちの群れとして歩んでいます。その私たちは、聖なる公同の教会に連なる群れなのです。それゆえに私たちは「コリントにある神の教会」と並ぶ、「横浜にある神の教会」なのです。そのことをしっかりと受け止めるなら、私たちは、この自分たちの群れのことだけを考えていることはできません。至るところで主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人々の群れのことを常に思い、それらの群れと共に歩むことを大切にしていくのです。他の群れと祈りを合わせつつ支え、また支えられ、他の群れに与えられている恵みを喜び、学ぶべきことを学び、自分たちの歩みを常に振り返って点検し、主のみ心に従って自らを改革していく謙遜さを養われていくのです。

恵みと平和

 神様に召し集められた群れである諸教会を結び合わせているのは、「主イエス・キリストの名を呼び求める」ことです。私たちのために十字架の苦しみと死を引き受け、死をもって罪を赦して下さり、復活して新しい命、永遠の命の先駆けとなって下さった主イエス・キリストをこそ救い主と信じ、そのみ名を呼び求めること。様々な違いを持った諸教会が、聖なる公同の教会に共に連なっている、その一致の絆はこれです。教会と名乗っている群れがあればそれが全て聖なる公同の教会の仲間なのではありません。イエス・キリストは主である、という信仰の告白に立ち、他の名ではなく、主イエス・キリストのみ名をこそ呼び求めていくところに、神の教会に共に連なる諸教会の交わりが生まれるのです。そしてそこにこそ、パウロが3節で祈っている主イエスの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が与えられます。本日共に読まれた旧約聖書の箇所、詩編第34編は、どのようなときにも主の御名をほめたたえ、呼び求める教会に与えられる恵みと平和を語っていると言うことができます。教会もまた、様々な罪を犯し、問題やトラブルに苦しみます。平和を失ってしまうようなことがあるのです。しかし私たちが、主なる神様が独り子イエス・キリストによって召し集めて下さった恵みを思い、ひたすら主を仰ぎ見て、主の御名を呼び求め、主をたたえ、主を畏れ敬い、打ち砕かれた悔いる心をもってその赦しを願っていくならば、神の教会に、父なる神様と主イエス・キリストからの恵みと平和が豊かに与えられるのです。

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