「主イエスの後ろに」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書: イザヤ書 第35章1-10
・ 新約聖書: ルカによる福音書 第23章26-31節
・ 讃美歌:11、295、512
十字架刑の始まり
ローマ帝国のユダヤ総督ポンティオ・ピラトによって、主イエスに十字架の死刑の判決が下りました。本日ご一緒に読む箇所は、判決が下された総督の官邸から、十字架の処刑が行われた場所、他の福音書によればゴルゴタと呼ばれる所ですが、そこまで主イエスが引かれていったという場面です。十字架の死刑の判決を受けた囚人は、自分が架けられる十字架を担いで処刑場まで歩かなければなりませんでした。また他の福音書には、その前に鞭で打たれたと語られています。鞭打ちによって心身共にへとへとになった身で、なお十字架を担いで歩かされる、十字架の死刑はそこから既に始まっているのです。
キレネ人シモン
主イエスが処刑場へと引かれていくこの場面に、何人かの人々が登場しています。一人は「シモンというキレネ人」です。この人は「田舎から出て来た」とありますから、もともとエルサレムに住んでいた人ではありません。何のためにエルサレムに出て来ていたのか分かりませんが、一つの可能性としては、今行われているユダヤ人の最大の祭り、過越祭を祝うために巡礼に来ていたのかもしれません。そしてせっかく来たエルサレムの町をあちこち見て回っているうちに、主イエスが引かれていくところに出くわしたのかもしれません。とにかくたまたまそこにいた彼は、主イエスを引いていく人々、つまりローマの兵士たちによって人々の中から選び出されて、主イエスが担いでいた十字架を背負わされたのです。鞭打ちによって体力を消耗し切った主イエスには、もう十字架を担う力が残っていなかったのです。死刑囚の代わりに十字架を担いで歩くことなど誰もしたいとは思いません。シモンは、兵士たちによって無理やり引っ張り出されて、お前がこの男の十字架を担いでいけと命令されたのです。それは彼にとってとんでもない災難でした。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、と思ったでしょう。しかしローマの兵隊に逆らうと何をされるか分かりません。彼はいやいやながら、主イエスの十字架を担いで、主イエスの後ろを歩いていったのです。
民衆
他にもこの場面に登場している人々がいます。27節の「民衆と嘆き悲しむ婦人たち」です。「民衆」という言葉は、先週読んだ13節にも出て来ました。ピラトが主イエスの裁判において、主イエスを訴えた祭司長たちや議員たちと共に民衆を呼び集めたと語られていました。先週読んだように、ピラトはイエスに死刑に当たる罪があるとは思っていません。だから何とかしてイエスを釈放しようとしていたのです。彼が民衆を呼び集めたのは、祭司長たちや議員たちの意に反して彼らがイエスの釈放を支持し、求めることを期待してのことだったのかもしれません。しかし結果的には、彼ら民衆たちが、イエスではなくバラバを釈放することを求め、イエスを「十字架につけろ」と叫び続けたのです。その民衆たちの声によって、ピラトは主イエスに死刑の判決を下しました。ですからこの民衆たちは、主イエスを十字架につけることを求めた人々です。彼らは、自分たちが十字架につけることを求めたその男の最後を見届けようとして、ぞろぞろとついて来たのです。
嘆き悲しむ婦人たち
しかしその民衆たちの中に、「嘆き悲しむ婦人たち」がいたと語られています。この人たちは28節の主イエスのお言葉から分かるように、泣いていたのです。主イエスが十字架の処刑へと引かれていくのを敵意と憎しみの目で見つめている民衆の中に、嘆き悲しみ、涙を流している女性たちがいたのです。この婦人たちがどのような人々だったのかについては、いろいろな説があります。一つは、この人々は主イエスに従ってガリラヤからずっと共に旅をし、その一行の世話をしていた婦人たちだ、という説です。49節に「ガリラヤから従って来た婦人たち」が主イエスの十字架の死を遠くに立って見ていたとあります。ここに出てくるのもこの婦人たちだと考えるのです。つまり彼女たちを、主イエスの苦しみを純粋に嘆き悲しみ、涙を流している人々として理解するという読み方です。しかし他方に、この人たちはいわゆる「泣き女」であって、葬式など人の死の場面において派手に泣いてみせることによって嘆きを表すことを習慣としていた人たちだったのではないか、という考え方もあります。十字架の死刑が行われる時に、誰もその囚人のために嘆いてやらないのはかわいそうなので、「泣き女」たちがその引かれていく沿道で嘆いてやっていたのではないか、というのです。そうであれば彼女たちの「嘆き悲しみ」は心からのものではない、主イエスを信じる信仰のゆえにその苦しみと死を嘆き悲しんでいるのではない、ということになります。28節で主イエスが彼女らに「エルサレムの娘たち」と呼びかけていることからして、ガリラヤからずっと従って来た人たちだったとは考えにくい、ということがあります。またそのガリラヤから従って来た婦人たちは49節で「遠くに立って」いたと語られているわけで、その人たちが、主イエスが引かれていくこの場面においては言葉を交わせるほど近くにいるというのは不自然だとも言えます。これらのことから、この人たちは「泣き女」だったという読み方の方が当っているようにも思われます。しかしこれはどちらかに決めなければならないようなことではないと思います。そのことについては後で触れたいと思います。
