夕礼拝

神を賛美するために戻る

説教題「神を賛美するために戻る」 副牧師 川嶋章弘

詩編 第100編1-5節
ルカによる福音書 第17章11-19節

エルサレムへ上る途中
 冒頭11節に「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」とあります。ここで私たちは改めて、主イエスがエルサレムへと向かっておられることを思い起こすのではないでしょうか。この福音書の9章53節で「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」と言われていました。9章53節以降、ルカによる福音書は、主イエスがエルサレムへ向かう旅の途上で起こった出来事を語ってきたのです。エルサレムへ向かう旅は19章27節まで続きます。10章に亘る長さですから、その中のどの箇所でも主イエスがエルサレムへ向かっていることに注目しているわけではありませんが、それでもルカ福音書は、本日の箇所の冒頭11節を含め、繰り返しこのことに私たちの目を向けさせてきたのです。主イエスがエルサレムへ向かっていたのは物見遊山のためではありませんでした。13章33節で主イエスはこのように言われていました。「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」。主イエスはエルサレムで死ぬために、エルサレムで十字架に架けられて殺されるためにエルサレムへ向かわれていたのです。本日の箇所でもその途上で起こった出来事が語られているのです。

サマリアとガリラヤの間
 11節は、主イエスがエルサレムへ向かう途上であったことに加えて、「サマリアとガリラヤの間を通られた」とも語っています。聖書の後ろに聖書地図がありますが、その6「新約時代のパレスチナ」を見ると分かるように、ガリラヤの南にサマリアがあり、さらにサマリアの南にユダヤがあり、その中心都市がエルサレムです。ですからガリラヤからエルサレムへ向かっていた主イエスが、ガリラヤとユダヤに挟まれたサマリアを通ったのは旅の道筋として自然なことです。しかしルカ福音書は、主イエスのエルサレムへの旅を地理的に正確に語ろうとしているわけではありません。ここでわざわざ「サマリアとガリラヤの間を通られた」と語っているのには別の理由があるのです。それはここで語られている出来事にサマリア人が登場するからです。ただしこのことは16節まで明らかにされません。なぜ明らかにされないのかは後ほど考えるとして、この出来事にサマリア人が登場するので、いわばその舞台設定として、「サマリアとガリラヤの間を通られた」と語られているのです。

サマリア人
 ルカ福音書には本日の箇所以外にもサマリア人が登場します。私たちは、「サマリア人」が登場する聖書の箇所を問われたら、本日の箇所より、10章25節以下で語られている、いわゆる「善いサマリア人」のたとえを挙げるのではないでしょうか。あるユダヤ人が、エルサレムからエリコへ下って行く途中で追いはぎに襲われ半殺しにされました。祭司もレビ人もその人を避けて通り、助けようとしなかったのに、あるサマリア人はその人を見て憐れに思い、近寄って助け、宿屋に連れて行って介抱した、という話です。この話のポイントの一つは、主イエスの時代にユダヤ人とサマリア人が敵対していたということです。このことは、本日の箇所の出来事においても重要な背景となっているに違いありません。だからこそわざわざこの箇所でサマリア人が登場するのです。そこでユダヤ人とサマリア人が敵対するようになった歴史的経緯について、簡単にお話ししておきます。旧約の時代に遡りますが、ソロモン王の死後、王国は北王国と南王国に分裂しました。エルサレムが南王国の首都であったのに対してサマリアは北王国の首都でした。紀元前8世紀に北王国は、アッシリア帝国によって滅ぼされます。アッシリアが北王国に対して行った政策は極めて厳しいものでした。北王国の人たちをアッシリアに連れて行くだけでなく、アッシリア帝国の各地から色々な国の人たちをサマリアに強制移住させたのです。この政策によって、サマリアに残った人たちと強制移住させられた外国人との間に生まれた人たちが、後の「サマリア人」と考えられています。彼ら自身は自分たちが北王国の生き残りの子孫でありユダヤ人であると考えていましたが、捕囚から帰還した南王国の子孫の人たちは、彼らをユダヤ人とは見なさず外国人と見なしたのです。このようにしてユダヤ人とサマリア人は決裂し、対立していくことになります。先ほどの9章51節のすぐ後、53節では、サマリア人が自分たちの村に入ってきた主イエスを歓迎しなかったと語られていますが、サマリア人は主イエスだから歓迎しなかったのではありません。主イエスが敵対していたユダヤ人だから歓迎しなかったのです。このようにそれまでの歴史的経緯からユダヤ人とサマリア人の間には深い確執があったのです。

