「神の義」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書:詩編第130編1-8節
・ 新約聖書:ローマの信徒への手紙第3章21-26節
・ 讃美歌:19、127、377、67、458、81
指路教会の誕生
本日の礼拝は、横浜指路教会の創立141周年の記念礼拝です。週報の一頁目の上、「横浜指路教会週報」と書いてある所の下に、「教会創立 1874年(明治7年)9月13日」とあります。これが私たちの教会の創立の日です。「横浜指路教会125年史」を読みますと(教会員の方々、これを本棚の中に眠らせておかないで、ぜひ読んで下さい)、この9月13日に7人の人々が、ヘンリー・ルーミス宣教師から洗礼を受けました。そしてこの日、その前に洗礼を受けていた11人の人々と共に、18人の信徒によって、「横浜第一長老公会」という名称でこの教会が誕生したのです。141年前のこの年も、9月13日は日曜日だったということです。日本人の教会は日本人が牧師となることが望ましい、という考えのもと、ルーミスが「仮牧師」という形で、初代の牧師となりました。礼拝が行われていたのはヘボンの施療所の一室でした。施療所とは、医師であったヘボンが、日本人の患者のために開き、ただで診療を行っていた病院です。外国人居留地の一角にあったその場所には今、ヘボンの記念碑が建っています。教会を構成した18人は皆日本人でしたが、彼らはヘボンのもとに集まっていた人々であり、この教会の創立における中心人物はやはりヘボン(ジェームス・カーチス・ヘップバーン)です。ヘボンが生まれたのは1815年3月13日ですから、今年はヘボン生誕200年の年です。今年の3月13日の週日聖餐礼拝ではそのことを覚えてお祝いをしました。ヘボンは1859年(安政6年)、横浜開港の年、つまり鎖国が解かれて外国人が日本に来ることが出来るようになった最初の年に横浜に来ました。その時ヘボンは44歳でした。その15年後に、彼のもとに集っていた若者たちを中心にこの教会が設立されたのです。その多くは、13歳から17歳だったと、これも「125年史」に書かれています。その時ヘボンは59歳でした。ルーミス牧師は35歳、18人の教会員の中心的人物は、教会設立と共に長老となり、後に第3代の牧師となった南小柿洲吾(みながきしゅうご)で、当時29歳でした。ちなみに私は今59歳です。岩住伝道師は29歳です。今の私ぐらいの年のヘボンの下で、35歳のルーミスを牧師として、岩住先生ぐらいの年の南小柿長老を中心に、十代の若者たちが多く集う教会としてこの指路教会は歩み出したのです。どうですか皆さん。この教会についてのイメージが少し変わりませんか。141年も経つと、建物からしてこのように重厚になり、良く言えば厳粛で組織立っており落ち着いた教会、悪く言えば堅苦しくて、お世辞にも若々しいとは言えない教会になっていますが、創立の当初は、若く元気な、躍動感溢れる教会だったのです。
新しい社会を築く土台として
それは若者たちが集まっていたからというだけのことではありません。明治7年というこの時代、この国の社会全体が、新しい国をこれから築いていくのだという若々しい躍動感に満ちていました。ヘボンが来日した1859年はまさに、この国が鎖国の引きこもりから黒船の衝撃を受けて扉を開き、世界と関わりを持ち始めた年でした。その9年後に江戸幕府の封建体制が終わり、明治維新となって、近代国家を築き始めたのです。その歩みの根本には、このままでは西欧先進国の植民地にされてしまうという危機感があり、そのために富国強兵、殖産興業に努め、西欧先進諸国の仲間入りをしょうと必死に頑張りました。植民地獲得競争に遅ればせながら参加し、それが朝鮮半島、中国への侵略を生み、日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいったのです。私たちはそのようなこの国の歴史を深い反省をもって批判的に見つめなければなりません。しかしそれはそれとして、あの明治の始め頃、新しいものに触れることによって古いものから脱却し、新しい国と社会を築いていこうとする熱気や躍動感が人々の間に満ちていたことは確かです。指路教会もそのような若々しい熱気の中で生まれたのです。当時、洗礼を受けてクリスチャンとなった人々は、単に自分の魂の平安や慰めを求めていたのではありません。時代が大きく変わり、新しい社会が築かれていこうとしている時に、その新しい時代を生き、新しい社会を築いていくための土台、バックボーンとなるものを求めていたのであり、聖書の語る信仰、キリスト教信仰にその新しい土台、バックボーンを見出したのです。