主イエスに従った人々
このように、主イエスが処刑場へと引かれていったことを語っているこの箇所にはいろいろな人々が登場しているわけですが、彼らにはある共通点があります。それは、彼らが引かれていく主イエスの後に従って歩んだ、ということです。シモンは主イエスの十字架を無理矢理背負わされて、「イエスの後ろから運ばせ」られたのです。彼は十字架を背負って、主イエスの後ろを、その後に従って歩いたのです。また民衆と嘆き悲しむ婦人たちも、「イエスに従った」と語られています。「従った」という言葉は、弟子たちが主イエスに「従った」という時に使われるのと同じ言葉です。つまりここには、主イエスが十字架の処刑の場へと引かれて行った、その主イエスの後に従って歩んだ人々のことが語られているのです。シモンも、民衆も、そしてこの婦人たちを「泣き女」と考えれば彼女らも、主イエスの弟子ではありません。その人々がイエスに「従った」と言うのは不自然です。しかしルカは敢えてそのような語り方をしているのです。そこに、この福音書を書いたルカがこの場面において語ろうとしていることが見えてくると思います。ルカはここで、主イエスに従う弟子たちのことを、つまり信仰者のことを語ろうとしているのです。信仰者が、主イエスに従っていく者となるときにどのようなことが起るのか、また従っていくその歩みにおいて何が求められるのか、をこの箇所は語っているのです。
十字架を背負って主イエスに従う者
シモンのことから見ていきたいと思います。彼は先ほども申しましたように、主イエスの弟子だったわけではありません。おそらく主イエスと会ったこともなかっただろうと思います。たまたまそこに居合わせたのです。主イエスがもう十字架を背負う力がない、と兵士たちが判断したその時に、たまたま近くにいたために、彼が選ばれたのです。兵士たちにすれば、十字架を担いでゴルゴタまで歩くことができさえすれば誰でもよかったのです。こいつなら出来そうだ、とたまたま目に入ったシモンが引っ張り出されたのです。そのようにして彼は、負いたくもない十字架を無理矢理背負わされました。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、とんだ貧乏くじを引かされた、と思ったに違いありません。しかしルカはこのシモンの姿に、主イエスに従う信仰者の姿を見ているのです。この福音書の9章23節で主イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とおっしゃいました。また14章27節でも「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」とおっしゃいました。十字架を背負って主イエスについていく、それが弟子たる者の、つまり信仰者のあり方だと繰り返し語られてきたのです。その弟子としてのあり方を文字通り具体的に実行したのがこのキレネ人シモンだったのです。
実行した、と申しましたが、彼は自分から進んで主イエスの十字架を背負ったわけではありません。自分の意志によってではなく、無理矢理背負わされてしまったのです。しかしまさにそこにこそ、ルカが彼の姿に信仰者のあり方を見た理由があると言えると思います。十字架を背負って主イエスに従うことが信仰ですが、「よしこれから十字架を背負って主イエスに従っていこう」と最初に決心して信仰者となった、という人はいないのではないでしょうか。私たちはいろいろなきっかけによって教会に集うようになり、主イエス・キリストと出会い、その中で主イエスこそまことの神であり救い主であられる、この方と共に生きることにこそ真実の救いが、喜びが、慰めがある、と信じるようになって洗礼を受けるのです。そしてそのように主イエスを信じる者となっていく中で、救いの喜びに生きることは同時に自分の十字架を背負って主イエスに従うことでもあるのだ、ということに気付かされていくのです。いやむしろ気が付いたら、自分の十字架を既に背負って歩み出していた、というのが私たちの実感なのではないでしょうか。こういう十字架を背負って従おうと自分で決意するのではなくて、主イエスの救いにあずかって生きていく中で、救いの喜びと共に背負うべき十字架が与えられていることを示されていくのです。ですから私たちは誰もがある意味で、自分の意志によってではなく、十字架を背負わされるのです。