重い皮膚病
 さて、ガリラヤとサマリアの間を通られた主イエスがある村に入ると、重い皮膚病を患っていた十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言いました。「重い皮膚病」については旧約聖書のレビ記13-14章に記されています。また聖書の後ろにある付録の「用語解説」にも「重い皮膚病」という項目があります。そこに記されているように、「重い皮膚病」と訳されている言葉は、人に対して用いられる場合、何らかの皮膚の病気を指していますが、しかしそれがどんな病気であったかは明らかではありません。つまり私たちが知っているいかなる病名も当てはめることはできないのです。かつてこの言葉は「らい病」と訳されていました。今で言うところのハンセン病です。しかしそれはまったくの誤りです。私たちはこの誤りのために、傷つき苦しんだ方々がいらっしゃることを忘れてはならないのです。

共同体の外で孤立する
 大切なことは重い皮膚病を患っている人は、共同体の外で孤立して生活しなければならなかった、ということです。レビ記13章45-46節にこのようにあります。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」。重い皮膚病を患っている人は、社会生活を営むことができず、共同体の外で孤立して生活しなくてはならなかったのです。主イエスを出迎えた十人の人が、遠くの方に立ち止まったまま声を張り上げたのも、この人たちが主イエスに近づくことができなかったからに違いありません。この村そのものが共同体の外にあったのか、それとも村の中に共同体から隔離された人たちの暮らす場所があったのかは分かりませんが、いずれにしてもこの十人は、深い苦しみと孤独の中にあったのです。その中でこの人たちは主イエスに向かって「憐れんでください」と叫んだのです。この福音書の5章12節以下でも主イエスが重い皮膚病を患っている人を癒やされたことが語られていました。この十人はその噂を聞いたのかもしれません。それで主イエスが村に入ってくると、主イエスの憐れみを求めて叫んだのです。
 私たちもこのような状況に直面することがあります。それはもちろん重い皮膚病を患っているかどうかの問題ではありません。そうではなく病や怪我によって、あるいはほかにも色々な事情によって、私たちも社会生活を営むことができなくなることがある、ということです。具体的なことを言えば、学校に行けなくなったり、仕事ができなくなったり、仕事を辞めなくてはならなくなったりします。そのことを通して人との結びつきが切れてしまうことによって孤立してしまうことがあるのです。私たちにとって共同体の外とは物理的な場所ではありません。むしろ社会生活を営めなくなることによって、今まで生活していた場所で孤立してしまうのです。つまり今まで生活していた場所が共同体の外になることがある、ということです。そのような状況に直面するとき、私たちは深い苦しみと悲しみ、孤独、焦りや苛立たちを覚えずにはいられません。その中で私たちも主イエスに憐れみを求めて叫ぶのではないでしょうか。

祭司のところに行きなさい
 「わたしたちを憐れんでください」という十人の叫びを聞いた主イエスはその人たちを見て、このように言われました。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」。レビ記13-14章を読むと分かりますが、「重い皮膚病」は病気というより、宗教的な汚れとして扱われています。ですから重い皮膚病であるかどうかの判断は、祭司が行いました。体を調べて重い皮膚病と判断した場合、祭司はその人に「あなたは汚れている」と言い渡しました。また「重い皮膚病」が治ったかどうかの判断も祭司が行いました。体を調べて治ったと判断した場合、祭司はその人に「あなたは清い」と言い渡しました。その人は、その後、清めの儀式を受けると宿営に戻ることができました。共同体へと、社会生活へと戻ることができたのです。ここで主イエスが「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われているのは、そのためです。祭司に自分の体を調べてもらい、「重い皮膚病」が治ったと判断してもらい、「あなたは清い」という宣言を与えられて、共同体へと、社会生活へと戻るよう導かれたのです。

