「神の子とする霊を受けて」 教師 藤掛順一
・ 旧約聖書:イザヤ書第63章15-19節
・ 新約聖書:ローマの信徒への手紙第8章12-17節
・ 讃美歌:145、390、411
教会創立記念礼拝
本日の礼拝は、横浜指路教会の創立142周年を記念する礼拝です。横浜指路教会は、1874年、明治7年9月13日に、「横浜第一長老公会」という名称で産声を上げました。142年と言われてもあまりピンと来ませんが、明治7年から、と言われると、やはり相当の時の流れ、時代の変化を経て来たのだということが感じられます。
本日のこの記念の礼拝において、ローマの信徒への手紙第8章12節以下を読むことにしました。今主日礼拝においてローマの信徒への手紙を連続して読み、説教をしています。先週まで四回にわたって、第8章の1~11節を読んできました。その続きの箇所です。特別の記念礼拝ですから他の箇所を読もうかとも考えたのですが、ここは教会の142年の歴史を覚えつつ読むのにも相応しい箇所であると思いましたので、先週の続きであるこの箇所を読むことにしました。またここの15節の後半「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」という言葉を、この九月の聖句として取り上げました。この聖句を選んだのも、創立記念日を迎えるこの九月に覚え、味わうのに相応しいみ言葉であると思ったからです。教会の142年の歴史を覚えつつ、本日はこの15節を中心としてこの箇所からみ言葉に聞きたいと思います。
神の子とする霊
15節の全体をもう一度読みます。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」。ここでパウロが「あなたがた」そして「わたしたち」と言っているのは、主イエス・キリストを信じる信仰を与えられ、洗礼においてキリストと結び合わされ、キリストの体である教会の一員として生きている信仰者、クリスチャンたちです。私たちキリスト信者は、神の子とする霊を受け、その霊の働きによって神に向かって「アッバ、父よ」と呼びかけつつ生きているのだ、とパウロは言っているのです。この第8章においてパウロは、キリストの救いにあずかった信仰者は、神の霊を受け、神の霊が内に宿って下さり、神の霊に従って歩む者、神の霊によって導かれる者となっている、ということを強調しています。その「神の霊」は9節では「キリストの霊」と呼ばれており、私たちを「キリストに属する者」とする、と語られています。神の霊によって私たちは、キリストに属する者、キリストによる救いにあずかり、キリストと結ばれて生きる者とされるのです。また11節には同じ神の霊が「キリストを死者の中から復活させた方の霊」と言い替えられています。神の霊の働きによって私たちは、キリストの復活にあずかり、新しい命を生きる者とされるのです。このようにここには、私たちの内に宿って下さっている神の霊の様々な働きが見つめられているわけですが、15節においては、その霊が「神の子とする霊」であること、神の霊を受けることによって私たちは神の子とされ、神を「アッバ、父よ」と呼びつつ生きる者とされると語られているのです。
「アッバ」と呼ぶ驚くべき恵み
神を「アッバ、父よ」と呼ぶことは主イエス・キリストだけが出来たことです。「アッバ」という言葉は、子供が父親を親しく呼ぶ言葉、日本語で言えば「お父ちゃん」というような言葉です。神様に向かって「お父ちゃん」と呼びかけて祈るなどということは、当時のユダヤ人たちには考えられない、驚くべきことでした。だから彼らは主イエスの祈りに大変びっくりして、それで「アッバ」という言葉がそのまま聖書に残されたのです。主イエスは、当時の人々が驚くような親しさで、神に向かって「アッバ」と呼びかけておられたのです。それは主イエスが神の「独り子」であられ、神様との間に父と子としての深い信頼関係があったということです。主イエスは、神に向かって「アッバ」と呼びかけることができる唯一人の神の子だったのです。