なぜ自分がこんな十字架を背負わなければならないのか、と思うことがあります。こんなはずではなかった、とさえ思うのです。しかしそこで、その十字架を放り出すのではなくて、「自分の十字架を背負って私に従いなさい」という主イエスのお言葉を聞き、自分でも改めて与えられた十字架を自覚的に背負う者となる、私たちは誰もがそのようにして信仰者となっていくのではないでしょうか。シモンにもそういうことが起ったのだと思います。「キレネ人シモン」という名前がこうして残されています。マルコ福音書では彼が「アレクサンドロとルフォスとの父」であるとも語られています。つまりマルコ福音書が書かれた教会において、シモンとその二人の息子たちが知られていたのです。それは、シモンが後にキリスト信者となり、教会の一員となったことを示しています。シモンは、主イエスの十字架を無理矢理に背負わされ、主イエスの後を歩んだ、その体験がきっかけとなり、主イエスの復活の後、信仰者となったのです。本当の意味で、十字架を背負って主イエスに従う者となったのです。そのように彼の人生を変える出会いがここで与えられたのです。
自分のためにこそ泣け
さて、シモンと同じように、引かれていく主イエスに従ったと語られている人々、それが民衆と嘆き悲しむ婦人たちです。民衆の方は先ほど申しましたように、自分たちが十字架につけろと要求したイエスの最後を見届けようとしてついて来たのです。しかしその中に、嘆き悲しむ婦人たちがいました。この婦人たちに、主イエスが語りかけたお言葉が本日の箇所の後半、28節から31節です。28節の冒頭に、「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた」とあるように、このお言葉は嘆き悲しみつつ泣いている婦人たちに対して語られたものです。既に十字架を背負う力のなくなっていた主イエスが語られたにしてはずいぶん長いお言葉だとも感じます。しかし語られていることは単純です。28節の、「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」、このことを主イエスは語っておられるのです。29節以下はその理由です。この婦人たちがどういう人々だったのかは議論があると先ほど申しました。しかしいずれにしても、彼女らは十字架につけられるために引かれていく主イエスのために嘆き悲しみ、泣いていたのです。しかし主イエスは、あなたがたが本当に嘆き悲しみ、泣かなければならないのは私の苦しみや死ではない、あなたがた自身と子孫たちのためにこそ、嘆き悲しみ、泣くべきなのだ、とおっしゃったのです。なぜならば、人々が「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来るからです。イスラエルの女性たちにとって、子供を産み、育てることができることは神様の祝福の印でした。逆に子供が与えられないことは嘆き悲しみの原因だったのです。だから「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は不幸だ」というのが通常の感覚なのです。ところが、それらの人々の方が幸いだ、と言う日が来る、それは、21章23節に語られていたのと同じことです。そこにはこうありました。「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである」。つまり神様の怒りによる裁きの日には大きな苦しみが襲う、その時には、子供をかかえている人の方がより大きな苦しみを負うことになる、ということです。30節も、この裁きの日を見つめての言葉です。ここには旧約聖書ホセア書10章8節が引用されていますが、ホセア書も、神様の裁きが下る時には、山や丘が自分の上に崩れてきて生き埋めにされてしまう方がまだましだと思うような苦しみが襲う、と言っているのです。31節の「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」というお言葉はちょっと難しいですが、おそらく「生の木」とは主イエスのことで、主イエスでさえこのような十字架の苦しみを受けなければならないなら、「枯れた木」であるあなたがたにはいったいどんな災いが下るだろうか、ということを言っているのでしょう。神様の裁きの日が来たら、罪人である私たちと私たちの子供たちはどんなに厳しい裁きを受けなければならないか、そのことを見つめ、そのためにこそ嘆き悲しみ、泣け、と主イエスは言っておられるのです。
自分の罪を見つめる―信仰者のあり方
