夕礼拝

弟子の家でのいやし

「弟子の家でのいやし」 伝道師 嶋田恵悟

・ 旧約聖書; 詩編 第69編14-22節
・ 新約聖書; マルコによる福音書 第1章29-34節
・ 讃美歌 ; 343、433

 
 先週は、主イエスが安息日に会堂で教えられたという箇所を読みました。主イエスが会堂に入って、初めて説教されたのです。主イエスの教えは、今まで聞いたこともない、新しい権威ある教えでした。ただ教えられただけでなく、主イエスは、その権威をもって、悪霊を追放されました。その新しい権威ある教えに人々は非常に驚いたのでした。
 本日お読みしたのは、会堂での礼拝が終わったすぐ後のことです。「すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った」とあります。主イエスとその一行は、会堂を出るとすぐに、最初に弟子となったペトロの家に行ったのです。
 しかし、このことはペトロにとって、驚きだったのではないかと思うのです。主イエスに従う歩みを始めて、最初に会堂での主イエスの説教を聞いた後のことです。これからいよいよ、主の宣教の歩みが本格化していくのです。弟子達は次に主がどこに行き、どのようなことをなさるのだろうと期待をもって見つめていたことでしょう。そうしたら、事もあろうに、主イエスが自分の家に来られるというのです。ペトロとアンデレはガリラヤ湖の漁師でした。しかし、主イエスと出会い、声をかけられた時、網を捨てて主イエスに従ったのです。その後弟子になった、ヤコブとヨハネは、自分の父親を残して従ったことが記されています。弟子達は、自らの仕事、生活、家族、を捨てて、主イエスに従ったのです。ですから、ペトロたちとしては、主イエスに従い始めてまだ何をしたわけでもないのに、自分の家族がいる家に帰ることになるということは想像もしていなかったでしょう。もしかしたら、会堂で主イエスが説教された時に、勝るとも劣らずに驚いたかもしれません。
 マルコによる福音書は、弟子のペトロの視点で描かれているということが言われます。マルコによる福音書を記したマルコという人は、ペトロについて回り、通訳のようなことをしていた人であったというのです。そして、ペトロが語ることを書き留めたのです。聖書に収められた、ペトロの手紙一の最後の挨拶に次のように記されています「共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。」。マルコが「わたしの子」と呼ばれています。そのように、マルコはペトロに仕えて共に歩んだ人だったと言うのです。これは、あくまで一つの仮説なので、実際そうであったのかどうかはわかりません。むしろ、現在では、歴史的な事実として信憑性を疑う人が多数です。しかし、もしそうであったら、おそらく、ペトロはここで、主イエスが自分の家に来られた時のことを、喜びと驚きをもって語っているのだと想像できます。この出来事がペトロにとって大切なことだったから福音書に記され伝えられていったのかもしれません。

 ペトロの家で何があったのでしょうか。「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていた」とあります。この熱を出すという言葉は聖書の中ではほとんど出てこない表現です。聖書の中には、主イエスの癒しの記事がたくさん出てきますが、どれも癒される病は重たいものです。それらに比べると、ここでの熱というのは、それほど重い病気ではないように思うのです。福音書に出てくる様々な病や困難の中でも最も軽いもののように感じます。しかし、年老いたしゅうとめにとって「熱」は下手をすれば命に関わる大変なことであったでしょう。ペトロは、実は、自分のしゅうとめのことで悩んでいたのにも関わらず、そのことを話せなかったのかもしれません。もう年も年だし、しょうがないと思ってあきらめていたかもしれません。主イエスに従う他の人々もいる中で、年老いた自分のしゅうとめのために、主イエスを煩わせたくないと思ってあえて今まで話し出さなかったかもしれません。ですから、主イエスが家に来られた時、ペトロは大きな喜びをもったに違いないのです。主が家に来られた時に早速しゅうとめのことを話すのです。それを聞いた主イエスはこのしゅうとめの「手を取って起こされる」。そうすると、彼女の熱は去り、彼女は一同をもてなしたというのです。熱が去るというのは面白い表現です。丁度、悪霊に取りつかれた人から霊が去るような言われ方をしています。まさに、熱も又、悪霊に取りつかれたような状態であると考えられていたのです。ここで言われているのは、この癒しを通して、彼女に救いがおとずれて、主イエスに仕えるものとなったということです。