新しい真理を示されたパウロ
聖書の語る信仰は、人を新しくし、また新しい時代を生きる力を与えます。あるいは時代が大きく変わっていこうとしている時に、聖書によって新しい真理が示されて、それによって新しい時代が築かれていくということもあります。そういう出来事が世界の歴史において何度かありました。今私たちが主日礼拝において読み進めているローマの信徒への手紙は、その出来事においていつも中心的な役割を果たしてきました。この手紙を書いたパウロ自身がまさに、新しい真理を示され、新しい時代を切り開いていった人だったのです。パウロは主イエス・キリストとほぼ同世代であり、紀元1世紀を生きた人です。紀元1世紀の前半、主イエスのご生涯と十字架の死、そして復活による神の救いのみ業がなされたことによって、神の救いの歴史において新しい時代が始まっていました。それまでは、神に選ばれた民であるユダヤ人が、神によって与えられた掟である律法を守り、また神殿で犠牲を捧げる祭儀を行うことによって神の民として生きる、そこに神の救いがあると考えられていました。神の救いは神の民であるユダヤ人のみに与えられるのであって、その他の人々、異邦人はそれにあずかることができないと考えられていたのです。パウロもユダヤ人であり、元々はそのように考えて、律法を熱心に守る生活を送っていました。しかし彼は、復活なさった主イエスとの出会いを与えられたことによって変えられました。救い主イエス・キリストによる救いが、ユダヤ人だけでなく異邦人にも、つまり全ての人に及ぶという確信を与えられたのです。つまり主イエスによって新しい救いの時代が始まったことを示されたのです。そのことを、主イエス・キリストによって始まった神の新しい救いを、人々に伝えるために彼はこのローマの信徒への手紙を書いたのです。
神の義
本日読む3章21節以下は、パウロが、主イエスによって新しい救いの時代が始まったことを語り始める所です。21節冒頭の「ところが今や」という言葉がそれを示しています。これまでの所、3章20節までに語られてきたのは、ユダヤ人も異邦人も皆同じように罪の支配下に置かれており、神の怒りの下にある、ということでした。律法を与えられているからといって、ユダヤ人が自分たちは異邦人とは違って正しく生きており、神の救いを得ることができるということはない、ユダヤ人も異邦人も皆罪を犯しており、そのままでは神の怒りを受けるしかないのだ、ということを彼は3章20節までにおいて繰り返し語ってきたのです。それは、自分たちは神の民だという強い自負を持っていたユダヤ人たちには到底受け入れられないことであり、彼自身も以前はそのように考えていたのですが、主イエス・キリストの十字架と復活によって神が新しい救いのみ業を行って下さったことを示されたことによって、彼は変えられたのです。神が主イエスによって実現して下さった新しい救いとは、22節に語られている「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべて与えられる神の義」です。律法を守り行うという良い行ないをすることによって私たちが義となり、救いを獲得するのではなくて、イエス・キリストを信じることによって、ということは、神の独り子である主イエス・キリストが十字架にかかって死ぬことによって私たちの罪を償って下さり、神による赦しを実現して下さったことを信じること、主イエスこそ救い主であり、その救いが既に自分に与えられていると信じることによって、神から恵みとして義を与えられ、それによって救われる、パウロはそういう「神の義」を、主イエスとの出会いによって示されたのです。
新しい時代を切り開いた手紙