つまりこの婦人たちに主イエスがおっしゃったのは、あなたがたが本当になすべきことは、私の苦しみと死に同情して嘆き悲しみ、涙を流すことではなくて、あなたがた自身の罪と、それに対する神様の怒り、裁きにこそ恐れおののき、その罪を悔い改め、神様に赦しを求めることなのだ、ということです。主イエスへの同情の涙ではなく、悔い改めの涙をこそ流せ、ということです。自らの罪の深刻さを思い、嘆き悲しみ、その赦しを求めて悔い改めの涙を流すことこそ、主イエスに従っていく弟子、信仰者としての歩みにおいてなされるべきことだ、ということをルカはこの話によって語っているのです。そしてこのことを見つめていく時に、先ほど申しました、この婦人たちとはどのような人々だったのかについての二つの説は、どちらか一つに決めなくてもよい、ということが見えてきます。つまり、彼女たちがもともと弟子たちの仲間の女性たち、つまり信仰者であったと考えるならば、ここには、主イエスを信じて従っていく信仰において、主イエスの十字架の苦しみと死とをどのように受け止めるべきかが教えられているということになります。主イエスの十字架の苦しみと死は、イエス様はなんとひどい目に遭われたのか、おいたわしや、と同情するべきものではないし、あるいは、弱い者、貧しい者と共に生きて下さった主イエスを、この世の権力者、富める者、力のある者たちが十字架につけてこのような苦しみを与えた、けしからんことだ、私たちも主イエスに倣って弱い者、貧しい者と共に生きるべきだ、という教訓とするべきものでもなくて、自分自身の罪をこそそこに見つめるべきものなのです。つまり主イエスの十字架の苦しみと死は、私たち自身の罪を主イエスが全て背負い、引き受けて死んで下さったという出来事なのであって、その悲惨さは私たち自身の罪の結果なのです。主イエスの苦しみに自らの罪をこそ見つめ、その赦しのために主イエスが十字架への道を歩み通して下さったことを見つめ、その主イエスの後ろに従っていくことこそが、主イエスを信じ従っていく信仰者のあり方なのです。
自分の罪を見つめる―信仰の始まり
他方、この婦人たちを「泣き女」と考えるとしたら、そこには主イエスを信じる信仰は前提とされていないことになります。彼女たちは、十字架につけられて殺されるという悲惨な死に方をしようとしている囚人に同情して嘆き悲しみ、涙を流しているというわけです。つまり彼女たちは、主イエスを神の子、救い主と信じる信仰なしに、主イエスの十字架の苦しみと死を見つめているのです。それは信仰に入る前の、いわゆる求道者として信仰を求めて教会に集うよりも前の、世間一般のという言い方はあまりよくないかもしれませんが、信仰者ではない人々の目で見ているということです。そのような目で見た時に、主イエスの十字架は、なんと悲惨な残酷な苦しみだろうか、かわいそうに、と感じられるのです。同情心の深い人は涙を流すこともあるでしょう。それが人間としての自然な感覚なのです。しかし主イエスは、そのように同情し、涙を流す人々に、「本当に涙を流すべきなのは、私のためではなくて、あなたがた自身のためなのだ。私の十字架を見つめる時に、そこにあなたがた自身の罪をこそ見つめ、悔い改めて神様の赦しをこそ求めていくべきなのだ」と語りかけておられるのです。主イエスの悲惨で残酷な十字架の死に、自分自身の罪の結果をこそ見つめるようになること、それが信仰の始まりです。それは同時に、主イエスの十字架の死によって自分の罪が赦され、救いが与えられていることを見つめることでもあるのです。
あのキレネ人シモンも、そのことを体験したのではないでしょうか。彼は主イエスの十字架を無理矢理背負わされ、主イエスの後ろを、主イエスの背中を見つめながらゴルゴタまで歩きました。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか、という不平不満を最初は覚えたでしょう。また、十字架につけられて処刑されようとしているこの男はなんと惨めな、可哀想なやつだろうか、と同情したかもしれません。しかし、主イエスが処刑の場まで引かれていくそのお姿を後ろから見つめながら、その主イエスがつけられようとしている十字架の重さを自分の肩に感じながら歩いたことによって、彼は、自分の、そして人間たちの、罪の悲惨さとその重さを見つめ、感じるようになっていったのではないでしょうか。本当に嘆き悲しみ涙すべきことは、この人が十字架につけられて殺されることでも、自分がその十字架を背負わされたことでもなくて、自分自身の罪の深さなのだ、そのことを彼は漠然とながら感じ取ったのではないでしょうか。そしてその漠然とした感覚は、主イエスの復活を経て、主イエスの十字架による罪の赦しと、復活による永遠の命の約束を信じる確固たる信仰へと実を結んでいったのです。主イエスの十字架の苦しみと死に自分自身の罪を見つめて嘆き悲しみ涙することは、私たちが主イエスを信じる信仰者となることにおいて決定的です。またそれは私たちが信仰者として歩み続けることにおいても決定的です。主イエスの十字架の苦しみと死に自分自身の罪の結果を見ることによってこそ私たちは、その主の十字架によって贖われ、解き放たれ、涙を拭われて、先立って歩んで下さる主の後に従って、喜び歌いつつ歩み続けることができるのです。