 この出来事は確かに、他の主イエスの癒しの記事と比べて、小さなことのように思います。ほんの数行の出来事です。ただ病が癒されたということを伝えようとしているならあえて記すまでもないことなのです。しかし、このペトロの家での出来事は全ての共観福音書が記していることです。ここには、私たちが自分の大切なものを捨てて、主イエス後に従う時に、忘れてはならない大切なことが記されていると言って良いと思うのです。
 私たちは、弟子たちが主イエスに従った話を聞くと、とうてい自分は同じように、家族や仕事を捨てて主イエスの後に従うことは出来ないという思いがします。しかし、もう一方で、私たちは、日本のようなキリスト教が根付いていない国にあって、どこかで、世間の一般的な歩みを離れて、信仰生活を送っていると感じることがあるのではないかと思うのです。「捨てる」と言っては大げさですが、主イエスに従う時に、それに似た思いを抱くのではないかと思います。
 日本では、家族皆で礼拝を守るという人は決して多くありません。家族と一緒に教会に来ることが出来ないどころか、家族に反対されながら教会に来られる方もいらっしゃいます。反対まではされてはいなくても、家族に対して、日曜日に教会に行くことを後ろめたく思っている方や、家族との間に緊張を抱えつつ、教会生活を送られる方は珍しくないでしょう。ですから主イエスによる、自分自身の救いと、自分の家族の救いということを分けてしまうということがあるのではないかと思うのです。
 この思いは、家族との関係にだけ限られたことではありません。私は、キリスト者の家庭で育ちました。ですから、小さい頃から、家族は共に礼拝に連なっていたのです。ですから家族との間に、信仰生活における緊張を経験することはありませんでした。しかし、日曜日に礼拝を守ることが、日本の社会の常識から外れたことであるという思いは常に持っていました。日曜日に行楽地に行くことはありませんでした。又、私の通った小学校はキリスト教主義の学校ではありませんでしたから、日曜日に授業参観日があります。そうすると、クラスで私だけが、授業を休むことになるのです。次の授業の時に自分一人だけ、授業参観日に行うために出されていて、もうすでに皆は終わっている課題を提出することがある。今から思えば、何でもないことですが、当時は少なからず抵抗を感じていたことも事実です。日本において教会に行くことは、世間でなされる一般的な歩みを捨てて、主イエスに従う印象を持ちやすいと言って良いのではないでしょうか。

 もちろん、キリスト者として生きる時にこのような感覚を持つことは大切であると言えるでしょう。主イエスに従うことは、神の民として、この地上を歩むということで、必ずその他のものを、捨てるということが伴います。しかし、この「捨てる」ということは、捨てたものの救いに対して無関心になってしまって良いことを意味しません。けれども、意外と私たちの信仰生活の中で、自分の最も近くにあるものを顧みなくなってしまったり、それらに対して、不誠実になってしまうということがあるのではないでしょうか。
現在、日本では、なかなか伝道が進まないということが嘆かれる時に、必ず言われることの一つに、信仰の継承が難しいということがあります。最も近い存在であるが故に家族にキリストを伝えるのが難しいのです。生活を共にしているだけになかなか信仰の話が出来ないということもあるでしょう。私はキリスト者の家族で育ちましたが、現在、兄弟は信仰告白をしていません。兄弟が、信仰告白に導かれることは、私の願いであり、祈りの課題であることは間違いありません。しかし、どこかで、そのことに対して、不誠実になっているということがあるのではないだろうかという思いがするのです。そこに甘えのようなものがあって、兄弟が救いに対して、真剣になれないのです。「神様が働いて下さればその内、導かれるだろう」といった言葉の背後に、家族である私が、キリストを証しても意味はないだろうといったあきらめに似た態度があるのです。主イエスの宣教命令を聞くときに、福音を伝えることへの思いを抱かされる。しかし、最も近くのもの、家族や、自分が置かれた日常生活の中での隣人との交わりにおいて、それをすることをあきらめてしまう、自分の判断で捨ててしまうということがあるのではないでしょうか。そのような時に主に従っていながら、実は、自分で、主の業を制限してしまっているのです。