しかし、「神の子とする霊」を受けることによって、私たちも主イエスと同じように神に向かって「アッバ、父よ」と呼びかけることが出来る者となる、つまり神の霊によって私たちも主イエスと同じ神の子とされ、神様に向かって「お父ちゃん」と語りかけることが出来るようになる。それが主イエスによる救いです。私たちは、神に造られたもの、被造物であって、子ではありません。また私たちは神に従わず、背き逆らっている罪人です。だから私たちは神に向かって「アッバ、父よ」などと呼ぶことはとうてい出来ない者なのです。しかし神はそのような私たちのもとに、独り子イエス・キリストを遣わして下さり、主イエスが私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さることによって私たちを赦して下さり、復活によって新しく生きる道を拓いて下さいました。そして神の霊を私たちの内に宿らせ、洗礼においてキリストによる救いにあずからせ、私たちをも神の子として下さいました。この救いのみ業によって私たちは、神に向かって「お父ちゃん」と親しく語りかけることができるという驚くべき恵みを与えられたのです。
奴隷ではなく、子として生きる
15節の前半には、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく」とあります。神を信じる者になると、人を奴隷として恐れに陥れる霊に支配されてしまうのではないか、と多くの人は思っています。信仰を持って生きる者になると、神の奴隷になってしまって、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、という神の戒めにいつも縛られて、不自由な生活を送ることになる、そして自分は神の戒めに従って歩んでいるだろうかといつもビクビクと恐れていなければならなくなる。信仰というものをそのように感じている人が多いのです。しかしイエス・キリストを信じる信仰はそのようなものではない、とパウロは言っています。キリストを信じる信仰において私たちは奴隷になるのではなくて、神の子とされるのです。つまり神を信じて生きることは、神という主人の奴隷となって、いつも主人の顔色を伺いながら、何か失敗して罰せられてしまうのではないかとビクビクしながら生きることではなくて、神の子とされて、神に愛されている者として生きることなのです。親と子の関係というのは本来、親が子を無条件で愛しており、その愛によって子を養い、守り、導いている、そして子も、親が自分を本当に愛していることを知っており、それゆえに親を信頼しており、その信頼の中で安心して伸び伸びと生きている、というものです。私たちの現実の親子関係においては、その本来のあり方が失われてしまっていることが多いのです。親が子を本当に愛することができず、むしろ子を自分の思い通りに支配しようとしており、子も親の愛を本当に感じることが出来ず、それゆえに親を信頼することができず、安心して生きることが出来ない、ということがしばしばです。私たちの親子関係は多かれ少なかれそういう破れを負っているものですが、父なる神とその独り子主イエスの間には、本来の、真実な親子の愛と信頼の関係があるのです。主イエスを信じ、神の霊によって主イエスと一つとされることによって私たちは、神と主イエスの間の真実な親子の愛の関係の中に入れていただくのです。私たちも主イエスと共に神を「アッバ、父よ」と呼ぶことが出来る者とされるというのは、神が私たちの天の父となって下さり、私たちを無条件で愛し、養い、守り、導いて下さる方となって下さるということです。その神の父としての真実な愛の下で私たちも、父である神を信頼し、安心して生きることが出来るようになるのです。人間の現実の親子関係においてはなかなか得られない本来の真実な親子の関係が、父となって下さる神との間に与えられるのです。このように神の子とされ、神の父としての愛の中に置かれた者は、もはや奴隷のようにビクビクと恐れながら生きることはなくなります。親に本当に愛され守られていることを知っている子供は、安心して生きることができ、その安心の中で、失敗を恐れずにいろいろなことに挑戦していくことが出来るようになります。逆に子供が親の顔色をいつも伺ってビクビクしているような関係だったら、それは親子というよりも主人と奴隷の関係なのであって、そこでは子供は恐れに陥れられ、伸び伸びと育っていくことはできません。それと同じように私たちも、主イエスによる救いにあずかって神の子とされることによってこそ、奴隷のようにビクビクと恐れながら生きることから解放されて、神の父としての愛の中で、安心して、喜んで、積極的に、失敗を恐れずにいろいろなことに挑戦することが出来る者となるのです。
