主日礼拝

あなたこそ救い主

「あなたこそ救い主」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:詩編 第89編20-53節
・ 新約聖書:マルコによる福音書 第8章27-30節  
・ 讃美歌:15、165、521

エルサレムへの道
 礼拝においてマルコによる福音書を読み進めていますが、今私たちはこの福音書の中でも非常に大事な場面にさしかかっています。その大事な場面とは、本日の箇所の小見出しにもありますように、弟子のペトロが、主イエスこそメシア、救い主であられる、という信仰を言い表したということです。そしてさらに、次の31節以下には、主イエスがご自分の死と復活を予告し始められたことが語られています。この二つの場面をもって、マルコ福音書は新しい部分に入っていきます。多くの人々が、本日の8章27節にこの福音書の大きな区切りを見ているのです。ある人の言葉を借りれば、ここから「受難へと向かうイエス」のお姿が語られていきます。別の人の言い方によれば、ここから主イエスの「エルサレムへの道」が始まっているのです。エルサレムとはもちろん主イエスが十字架にかけられる所です。十字架の死への道を、主イエスはいよいよここから本格的に歩み始めておられるのです。  主イエスがエルサレムにおける十字架の死への「道」を歩んでいかれるということを、この福音書を書いたマルコは確かに意識しているようです。主イエスが歩んでいく「道」のことがこの後何度か語られていくのです。本日の所にもその言葉があります。27節に「その途中」とありますが、これは直訳すると「道において」となります。主イエスが歩んでおられる「道」が意識されているのです。そういう言葉がこの後何度か出てくるのです。主イエスが歩んでいくその道はエルサレムへと、十字架の死へと続いています。この後語られていく全てのことは、十字架の死へと向かって歩んでいかれるその道の途中での出来事なのです。

フィリポ・カイサリア
 さてしかし本日の箇所においては、主イエスは弟子たちと共に「フィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった」と語られています。「その途中」で起ったことが本日の話です。主イエスの歩んでおられる道は最終的にはエルサレムに至るのですが、ここにおける当面の目的地はフィリポ・カイサリア地方です。それはどこなのでしょうか。聖書の後ろの付録の地図の中の「新約時代のパレスチナ」を見ていただきたいのですが、ガリラヤ湖の北、この地図のほぼ一番北にフィリポ・カイサリアがあります。先週読んだ22節以下においては、主イエスはガリラヤ湖畔の町ベトサイダにおられました。そこからフィリポ・カイサリアへ向かわれたとすれば、その道は真北へと向かっています。エルサレムとは正反対の方向です。エルサレムへの道を歩んでおられる主イエスですが、当面は正反対のフィリポ・カイサリアへと向かっておられるのです。そういう回り道をわざとしておられるのです。それは何のためなのでしょうか。この後の所を読んでも、主イエスがフィリポ・カイサリア地方の人々に対してみ言葉を語られたとか、奇跡をなさったということは語られていません。その道の途中での弟子たちとの会話が本日の箇所に語られているのみです。弟子たちに何かを語り、教えることだけなら、フィリポ・カイサリアまで行かなくても、どこででもできたはずです。何故主イエスはフィリポ・カイサリアへ行かれたのでしょうか。それについては、後でもう一度振り返って考えたいと思います。

