主日礼拝

わたしは宣教する

「わたしは宣教する」  伝道師 宍戸ハンナ

・ 旧約聖書: サムエル記下 第23章2-5節
・ 新約聖書: マルコによる福音書 第1章29-39節
・ 讃美歌:497、460、310

礼拝
 本日は、共にマルコによる福音書第1章29節から39節までの御言葉に聞きたいと思います。29節に「すぐに、一行は会堂を出て」と記されてとあります。この一行とは、主イエスと弟子たちとの一行です。主イエスと弟子たちが「会堂を出て」とあるのは、このすぐ前の21節から28節までの出来事を受けております。主イエスと弟子たちが安息日に会堂で礼拝をしました。この会堂で主イエスは御言葉を語られ、癒しの業を行われたのです。この安息日における礼拝とは一体何時頃から行われたかと言いますと、正確な時間までははっきりとは分かりませんが朝であるということは確かなようです。主イエスは私たちと同じように、午前中に礼拝をして、それから会堂を出られたのです。礼拝とは皆さんにとってどのような「時」でしょうか。私たち一人一人に礼拝の時が与えられることは本当に幸いなことであると思います。主の日ごとに、信仰の仲間たちと共に集う場所があります。たとえ教会まで体を運ぶことができなくなっても、祈りにおいて心をつなぐ確かな礼拝の群れがあります。主の日ごとの礼拝によって、信仰のリズムを整えられながら、週日の歩みを作って行くことができます。礼拝の中から、新しい週の歩みが導かれて行くのです。

シモンの家にて
 与えられました聖書の御言葉もまた、安息日の礼拝から始まる恵みを描いており。「すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った」とあります。この一行とは主イエスと弟子たちの一行です。シモンという人は、シモン・ペトロという名前でよく知られている人であります。このマルコによる福音書が書かれた頃の教会においてはむしろ、ペトロと呼ぶのが普通でありました。ただ、ペトロという名は、マタイによる福音書(16章)の記事によりますと、主イエスが「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」とおっしゃったことに由来します。このシモンという名前は生まれたときからの名前であり「ペトロ」とは主イエスが後からつけた名前です。ですから、このシモンという人に初めから親しみを持っていた人たちは、ペトロと呼ぶよりも、シモンと呼ぶ方が慣れていたのでしょう。ですから、あのシモンの、あの私たちの仲間のシモンの家に主イエスが来られた。この物語はそのように親しみを込めた物語となっていたのです。本日の物語は、安息日の礼拝の後にシモンの家を舞台にしている、僅かな時間の出来事であります。一日の間に次々と起こった出来事が描かれているのです。
 主イエスがシモン、アンデレの家を訪ねたのは恐らく、食事をするためだったのだと思います。弟子たちは、少々興奮気味であったかもしれません。つい先ほど、会堂の中で耳にした主イエスの権威あるお言葉、そしてはっきりとその目で見た不思議な主イエスの御業、そこで巻き起こった驚きに満ちた議論を思い起こしながら、一体、自分たちの先生はどのような方なのだろうかと、思い巡らしていたはずでしょう。主イエスの権威に満ちた御言葉によって促され、弟子たちは一体、このお方は誰なのか、と問わずにおれませんでした。主がお命じになると、汚れた霊さえも従いました。弟子たちは霊が苦し紛れに叫んだ声を聞いたのです。24節「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」。悪霊は、主イエスが誰であるのかを知っていました。私たちも、知識としてならば、主イエスについて、シモンよりも多くのことを知っています。やがて主イエスが十字架にかかられることも、復活されたことも知っています。けれども、知っているということと、本当に分かっているということとは、別のことです。主イエスを知っているとは、主イエスの十字架と復活との出来事を自分ための出来事と信じることです弟子たちは、自分たちを弟子として招いた方について、いろいろな思いを巡らせながら、主イエスの後に従って、シモンとアンデレの家に入って行きました。もしかすると、ここでシモンが是非にと言って、主イエスを家にお招きしたのかもしれません。会堂で起こったことの意味について、詳しく知りたかったはずなのです。

主が手をとって
 ところが、家に着いてみると、シモンの姑が熱を出して寝込んでいました。シモンの姑とあるのは、シモンは妻の母を引き取っていたのです。シモンは自分の妻を愛し、後には伝道旅行にも妻を伴ったことがコリントの信徒への手紙一9章5節に記されております。そこでは、シモンとその妻が、夫婦が一つとなって共に主イエス・キリストのこと伝え、主イエスが仕えている姿が描かれております。そのシモンの姑が熱を出し寝込んでいる。「人々は早速、彼女のことをイエスに話した」(30節)とあります。弟子たちは主イエスが汚れた霊を追い出されるのを目にしたばかりです。ここでも、主イエスに期待をしたのかもしれません。この方なら、何とかしてくださるのではないか。そんなような期待を抱いたのかもしれません。そして、「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(31節)とあります。主イエスがシモンの姑を癒されたのです、固唾をのんで一部始終を見守っているシモンの姿が見えるようです。その驚いた表情が目に浮かびます。このシモンの姑の病気の癒しと、先にあった会堂における主イエスが汚れた霊を出て行かせる出来事とは同じことではありません。汚れた霊、悪霊とはキリストの支配に逆らう力であります。しかし、病気はこの汚れた霊の業ではありません。それは神が与える災いであります。主イエスはこの病気を持つ人の傍に行かれました。汚れた霊がこの女性についていたのであれば、汚れた霊は激しく抵抗し、逃げて行きます。けれども、病気は逃げ去りません。主イエスはご自分の手を差し出され、その手を取って起されたのです。主イエスは病める者の遠くにいるのではなく、病める者の傍ら、近くに行かれるのです。主イエスは今も私たちに近づかれ、手を差し伸ばされ、手をとって起されるようとされるのです。この招きを受けております。