「アッバ、父よ」と祈った人 ヘボン
この教会の142年の歴史は、私たちの先達たちに神の子とする霊が与えられて、彼らが神の子とされ、神の父としての愛を豊かに受けて生かされてきたことの積み重ねであると言うことができます。教会の歴史を担ってきた人々は、神の霊、聖霊のお働きによって主イエスの救いにあずかり、主イエスと共に神の子とされ、神に向かって「アッバ、父よ」と祈ることの中で恐れから解放され、安心して、喜んで、積極的に、失敗を恐れずに生きたのです。そのような姿を、例えばこの教会の創立者であるヘボンに見ることが出来ます。彼は医者でしたが、東洋への伝道を志し、中国、アモイに行って医療活動を通しての伝道に従事しました。しかし妻の病気によって帰国せざるを得なくなり、ニューヨークで13年間開業し、医師としての名声を得ました。しかし日本が鎖国を解き、外国人の渡航が可能になることを聞いて、日本での伝道を志願し、病院や自宅を売り払って伝道資金として、1859年、横浜開港の年に日本に来たのです。このヘボンの姿に私たちは、神の父としての愛に信頼し、様々な恐れから解放されて、安心して、喜んで、積極的に、失敗することを恐れずに主の導きに従っていく神の子の姿を見ることができます。彼がそのように生きることが出来たのは、神の霊、神の子とする霊が彼の内に宿り、神がまことの父として自分を愛し、養い、守り、導いて下さっていることへの信頼が与えられていたからです。ようやく鎖国が解かれ、いくつかの港が開かれたばかりの、何のつてもない、そしてまだキリスト教が禁じられている日本に行って果して日本人にキリストの福音を伝えることが出来るのか、教会を築くことができるのか、それは全く分からない、何の保障もないことでした。しかし彼は神が日本の人々にキリストによる救いを与えようとしておられる、そのみ心を信じて、そしてそのために神が自分を用いて下さることを信じて、失敗を恐れることなく旅立ったのです。それは彼の勇気によると言うよりも、神の子とする霊を注がれて、「アッバ、父よ」と祈って行く中で、父である神が彼を導き、励まして下さったことによって与えられた決断だったのだと思います。
「アッバ、父よ」と祈った人 南小柿洲吾
また、142年前の教会創立の日にこの教会の最初の長老に就任し、その後伝道者となって、この教会の第三代牧師、最初の日本人牧師となった南小柿洲吾(みながき しゅうご)のことも覚えたいと思います。この教会が住吉町教会と言っていた時代です。南小柿牧師は教会内に「住吉学校」という、子供たちに初等教育を行なう学校を設立しました。それは元々は、当時の主要な輸出品だったお茶の工場で働いている貧しい女性たちの子供たちの教育のために女性宣教師リディア・ベントンによって開かれた「お茶場学校」を引き継いだものでした。貧しい子供たちのために学校を開き、教育を行なうという業が、南小柿牧師の下でこの教会において行なわれていたのです。この南小柿牧師も、神の子とする霊を注がれ、「アッバ、父よ」と祈る中で、神の父としての愛が貧しい子供たちにも与えられていくための働きへと押し出されていったのでしょう。
「アッバ、父よ」と祈った人 佐藤園