律法を行うことによってではなく、イエス・キリストを信じることによって与えられるこの神の義は、「信じる者すべてに与えられる」ものです。つまり、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、主イエス・キリストによる罪の赦しを信じることによってこそ義とされ、救われるのです。逆に言えば、人が義とされ救われるのはイエス・キリストによる救いを信じることによってなのであって、律法をどんなに一生懸命守っていても、それで神の前に義となることはできないのです。だから、ユダヤ人も異邦人も皆罪の下にあると言うことができるのです。自分の良い行ないによって義となり、自分の力で救いを獲得できる人など一人もいないのです。主イエス・キリストの十字架と復活によって、今やこのような神の新しい救いが実現し、ユダヤ人だけでなく全ての人々に、この救いにあずかる道が開かれている、パウロがこの福音、良い知らせを示され、この手紙においてそれを語ったことによって、ユダヤ人の中で誕生したキリスト教会は、ユダヤ人の枠を超えて、世界の全ての人々に救いをもたらす世界宗教として歩み出したのです。そのようにして、神の救いの歴史において始まった新しい時代が、世界の歴史をも新しくしていったのです。そういう意味で、ローマの信徒への手紙は、世界の歴史を変え、新しい時代を切り開いた手紙であると言うことができます。その新しい時代を切り開いたのは「神の義」でした。パウロはこの「神の義」が、それまでとは全く違う新しい時代を切り開くものであることに気づいて、3章21節で「ところが今や」と語ったのです。
神の義は神が人間を裁く尺度?
それと同じことが、16世紀の宗教改革においても起りました。宗教改革は、マルティン・ルターが、この3章21節の「神の義」の正しい意味を改めて発見したことによって起りました。ルターが発見したのは、実は新しいことではなくて、パウロがこの手紙で語っていたことでした。しかし時が経つにつれてそのことが忘れられて、間違った理解が教会を支配するようになっていたのです。当時の教会で教えられていた「神の義」の意味は、神がご自分の義、正しさを物差しとして人間をお裁きになる、その裁きに耐えられるだけの正しさ、義を獲得した者だけが救われる、ということでした。つまり「神の義」は神が人を裁く尺度だったのです。それでは誰も救われないではないか、イエス・キリストによる罪の赦しはどうなっていたのか、と疑問に思います。当時のカトリック教会もキリストによる罪の赦しを語っており、洗礼によってそれにあずかることができると言っていました。洗礼によってキリストによる赦しにあずかった者は、地獄に落ちることはないのです。しかし天国に行けるのは、神の義に見合う義を、良い行ないを積んだ者だけです。そうすると、洗礼は受けたけれども、神の義の尺度を満たすことができなかった人、天国に行くには良い行ないが不足している人はどうなるのか、ということが問題になります。そこで考えられたのが、天国と地獄の間にもう一つ「練獄」というのがある、ということでした。神の義の物差しに足りない人、良い行ないが不足していた人は、死んだ後そこで償いをしなければならない、その償いが終われば天国に行くことができる、ということを考えたのです。そしてそのこととセットになっているのは、教会のお蔵には、昔の立派な信仰者たち、聖人たち、その多くは殉教者ですが、その人々が遺した良い行ないの遺産がたっぷり蓄えられている、ということでした。その良い行ないの遺産のことを、英語では「メリット」と言い、日本語では「功徳」と訳されたりしますが、教会はそのメリット、功徳を人々に分けてあげることができる、それを分けてもらえば、あなたも将来死んでから、また既に死んだあなたの家族も、練獄での償いを免除されて天国に行くことができる、ということが教えられていったのです。そのためにはこのお札を買いなさい、と売られたのがいわゆる「免罪符」でした。「免罪符」というのは正確には、罪を免除するお札ではなくて、練獄における償いを免除するお札なのです。このように「神の義」は、神が人間を裁く尺度とされ、それに基づいて、練獄から天国に行く切符を手に入れるための免罪符が売られるということ起こっていたのです。
宗教改革=神の義の再発見