仕える
 シモンの姑は熱が引きました。そこでまず何をしたのかと言えば「彼女は一同をもてなした」(31節)とあります。具体的には、食事の準備をしたということでしょう。つい先ほどまで高熱を出して寝込んでいたのですから、熱が引いたといっても、もう少し休ませてあげたらどうなのか。元々、元気なシモンはじめ、男の弟子たちが食事の準備をすればよいのにと思うかもしれません。しかし、シモンの姑は「熱が下がり、一同をもてなした」とあります。それは、病が完全に治ったということの確かなしるしとして描かれています。そして同時に、このことは、主イエスに癒された弟子のしるしとして描かれているのです。「もてなした」というのは美しい日本語ですけれども、ここで用いられているもとの言葉は、他の箇所では、「仕える」と訳されています。ギリシア語で「ディアコネオー」と言います。「仕える」「給仕する」「世話をする」などと訳されます。そして、この「ディアコニア」と言えば「奉仕」、「ディアコノス」と言えば、「奉仕者」を意味します。教会の職務としては「執事」と呼ばれる務めを指すようになる言葉であります。
 この物語の中で、本当に主イエスと出会うことができたのは、名前も記されていない一人の女性、シモンの姑であったのだと思います。この女性は、主イエスの癒しにあずかったとき、「あなたは誰なのですか」と問うこともしなければ、「あなたがだれか分かっています」と声高に叫ぶこともしないで、ただ黙々と、主と人に仕える道を選んだのです。私たちは、公平な目で福音書を読んでいくならば、主イエスの弟子であることの模範的な姿は、しばしば名前も記されないような女性たちの姿として描かれていることに気づきます。汚れた霊につかれた幼い娘を持つ異邦人の女性、レプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れた貧しいやもめの女性、あるいは、非常に高価で純粋なナルドの香油を主イエスに注ぎかけた一人の女性がいます。さらには、男性の弟子たちがみんな逃げ去ってしまったときに、主イエスが十字架にかけられるのを見守っていた女性たちがおり、週の初めの日の朝早く、主イエスの体が納められた墓へ向かって急ぐ女性たちの姿があります。そのような女性たちの姿を通して、主イエスの弟子としてのあり方が示されているのです。そこでは難しい議論をするわけではありません。素朴な信仰の姿、ひたむきに主を信じる姿、そして、黙々と仕える姿が描かれるのです。主イエスに癒され、主イエスの救いにあずかって、仕える者となる。そこに、主イエスの弟子としての姿があります。主イエスの前に、自らを低くして仕える姿です。