また、日本における、そして勿論この指路教会における最初の女性長老だった佐藤園(その)という人のことをも覚えたいと思います。大正10年から昭和16年まで、毛利官治牧師の時代に長老を務めたこの人は、生麦での伝道のために自らがそこに家を建て、自宅を伝道所として教会の集会をしていったのです。彼女がその伝道を始めたきっかけは関東大震災でした。このような回想録が遺されています。「此生麦に始めて伝道集会を開いたのは、大正一三年九月第三金曜日であったと憶えます。其前年の大震火災で横浜は全く灰燼に帰し、人心は沈み切って目も当てられぬ状態であった。之が復興の策は先ず精神の作興を第一とせねばならぬと思った。指路教会もまだ焼野原にバラックを作って漸く集会を守って居た位で到底十分の伝道も出来なかった。此際市外の火災を免れた所に伝道を始むるの急務を感じて其好位置を求めた」。大正12年の関東大震災で指路教会も会堂を失い、焼け跡にバラックを建てて礼拝をしていたのです。その中で彼女は、震災で沈み切っている人々の精神の立ち直りのために今こそ伝道しなければという志を与えられ、生麦の地での集会を始めたのです。しかしなかなか集会する場所が安定しなかったので、ついに自らそこに自宅を建てて引っ越して来て、そこを「指路教会生麦伝道所」としたのです。この生麦伝道は、多分に佐藤園長老個人の熱意によるところが大きく、教会全体の業にはなっていなかったために、彼女が高齢になって長老職を辞すると、担い手がいなくなってしまいました。また時代も太平洋戦争に突入する頃であり、横浜大空襲でその家も焼けてしまって、ついに教会設立には至りませんでした。しかし私たちは指路教会の142年の歴史の中に、このようなエピソードがあったこと、私財を投じてそれを担った佐藤園長老の献身を記憶に留めたいと思います。佐藤園長老もまた、神の子とする霊を注がれ、関東大震災後の人々の心が沈み切っている情況の中で、「アッバ、父よ」と祈っていく中で、父である神の愛を豊かに受け、このような伝道への献身へと導かれたのです。
今三人の人々のことを振り返りましたが、神の子とする霊を受けて生きたのは勿論この人々だけではありません。142年の歴史の中で、洗礼を受け、この教会の一員とされて歩んだ一人一人が、神の子とする霊を受け、神に向かって「アッバ、父よ」と親しく祈りつつ歩み、その中で神の愛を豊かに受けて、安心して、喜んで、積極的に、失敗を恐れずに、父である神に仕え、神の愛を隣人に伝えるための様々な業に挑戦していったのです。142年の歴史の間には、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊がこの国を支配し、その中で教会も、連なる者たちも恐れに支配され、み心に従って歩むことが出来なくなってしまった時もありました。しかし主イエスによって私たちの父となって下さった神は、様々な危機と人間の弱さの中でもこの教会を守り導いて下さり、今142年の歴史を感謝をもって振り返ることが出来るようにして下さっているのです。
教会の歴史を受け継ぐ
今日また二人の方々が洗礼を受けます。神はこの方々に神の子とする霊を注いで下さり、主イエスによる罪の赦しにあずからせて神の子として新しく生まれ変わらせ、「アッバ、父よ」と呼びかけて神に祈る者として下さるのです。転入会なさる方も含めて三名が新たにこの群れに加えられます。この指路教会の一員となるということは、神の子とする霊を受けて「アッバ、父よ」と祈ってきた多くの先達たちの、142年の祈りを受け継ぐ者となるということです。既にこの群れに加えられている者も、新たに加えられる者も、神の子とする霊を新たに受け、「アッバ、父よ」と祈る交わりにおいて一つとなっていきたいと思います。その祈りの中で、私たち一人一人が神の父としての愛を豊かに受け、それによる安心、平安、喜びを与えられ、そしてその恵みによって、自分自身を神にお献げして神のみ業のために用いていただく、それぞれの献身へと押し出されていきたいのです。神の子とする霊を受け、「アッバ、父よ」と祈って生きる私たちは、信仰に生きることにおいて、神に身を献げて生きることにおいて、積極的に、自由に、失敗を恐れずに、様々なことに挑戦していくことができます。神は父としての慈愛の目で私たちを見つめ、私たちがまことにつたない働きであっても、神と隣人に仕えていくことを喜んで下さっているのです。「アッバ、父よ」と祈りつつ、父なる神の愛に信頼して、喜んで積極的に、自由に、失敗を恐れずに神に仕えて生きていくことによってこそ、私たちは教会の142年の歴史を正しく受け継ぎ、次の世代へと伝えていくことができるのです。