主イエスの言葉を信じて歩み出す
 主イエスにそのように言われた十人はどうしたのでしょうか。14節の終わりに「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」とあります。この一文に私たちは注目したいと思います。この十人は、祭司のところ(おそらく神殿)へ行く途中で清くされました。重い皮膚病が治ったのです。祭司のところへ行く途中で治ったということは、主イエスの言葉を聞いて、祭司のところに向かったときには、まだ治っていなかった、ということです。皮膚に色々な症状が出る病気ですから、治れば皮膚の症状もなくなるので、自分でもすぐに気づけたに違いありません。実際15節に「その中の一人は、自分がいやされたのを知って」とあるように、この人は自分の病気が治ったことに気づいたのです。「知って」と訳されている言葉は、14節の「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て」の「見て」と同じ言葉ですから、この人は自分の皮膚の症状が治まったのを見て、自分の病気が癒されたことを知ったのです。治ったのが見てすぐに分かるなら、治っていないのも見てすぐに分かります。ですから十人はまだ治っていないのに、皮膚の症状が治まるのをまったく見ていないのに、主イエスの言葉を聞いて、祭司のところへ向かったのです。
 ここに主イエスの言葉を信じるとはどういうことかが示されています。主イエスの言葉を信じるとは、主イエスの言葉を聞き、まだ自分の目には見えなくても、分からなくても、それが必ず実現すると信じて歩み出すことです。この十人は、症状が治まったのを見たから祭司のところに向かったのではなく、症状が治まる気配もないときに祭司のところへ向かいました。症状が治まっていなければ、祭司のところへ行っても無駄だから、症状が治まってから行ったほうが良いとか、せめてその気配が見えてから行ったほうが良いとか、あれこれ言い訳することなく、主イエスの言葉を信じて歩み出したのです。主イエスの言葉を信じるとは、そういうことです。私たちは自分で理解して納得できたら主イエスの言葉を信じるようになるのではありません。そうではなく、まだ自分では理解も納得もできていないときに、主イエスの言葉を聞いて、その言葉が実現すると信じて、その言葉に従って歩み始めるのです。その歩みの中で私たちは主イエスの言葉が実現していくのを体験します。主イエスが言われたことへの理解と納得が与えられていくのです。症状が治まっていなければ祭司のところへ行っても無駄だからというように、まだ確証を持てないから、まだ納得できないからと言い訳するのではなく、私たちは礼拝で与えられる主イエスの言葉を信じ、それに従って歩み出したいのです。

戻って来た一人はサマリア人
 このようにこの十人は誰もが主イエスの言葉を信じ、歩み出した者たちでした。しかし祭司のところへ行く途中で病が治ったとき、主イエスのところに戻って来たのは十人の中のたった一人でした。十人の中の一人だけが「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た」のです。「そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝」しました。ここでルカ福音書は、この一人がサマリア人であったことを明らかにします。十人の中にこの人以外にサマリア人がいたのかは分かりませんが、わざわざ16節で、「この人はサマリア人であった」と語っていることを考えれば、戻って来なかった九人はユダヤ人であったのではないでしょうか。出来事が進んでいく中で、十人の中の一人がサマリア人であることを明らかにし、その一人だけが主イエスのところに戻って来たと語ることを通して、ユダヤ人とサマリア人が取った行動の違いを描き出しているのです。

救いは主イエスのもとに
 このサマリア人が神様を賛美しながら主イエスのもとに戻って来ると、主イエスはこのように言われました。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。そして主イエスはこのサマリア人に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われたのです。先ほど申したように十人とも主イエスの言葉を信じて、歩み出しました。主イエスの言葉を拒んだ人は一人もいなかったのです。しかし「あなたの信仰があなたを救った」と主イエスから告げられたのはこのサマリア人だけでした。このサマリア人とほかの九人の違いはどこにあるのでしょうか。十人とも癒されたにもかかわらず、一人だけが「救われた」と告げられているということは、癒しと救いは違うということです。十人とも主イエスの言葉を信じて歩み出す中で癒されましたが、それは癒しであって救いではありません。主イエスの言葉を信じて歩む中で、神様のみ業によって癒されても、それが救いではないのです。主イエスのもとにこそ救いはあるからです。このサマリア人は「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」と言われていますが、それは主イエスを礼拝したということです。主イエスを礼拝するところにこそ救いはあるのです。「あなたの信仰があなたを救った」と言われている「あなたの信仰」とは、このサマリア人の信仰とは、神様のみ業によって癒されたことに感謝して、神様を賛美するために主イエスのところに戻って来て、主イエスを礼拝したことです。この信仰がサマリア人を救ったのです。