人々は、わたしのことを何者だと言っているか
 主イエスはこの道の途上で弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」という問いかけをなさいました。主イエスのことを何者だと言っているか、それはつまり、主イエスのことをどう思っているか、主イエスの教えやみ業をどう受け止めているか、主イエスとは自分にとってどのような人だと考えているか、ということです。世間の人々が主イエスのことをどう言っているか、それは弟子たちにとっても重大な関心事だったでしょう。彼らは主イエスを信じ、いろいろなものを投げ打って従って来たのです。その主イエスが周囲の人々によってどのように見られているか、好意的に見られているのか、否定的に見られ拒否されているのか、それはそのまま、主イエスに従っている彼ら弟子たちに対する世間の目でもあります。主イエスが好意的に、尊敬をもって見られているなら、弟子たちもそのように見られるし、主イエスが認められず拒否されているなら、弟子たちも冷たい目で見られているのです。このことは私たちにおいても同じであると言えるでしょう。主イエス・キリストという方が、あるいはキリスト教という宗教そのものが、世間の人々にどう見られているかによって、私たち信仰者に対する世間の目が違ってくるのです。ですから私たちにとっても、世間の人々が主イエス・キリストについて、あるいはキリスト教についてどう言っているかは重大な関心事です。日本の中でもこの横浜あたりは、開国と同時にキリスト教が最初に入ってきた地の一つだけあって、キリスト教や教会に対する世間の人々の目は比較的好意的だと思います。しかし私が以前おりました富山県などの北陸地方は、浄土真宗が大変強い地域で、キリスト教に対する偏見や否定的な見方が根強く残っています。お隣の石川県金沢市で長く牧師をなさった先輩の話なのですが、長年の付き合いによって親しくなった近所の人が、その牧師のことを他の人に紹介する時に、「この人はキリスト教だがいい人なんだ」と言ったのを複雑な思いで聞いた、とある本で書いておられました。「キリスト教だがいい人」という感覚は日本全体にはまだ根強く残っていると言えるでしょう。私たちもそういう世間の感覚に敏感です。弟子たちも、当時の世間の人々が主イエスのことをどう言っているか、その評判に一喜一憂していたのでしょう。それゆえに彼らは主イエスのこの問いに直ちに答えることができたのです。28節。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます」。

主イエスは優れた教師?
 ここから、当時の人々が主イエスのことをどのように見ていたかが分かります。第一は「洗礼者ヨハネの再来」ということです。主イエスの道備えをした洗礼者ヨハネはこの時既に、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって首を切られて死んでいました。そのヘロデ自身が主イエスのことを、「ヨハネが生き返ったのだ」と思って恐れていたことが6章14節に語られていました。そのように、主イエスのことを洗礼者ヨハネの再来と捉えていた人々がいたのです。またある人々は「エリヤだ」と言っていました。エリヤは旧約聖書に出てくる預言者の一人ですが、この世の終わり、神様のご支配の完成の前に、その先駆けとしてエリヤが再び現れる、という預言があります。その預言の成就として主イエスが現れたのだ、と思っていた人々がいたのです。またある人々は「預言者の一人だ」と言っていました。これは誰かの再来ではなくて、昔イスラエルの民の間で神様のみ言葉を伝えた預言者たちと同じような方として主イエスのことを捉えていた、ということです。これらの人々はいずれも、主イエスに対してある尊敬あるいは恐れを抱いていたのです。ファリサイ派の人々などは別として、一般の多くの人々は主イエスを、神様から遣わされた優れた教師として捉えていたのです。

それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか
 主イエスはこのように、世間の人々がご自分のことをどう思っているかとお尋ねになりました。それは、主イエスもやはりご自分の評判を気にしておられた、ということではありません。この問いは、次の29節の問いを弟子たちに投げかけるための準備だったのです。29節「そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』」。世間の人々がどう言っているかは分かった。しかし世間の人々はともかく、あなたがたは私を何者だと言うのか、あなたがたは私、主イエスのことをどのように見つめているのか、あなたがたにとって私はどのような者なのか、それを主イエスは問うたのです。この問いかけが今私たち一人一人にも向けられています。世間の人々が主イエスのことを、キリスト教のことをどのように見ているか、私たちはそれによって一喜一憂していますが、大事なのはそのことではなくて、私たち一人一人が、主イエス・キリストのことをどのように見つめているかです。世間が何と言おうと、自分にとって主イエス・キリストはこういう方である、ということが確立していないと、本当の意味で信仰があるとは言えないのです。