すべての
 主イエスの噂は、たちまち方々の町や村にまで伝わりました。その日の内に噂は広まり、人々は日が暮れるのを待ちかねていました。なぜなら、その日は安息日だったからです。安息日は、律法の規定によって、何の業もしてはならないと決められていました。歩いてよい距離まで決まっていました。ユダヤの日付は日没と共に変わります。だから、「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た」(32節)のです。夕暮れになり、日が沈みました。安息日は終わりました。安息日のうちは病人を運ぶことも控えなければならなかった人々はシモンの家の戸口に集まりました。主イエスがおられた家は、日没と共に大勢の人に囲まれるようになりました。病人や悪霊に取りつかれた人たち、その人を連れて来た人たち、それだけではなくて、噂の人をひと目でも見たいと思って集まった人たちもいたと思われます。しかしそれにしても、マルコによる福音書での言葉遣いは、少々大げさに聞こえるかもしれません。32節には「病人や悪霊に取りつかれた者を皆」とあります。33節には「町中の人が」とあります。また34節には「多くの」という言葉が用いられていますが、これはユダヤの言葉遣いからすれば、「すべての」という意味です。典型的なのは、後に記される主イエスご自身の言葉です。主は言われます。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(10・45)。
ここに出てくる「多くの人」も、やはりユダヤの言葉遣いからすると「すべての人」のことです。主イエスは、すべての人の身代金として、ご自身の命をささげてくださったのです。「皆」「町中」「すべて」。主イエスはご自身のもとに集まってきたすべての人を癒されました。そこに例外はありません。私たちもまた一人の例外もなしに、主イエスのもとに来るとき、すべての重荷や思い煩いを主イエスに委ねることができます。病でさえも癒される、ということを信じ望んでよいのです。 ところが、このマルコによる福音書は一句を書き添えています。34節「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである」。主イエスは、神の独り子でした。そして、神の子としての権威をもって、病を癒し、悪霊を追い出されます。しかし、そのような目に見える不思議な業だけで、ありがたい救い主として受けとめられることを望んではおられないのです。まだ「時」が来ていないからです。十字架と復活によって、驚くべき救いの中身が現されるときまで、主はご自身の栄光を隠しておられるのです。しかし、いろいろなうわさが乱れ飛び、主イエスの周りが実に騒がしく思われる中で、ただ一人、ここで癒された女性ですが、その無言の証しによって、主イエスの救いを映し出し、主イエスというお方を指し示している人がいます。主イエスに手を取られ、主イエスに助け起こされ、主イエスに癒されて、仕える者とされた人です。黙々と主に仕え、一同をもてなしている一人の女性の姿を通して、救い主の真実が証しされています。仕えられるためではなく仕えるために来られた救い主、仕えることの究極として、ご自身の命を与えるために来られた救い主のお姿が映し出されているのです。「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」。現代に生きる私たちも、さまざまな熱の病に冒されているのだと思います。お金を求める熱病、名誉や地位を求める熱病に冒されていないでしょうか。もちろん他人事ではありません。私たちもまた、程度こそ違っても、自分自身のことにのみ熱中する罪の熱病におかされているのではないでしょうか。神よりも隣人よりも自分のことにこだわり、自分のためだけに生きようとする熱病に取り憑かれているのです。しかし、主イエスがそばに来てくださり、手を取って起こしてくださるとき、熱は去ります。そして、私たちが本当に自分を献げるべきお方を見いだすのです。熱から覚めて、主イエスに従う者としての歩みが始まります。主イエス・キリストと出会い、主の声を聴き、主に仕える礼拝の中から、新しい歩みが始まります。主に仕え、主にあって互いに仕え合う者たちの交わりが、ここから作られていくのです。

わたしは宣教する
 そして、33節には町中の人が戸口に集まったと、あります。その数は実際驚くべきものであったのでしょう。けれども主イエスは、こうした人達の悩みを聞き、病を癒し、人々を汚れた霊から解き放ったのです。おそらく相当の数の人々ですから、この騒ぎは夜遅くまで続いた事でありましょう。全ての人々が家路に着く頃には、もうすっかり夜もふけていたのではないでしょうか。主の傍らにおりました弟子達も、おそらくすっかり疲れ果てて眠りについたのでありましょう。夜遅くまで働かれた主イエスでありますけれども、朝早く起きてただ一人で人里離れた所へと向かわれたのであります。それは祈るためでした。シモン達は朝起き、主の姿が見当たらないので、皆で探し回り、ようやく町を離れた場所でただ一人祈っておられる主の姿を発見しました。主イエスは祈るために特別に一人になる時間を持たれたのであります。人里離れた所、それは「荒れ野」とも訳せる、そのような所にわざわざ出掛けたのです。そして、あの忙しい活動の合間に祈るための特別な時間と空間をご自分の生活の中に作り出されたのです。主イエスの驚くべき活動、その力ある業の秘密は、この「祈り」にあったのでしょう。父なる神に祈ることにより、主は癒しの力、悪しき思いを追い払う力を与えられていたという事であります。この主イエスは誰よりも忙しかった方であります。押し掛ける群衆はただ自分の事しか考えません。他の人の事は考えておられない。自分の問題を解決して欲しい。皆自分の要求だけを解決して欲しいと主イエスの元に集まります。主イエスはそれを全部聞いてあげる。どれほど多忙であったことでしょうか。しかし、多忙であるにもかかわらず、祈られたのではないのです。多忙であったからこそ主イエスは祈られたのです。主イエスが祈りをされる場面というのがいくつかあります。私たちが思い起こすのは、十字架を前にして、ゲツセマネで祈られるお姿です。マルコによる福音書14章36節で主イエスの祈りの言葉が記されているのはここだけです。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。十字架の苦しみを目前にして、主イエスは祈られるのです。この祈りの後、主イエスは逮捕されることになります。そのような時に、主イエスは、まさに父なる神の御心が行われることを祈っておられるのです。ご自分と父なる神との交わりの時間であり、私たち人間のために執り成して下さる主イエスの祈りでありました。そして主は私たちに祈ることをお命じになり、教会は祈る共同体であります。神に祈り求める群れであります。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言いました。するとイエスは言われました。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」主イエスは神の国の福音を宣べ伝えることを何よりも第一にされました。主イエスに癒しを求めた群衆は大勢おりました。けれども、主イエスはご自分が本当にすべき事柄のために、神様の御心にかなう目的のために、主は一つの町だけではなく、すべての町々、村々を歩まれたのです。この全世界の救い主として歩まれたのです。

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