神を賛美するために戻る
 私たちもこの十人と同じように色々な事情によって社会生活を営めなくなることがあります。そのことによって孤立してしまい、深い苦しみと悲しみ、孤独の中で、主イエスに憐れみを求めて礼拝に来るのではないでしょうか。そして礼拝で主イエスの言葉を与えられ、それを信じて歩み出す中で神様のみ業を体験します。苦しみや悲しみ、孤独からの解放を体験するのです。それは、状況が変わって社会生活を取り戻せることであるかもしれないし、状況が変わらずいぜんとして社会生活を取り戻せなくても、受けとめ方が変えられるということであるかもしれません。苦しみ、悲しみの現実は変わらなくても、その受けとめ方が変えられることがあるのです。あるいは社会生活が回復できなくても、人との結びつきが回復され孤立から解放されることもあります。そのようにして私たちは神様のみ業を体験するのです。しかしそこで「楽になって良かった」と思って終わってしまうのであれば、私たちはほかの九人と同じです。神様のみ業を体験しても、それが神様の救いにあずかることではありません。ですから私たちは、ほかの九人ではなくサマリア人のように、神様のみ業を体験して、そのみ業に感謝して、神様を賛美するために主イエスのところへ、礼拝へと戻って来る必要があるのです。その礼拝においてこそ、主イエスは私たちに「あなたの信仰があなたを救った」と告げてくださるのです。

敵対する者を救われる神の愛に触れて
 それにしてもこのサマリア人が、ほかの九人のユダヤ人と違って主イエスのもとに戻ってきたのはなぜでしょうか。ほかの九人よりも神様を賛美しようという思いが強かったからでしょうか。そうであれば私たちは神様を賛美するために毎週礼拝に来るよう頑張ることが大切、ということになるのでしょうか。それも大切には違いありません。しかし私たちはいくら頑張ろうと思ってみても、ちょっとしたことで頑張れなくなるのではないでしょうか。礼拝に出席しなければいけない、という自分の決意だけで、私たちは礼拝生活を続けられるわけではないのです。このサマリア人がほかの九人のユダヤ人と違ったのは、ほかの九人より神様を賛美する思いが強かったというようなことではなく、もっと別のことです。主イエスによって十人が癒されたことに変わりはなくても、このサマリア人だけは、主イエスがご自分と敵対しているサマリア人を癒してくださった、と受けとめたのではないでしょうか。ユダヤ人である主イエスが、ユダヤ人と敵対しているサマリア人である自分を癒してくださった、と受けとめたのです。このことは、ほかの九人のユダヤ人が決して受けとめなかったことです。そして主イエスが敵対している自分をも癒してくださることに、その癒しのみ業に、このサマリア人は神様の憐れみと神様の愛を見たのです。敵対している者をも癒される神様の憐れみと愛に触れたからこそ、このサマリア人は祭司のところに行くのを後回しにして、つまり社会生活へ戻ることを後回しにして、なによりもまず神様を賛美するために主イエスのところへ戻り、主イエスを礼拝したのです。このサマリア人がほかの九人と違ったのは、この人だけがご自分に敵対している者をも救われる神様の愛に触れたことです。この神様の愛こそがサマリア人に、そして私たちに神様への本当の感謝と賛美を引き起こします。この神様の愛こそが私たちを礼拝へと招き続けるのです。主イエスは、今、エルサレムへと、十字架へと向かわれる途上にあります。それは、ご自分に敵対する者のために十字架の死へ向かっているということです。その途上において、このサマリア人は、敵対する者を救うためにご自分の命を差し出される主イエスの愛に、独り子を十字架に架けるほどの神様の愛に触れたのです。

立ち上がって、行きなさい
 毎週の礼拝で神様の愛に触れている私たちに、「立ち上がって、行きなさい」というみ言葉が告げられています。私たちは平日の歩みの中でたくさん傷ついてしまい、疲れ切ってしまうことがあります。うずくまるしかないこともあります。しかし礼拝でみ言葉を通して示される、ご自分に敵対する者を救われる神様の愛が、そのような私たちを癒し、力づけ、立ち上がらせるのです。主の日毎に神様を賛美するために主イエスのもとに、礼拝へと戻ってくる私たちに、神様の愛が豊かに注がれて、私たちは傷ついていたのに癒やされ、疲れていたのに力を与えられ、うずくまっていたのに立ち上がるのです。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と主イエスから告げられて、私たちはこの世へと、平日の歩みへと遣わされていくのです。

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