救い主メシア、キリスト
 「あなたがたは私を何者だと言うのか」という主イエスの問いに対して、ペトロが弟子たちを代表して答えました。「あなたは、メシアです」。このペトロの答えは以前の口語訳聖書では「あなたこそキリストです」となっていました。「メシア」と訳された言葉の原語は「クリストス」つまりキリストです。新共同訳がそれを「メシア」と訳したのは、「クリストス」という言葉の元のヘブライ語が「メシア」だからです。「メシア」がギリシャ語に訳されて「クリストス」となったのです。新共同訳はそれを元のヘブライ語に戻す仕方で翻訳したわけですが、それは日本語への翻訳とは言えません。「クリストス」は日本語で「キリスト」という言い方が定着しているのですから、ここは口語訳のように「あなたこそキリストです」と訳す方が適切です。しかしどう訳すかよりも大事なのは「キリスト」「メシア」という言葉の意味です。それは「油注がれた者」という意味です。旧約聖書において、神様によってある特別な任務に任命される時に、油を注ぐ儀式が行われました。例えば王として立てられる時に油が注がれたのです。本日共に読まれた旧約聖書の箇所、詩編第89編20節以下にそのことが語られています。その21節にこのようにあります。「わたしはわたしの僕ダビデを見いだし/彼に聖なる油を注いだ」。イスラエルの歴史における最も偉大な王であるダビデは、神様によって選ばれ、油を注がれて王として立てられたのです。神様はこのダビデに祝福を与えて下さり、彼の下でイスラエルは繁栄したのです。しかしこの詩の39節以下に語られているように、時代が下って今イスラエルは敵に攻め滅ぼされ、ダビデの時代の繁栄は跡形もありません。神様がイスラエルの民から祝福、繁栄を取り去ってしまわれたのです。しかしそれは主がダビデに油を注ぎ、王として立てて下さった時に既に予告されていたことでした。それがこの詩の31~33節です。「しかし、彼の子らがわたしの教えを捨て/わたしの裁きによって歩まずわたしの掟を破り/わたしの戒めを守らないならば/彼らの背きに対しては杖を/悪に対しては疫病を罰として下す」。彼の子ら、つまりダビデの跡を継いだ王たちが、神様の教えに従わず、偶像を拝んだりした罪のために、神様の祝福は取り去られ、イスラエルは滅ぼされてしまったのです。その苦しみの中でこの詩人は神様に向かって、「あなたはかつてダビデに油を注いで下さった時、このように約束して下さったではありませんか」と訴えています。それが34~38節です。「それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず/わたしの真実をむなしくすることはない。契約を破ることをせず/わたしの唇から出た言葉を変えることはない。聖なるわたし自身にかけて/わたしはひとつのことを誓った/ダビデを裏切ることは決してない、と。彼の子孫はとこしえに続き/彼の王座はわたしの前に太陽のように雲の彼方の確かな証しである月のように/とこしえに立つであろう」。詩人は神様に、あなたがダビデに油を注いで王として立てて下さった時になさったこの約束をどうぞ思い出して下さい、と願っているのです。このような切なる願いの中から、ダビデのように油注がれた者が再び立てられ、遣わされて、罪によって神様の祝福を失ってしまったイスラエルを救い、再び神様の民として立ち上がらせて下さることへの希望が生まれていきました。「油注がれた者」=メシア、キリストという言葉は、イスラエルの民の救い主を意味するようになり、その到来を待ち望む信仰が人々の間に根付いていったのです。  ペトロがここで「あなたはメシア、キリストです」と言ったことにはこういう背景があります。ペトロは、主イエスこそ救い主であられ、罪によって失われてしまった神様の祝福、恵みを回復し、神様の民を新たに集め、歩み出させて下さる方だ、という信仰を言い表したのです。その告白は、世間の人々が主イエスのことを預言者や教師としてある尊敬を込めて見つめていることとは質が違います。世間の人々にとって主イエスは、自分たちがその教えを聞いて、それを実行していくことによって、自分の力で救いを獲得するための手助けをしてくれる方でした。つまりこの人々にとって、人間の罪は大した問題ではなく、自分の力でどうにかできる事柄だったのです。それに対してペトロは、主イエスこそが救いを実現し、与えて下さる方であり、私たちは自分の力で罪からの救いを獲得することはできない、主イエスの力によってこそその救いは与えられるのだ、と語ったのです。世間の人々はどうであれ、この私にとって主イエスはこのような救い主だ、という信仰を、ペトロは弟子たちを代表してここで言い表したのです。