 主イエスによって癒されたしゅうとめについてですが、「彼女は一同をもてなした」とあります。ここで、「もてなす」と言う言葉は「給仕する」という意味の言葉です。もしかしたら、夕食を共にしたのかもしれません。家庭集会のようなものを想像することが出来ます。会堂での礼拝は、ペトロの家での家庭集会へと続いて行くのです。又、この「もてなす」、ということは「仕える」と言った意味で用いられます。この癒されたしゅうとめは、この家において真っ先に主イエスに仕えたのです。主イエスが家に来られた時、もてなしたのは、弟子達ではなく、しゅうとめだったのです。
この話を聞く時に、私は、思い起こすことがあります。かつて、自分の身近にいた人がキリスト者になるということがありました。私は自分が、教会に行っていることを、その人に話すことがしばしばありましたが、その人を教会へ誘ったことはありませんでした。もしかしたら、身近な存在であっただけに自分が誘っても、この人は教会に来ないだろうという思いがあったのかもしれません。しかし、ある日、その人が自分は洗礼を受けたというのです。それは、わたしに取って喜びでした。それと同時に複雑な思いになったのです。自分が、伝道の対象としていなかった人、心のどこかで、この人に主イエスの愛を語っても無駄だろうと思っていた人が、主の愛を知らされ、主に仕えるようになったのです。その姿を見て、果たして、自分は主に仕えていたのだろうかという思いを抱かされたのです。むしろ、自分の思いで、神様がなさる救いの御業を制限していたのではないか、その限り、自分の態度は主に仕えるというものではなかったということを思わされたのです。 弟子達も又、自分の判断で主の業を制限してしまっていたのかもしれません。福音書の示す主イエスの弟子達は、ここで、すべてを捨てて主イエスに従おうとしながら、「捨てる」ということを、自分勝手に、信仰生活における美徳のように考えていたことがわかります。マルコによる福音書の10章28節において、主イエスは神の国に入ることの難しさ語ったときに、ペトロが、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだしたことが記されています。すべてを捨てて、従った自分を誇るような発言をしているのです。ペトロも又、そのような思いに捕らわれていたのです。 そして、そのような履き違えに、私たちが、自分の最も身近なものの救いに対して不誠実になってしまう遠因があるように思うのです。しかし、捨てて従うということを、自分自身の救いの確かさを保証するための根拠としたり、家族の救いや、この世での生活に不誠実にな自分を正当化するための言い訳とすることは出来ません。 カルト集団につきものの熱狂や、保守派と言われる人々の過激な行動は、この「捨てる」ということの意味の履き違えが極端に行き過ぎた結果であると考えて良いでしょう。そこでは、自分の内側に自分で作り上げた救いの確かさへと逃避するということが起こりうるのです。そして、最も身近な日常生活の中で行われている神様の救いの業に対して盲目となってしまう。主がなさる救いの業と異なる、自分の作り上げた救いに生き始めるのです。そのような態度は、主イエスがもたらす神の国とはほど遠いものですし、主イエスに従うこととは全く異なることなのです。しかし、多かれ少なかれ、このことは信仰生活の中で起こり得ることなのです。 そのような時にこそ、私たちは聖書が記す出来事、主が会堂を出て、すぐに主に従うものの家に行かれたということに耳を傾けなくてはいけません。ここで主イエスが会堂を出て、ペトロの家に行かれたということは、私たちが、ともすると、軽んじてしまうところ、心の中で、自分勝手に捨ててしまうところに、真っ先に赴かれているのだと言っても良いと思うのです。そこでも救いの御業を行われているということなのです。実は、そのような場所にこそ、伝道されるべきである、主の業が示されるべきであるということではないかと思うのです。 