ルターは、このようなことは聖書の教えに反している、と言って宗教改革を起したのですが、その根本にあったのは、彼が「神の義」の正しい意味を聖書から再発見したことでした。その再発見をもたらした箇所の一つがこのローマの信徒への手紙3章21節以下です。パウロは、「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」と語っている、しかもそれは律法とは関係なく与えられたものであり、律法を守ることによって、つまり良い行いによって獲得できる義ではない、そこからルターは、神の義というのは、神が人間を裁く尺度ではなくて、神がご自分の義を人間に与えて下さり、罪ある人間を義とみなして下さり、つまり罪の赦しを与え、救って下さる、その神の救いの恵みを意味しているのだ、ということを示されたのです。そこから、人間の救いは、自分が良い行ないをして義となることによって獲得するものではなくて、罪人であり、自分で義となることができない私たちを、神が独り子イエス・キリストの十字架と復活によって義として下さることによって与えられる、救いは神の恵みによってのみ与えられるものだという宗教改革の、プロテスタント教会の信仰が生まれたのです。しかしそれはその時初めて生まれた新しい信仰ではなくて、パウロが復活の主イエスと出会って示された信仰であり、ローマの信徒への手紙に語られていた信仰です。ルターはそれを再発見したことによって宗教改革が起ったのです。宗教改革によってプロテスタント教会が誕生したことは、世界の歴史を大きく変える出来事でした。「神の義」はそこにおいても、「ところが今や」という新しさをもたらし、新しい時代を切り開いていく力を人々に与えたのです。
神の義に軸足を置いて
私たちの教会は、明治の始め、社会が大きく変わっていこうとしていた時代の人々が、この「神の義の福音」を聞いたことによって誕生しました。人間が自分の力で義を獲得して救いを得るのではなく、神が独り子イエス・キリストによってご自身の義を与えて下さり、罪を赦し、神によって義とされて生きる新しい人間として下さる、その神の恵みこそが、新しい時代を切り開いていく新しい人間を生み出す、そう信じて洗礼を受けた人々によってこの教会は誕生したのです。141年後の今も、私たちが信じ、宣べ伝えているのは、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。主イエス・キリストによって与えられるこの神の義によってこそ、私たちは、人間の力による営みから、そこにおける成功や失敗、栄光や挫折の記憶から、また人と自分とを見比べることによる優越感や劣等感、誇りや妬みから自由になり、新しく歩むことができます。今私たちが生きているのは、表面的な豊かさ、明るさの中で、様々なものが綻びを見せ、崩壊しつつある、私たちがこれまで当たり前と思ってきたことが大きく変わっていこうとしている時代です。この先どうなっていくのかがさっぱり見えず、希望を見出すことが困難になっています。明治の始めが上り坂の時代だったとすれば、今は下り坂をずるずると滑り落ちていっているような思いがあります。そのように足元が揺らいでいる今、私たちは、独り子イエス・キリストによって神が与えて下さる神の義を信じて、そこにしっかりと軸足を置いて歩みたいのです。そのことによってこそ私たちは、神が示し与えて下さる新しさに生きることができるでしょう。10年後の日本はどうなるのか、ということを色々な人たちが論じている本を今読んでいるのですが、その中に、「認識においては徹底して悲観的に、実践においては徹底して楽観的に」という勧めが語られていました。悲観的な現実にしっかり目を向けることによってこそ、希望を見出し、楽観的に、積極的に生きることができる、ということでしょう。主イエス・キリストによって神が与えて下さる「神の義」を信じることにこそ、そのように生きるための土台が与えられるのではないでしょうか。目に見える悲観的な現実だけを見つめていると私たちは時代の波に呑み込まれて流されていきますが、神の義を信じるところには、私たちが思いもつかないような、驚くような新しいことが示され、「ところが今や」という希望に生きる道が開かれていくのです。