教会の信仰の土台
 このペトロの信仰告白こそ、イエス・キリストを信じる教会の信仰の根本であり、土台です。「イエス・キリスト」という言い方がそもそも、イエスこそキリスト、つまり救い主である、という信仰を言い表しています。「キリスト教」とは、イエスこそキリストであると信じる信仰なのです。イエスという人の教えを人生の教訓として聞き、そのみ業を模範としてそれに倣って生きようとすればそれがキリスト教信仰なのではありません。私たちは、主イエスをこそ自分の救い主と信じ、主イエスが実現し、与えて下さる救いをいただいて、主イエスと共に、その弟子として生きていくのです。そこに、キリストの教会が築かれていきます。ペトロのこの告白は、キリスト教信仰とは何であるかを明確に示している、キリスト教会がその上にこそ建てられていく土台なのです。

主イエスの問いかけによる招き
 ペトロはどうしてこのような、教会の土台となる信仰の告白をすることができたのでしょうか。ペトロが素晴しい信仰的感受性、あるいは洞察力を持っていたからそれが可能となったのでしょうか。そうではないでしょう。この告白は、ペトロが獲得したとか考えたと言うよりも、主イエスがペトロから引き出して下さったものです。そのことが29節の「そこでイエスがお尋ねになった」という言葉に込められていると思います。これは一見何の変哲もない文章ですが、実は原文においては、「彼が」つまり主イエスが尋ねた、ということが強調されているのです。それを生かして訳すなら「そこで主イエスご自身がお尋ねになった」としてもよいのです。つまりここに語られているのは、主イエスが問うてペトロが答えた、というだけのことではありません。主イエスが自ら、大きな強調を込めて、つまり全身全霊を傾けて、弟子たちに「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問いかけて下さったのです。ですからこの問いは、おざなりに、適当に答えておいて済むようなものではありません。主イエスはこの後の31節以下に語られていくように、多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺される、という十字架の死への道を歩み始めておられるのです。その命をかけた歩みの中で、「世間の人々はどうであれ、あなたは私を何者だと言うのか」と問うておられるのです。その問いかけは、主イエスが十字架の死へと向かう歩みによって成し遂げて下さる救いへの招きです。この救いを感謝していただくことにおいてのみ成り立つ主イエスとの真実な交わりへの招きです。主イエスの全身全霊を傾けての問いによってペトロは、主イエスこそ救い主です、という信仰の告白へと、つまり主イエスが与えて下さる救いをいただくことによって成り立つ主イエスとの真実な交わりへと招かれ、導き入れられたのです。  ペトロの信仰告白と、そこにおいて与えられた主イエスとの交わりが、主イエスの招きによって与えられたものであってペトロの信仰深さとか決意によって得られたものではないことは、この後のペトロの歩みを見れば明らかです。31節以下で、主イエスがご自分の受難を予告された時、ペトロは主イエスを連れ出していさめたのです。そして逆に主イエスから「サタン、引き下がれ」と厳しく叱られてしまったのです。ペトロは、主イエスがどのような仕方でメシア、キリスト、救い主であろうとしておられるのかを理解できてはいなかったのです。しかしそのように欠けの多い、不十分なペトロを、主イエスが、命をかけた問いかけによって招いて下さり、あの信仰の告白を与えて下さり、主イエスを人生の教師としてただ尊敬するのではなくて、主イエスが与えて下さる救いにあずかり、主イエスと共に、主イエスに従って生きる交わりへと招き入れて下さった、それがこのペトロの信仰告白の意味なのです。