福音書は、所々で主に従う女性の姿を記します。マルコによる福音書もそうです。主の道が進んでいくに従って、弟子達の主に従い主の道を歩みながら、主イエスのことを理解せずに、自分の思いをなそうとする姿が鮮明になって行きます。しかし、そのような弟子たちの歩みと全く違った仕方で主に仕える人々の姿が記されるのです。 このしゅうとめもそうです。このしゅうとめはこの時、ここで、仕えて、主に仕える歩みが終わったのではないのではないかと思います。おそらくこれから後も、仕え続けたのだと思います。それがどのような形でなされたのかは定かではありません。しかし、全く自分の思いから自由に、この人は主イエスに仕えたのではないかと思うのです。主は、私たちが軽んじてしまう所、私たちの家でも働かれているのです。私たちの思いや判断の及ばない形で、主の御業が行われているのです。 ここには、ペトロのしゅうとしか出てきません。ペトロの妻はこの時どうしていたかということは、記されていないのです。しかし、コリントの信徒への手紙の一の9章5節には「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」と記されています。ここで、ケファと言われているのはペトロのことです。ペトロの妻は、その後、信者となって、ペトロと一緒に歩んだことが記されています。ペトロが伝道のために歩む道を共に歩んだのです。共に主の業に仕えたのです。 先ほどのペトロの「自分たちは何もかも捨ててきた」という言葉に続いて主イエスは次のように語られています。「はっきり言っておく。わたしのために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける」。主は私たちが捨てたものを百倍にして与えて下さるのです。 この箇所は、主イエスが初めて、悪霊を追い出されて権威を示されたことと、その噂を聞きつけた人々が町中の病人や悪霊に取りつかれた人を連れて来たということの間に挟まれています。会堂と町の中での癒しをつなぐかのようにして、家庭での癒しが語られているのです。 「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れてきた。町中の人が戸口に集まった」とあります。この家の戸の外には、主イエスを求めている大勢の人がいるのです。しかし、主イエスが先ず癒しを行われたのは戸の外ではなく戸の内側なのです。会堂で始まった主イエスの業は、次いで、弟子の家においてそして、家の外において行われるのです。そして、35節以下が示すように、町の外へと広がっていくのです。会堂で教え、癒しの権威を示された主イエスは、弟子の家を通りすぎたのではありません。最初に、ともすると、私たちが最も、軽んじてしまう家に来られたのです。私たちは、主イエスの後に従う、福音を伝道するという時、戸の外にある大きなことに目を向けがちです。しかし、それは結局、目を向けているだけで何もしていない、主イエスの業に仕えていないということになりかねないのです。会堂を出た主イエスは先ず、私たちの戸の内側において働かれる。そこは、私たちの家、私たちの日常と言って良いでしょう。時に、私たちが、小さいものとしてしまうようなところ、主イエスの救いを証することをためらってしまうようなことかもしれません。しかし、主イエスはそこで救いのみ業をなさるのです。 私たちは今日、礼拝を終えて会堂を出て行きます。それぞれの家、それぞれがおかれている日常の生活に帰ります。しかし、一人で帰るのではありません。主イエスと共に帰るのです。もしかしたら私たちがその場所を教会の救いと切り離してしまっているかもしれません。自分勝手な判断で、主イエスの救いの対象から捨て去ってしまっているかもしれません。しかし、神の国、主イエスの御業はそこで始められているのです。

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