皇帝礼拝のただ中で
 主イエス・キリストに「あなたこそ私の救い主です」と告白することは、主イエス・キリストを唯一人のかけがえのない主として信じ、その主にこそ従って生きる、ということでもあります。そこに、この告白がフィリポ・カイサリア地方でなされたことの意味があるのだと思います。この地方は、ヨルダン川の源流に位置する風光明媚な地です。そこには以前からギリシャの牧羊神である「パンの神」の神殿がありました。もともとその異教の神殿を中心とする地域だったのです。そしてクリスマスの物語に出てくるあのヘロデ大王が、このパンの神殿の近くに、ローマ皇帝アウグストゥスを祀る神殿を建てました。つまり今度は皇帝を神として祀る神殿の地となったのです。ヘロデの子であるフィリポがここを「カイサリア」と名付けました。「カイサル」つまりローマ皇帝の町という意味です。皇帝に捧げられた町カイサリアは他にもあって、地中海の沿岸には今も遺跡が遺っているカイサリアがあります。そこと区別するためにこちらのカイサリアは「フィリポ・カイサリア」と呼ばれるようになったのです。つまりここは、皇帝を神として祀り、皇帝に忠誠を尽くすことの象徴のような所です。主イエスは敢えてその地方に弟子たちと共に赴き、そこで「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問いかけ、ペトロのあの信仰告白を引き出されたのです。  このことは、「あなたこそキリスト、救い主です」という信仰の告白が、ただ心の中だけの内面的な事柄ではないことを私たちに教えています。「あなたこそ救い主です」という告白は、様々な権力、権威が支配しており、神ではないものが神として祀られ、その権威によって信仰の良心が踏みにじられていくようなこの世の現実のまっただ中でなされるのです。この告白に生きることは、このような現実の中で、まことの神のみを神とし、主イエスにのみ従っていくための戦いを伴います。そこには、主イエスを人生訓の教師として尊敬しているだけの人とは違う生き方が生まれます。主イエスを一人の教師として尊敬するだけならば、その教えの中で自分が良いと思うものだけを取り上げて、後は捨ててしまえばよいのです。主イエス・キリストを唯一人のかけがえのない主として信じ、その主にこそ従っていくことは必要ないのです。しかし私たちの信仰は、主イエスのみを主人とし、主イエスに忠誠を尽くして生きることです。ペトロがこの時はまだ、主イエスに真実に忠誠を尽くす信仰に生きてはいなかったことは、この後主イエスが捕えられ、裁かれた時に彼が、「そんな人は知らない、自分とは関係ない」と、主イエスとの関係を三度にわたって否定してしまったことから明らかです。しかしそのような裏切りをも含めた自分の罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、そして復活して下さった主イエスとの新たな出会いによって彼は、「あなたこそ救い主です」という信仰に本当に生きる者へと変えられていったのです。ペトロは最後はローマ皇帝の権力によって殉教の死を遂げたと言われています。主は、弱いペトロを招き、導いて、主イエスに忠誠を尽くす信仰の生涯を送らせて下さったのです。フィリポ・カイサリアにおいて、主イエスの問いかけに導かれて信仰を告白したことも、その主の導きの大事なステップだったのです。ペトロは皇帝の権力の下で死にましたが、最終的に勝利したのは、ローマ皇帝ではなくて、このペトロの告白を受け継ぎ、その上に築かれていったキリストの教会でした。今日、ローマ帝国はもはや歴史上の存在でしかありませんが、キリストの教会は世界中に、この日本にもこのように生きています。私たちを、そしてこの世界を、本当に支配し、導いているのは、人間の力、権力ではなくて、独り子主イエスをキリスト、救い主として遣わして下さった父なる神様なのです。この神様の恵みのご支配を信じて生きる信仰へと私たちを招くために、主イエスは今私たちにも、「あなたは私を何者だと言うのか」と問い掛けて下さっているのです。

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