説 教「キリスト者と呼ばれる」副牧師 川嶋章弘
旧 約 詩編第89編20-26節
新 約 使徒言行録第11章19-30節
アンティオキア教会の誕生と成長
使徒言行録を読み進めて、本日は11章の後半を読みます。この箇所では、アンティオキア教会の誕生と成長が語られています。そのように言われても、あまり驚きを感じないかもしれません。これまでも使徒言行録はエルサレムだけでなく、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアで、多くの教会が誕生してきたことを語ってきたからです。その延長上にアンティオキアで教会が誕生したとしても不思議ではないように思えるのです。しかしアンティオキア教会の誕生は、これまでの教会の誕生とは決定的に異なるものでした。これまで誕生した教会がエルサレム教会の肢として、エルサレム教会に連なる教会として誕生した、と言うことができるのに対して、アンティオキア教会は、エルサレム教会とは独立した教会として誕生した、と言うことができます。このことはキリスト教会の歴史において重大な出来事でした。本日は、この出来事に目を向けていきたいのです。
アンティオキア
そもそもアンティオキアとはどのような街であったのでしょうか。聖書の後ろにある聖書地図11「パウロの第一次および第二次宣教旅行」を見ますと、アンティオキアの位置が分かります。カイサリアから地中海の東岸に沿って500キロメートルほど北上したところにある街です。エルサレムからも同じぐらい離れていることになります。紀元前300年頃にセレウコス朝シリアの創始者によって建設され、シリア王国の首都として繁栄しました。紀元前64年以降はローマ帝国の支配下に入りましたが、属州シリアの首都となり、ローマ、アレキサンドリアに次ぐローマ帝国第三の都市として繁栄を続けました。アンティオキアは交通の要所で、シリア、パレスチナ、さらには東方と結ばれ、また近くのセレウキアという港を通じて地中海とも結ばれていたため、通商の一大中心地でした。人口は約30万人に達したとも言われ、ギリシア人、シリア人などと共に、ユダヤ人も暮らしていました。このようにアンティオキアは、今で言うところの国際都市であったのです。
迫害によって
そのアンティオキアに福音が届けられたのは、エルサレム教会の伝道計画によってではなく迫害によってでした。本日の箇所の冒頭19節にこのようにあります。「さて、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語っていなかった」。8章で語られていた「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために」、エルサレム教会の人たちが「フェニキア、キプロス、アンティオキア」まで散らされて行き、そこで福音を宣べ伝えたのです。人間の目には迫害によって教会が消えてしまいかねない危機にあって、むしろ福音は広がっていきました。エルサレムから500キロメートルも離れたアンティオキアにまで至ったのです。
私たちは教会の状況が整わないと伝道できないと思ってしまうことがあります。しかし伝道はしばしば逆境の中で、危機の中で進むことがあるのです。迫害によって散らされた人たちは先行きが見えず、また見知らぬ土地にあって、大きな不安と恐れを抱いていたに違いありません。しかしその中にあって、なお福音を宣べ伝えたこの人たちを用いて、神様は伝道を前進させてくださったのです。
異邦人に御言葉を語っていなかった
とはいえ19節の終わりに、「ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語っていなかった」とあることを見逃すわけにはいきません。アンティオキアに散らされた人たちは確かに福音を宣べ伝えました。しかしそれは、ユダヤ人だけに宣べ伝えたのであって、アンティオキアに暮らす圧倒的に多くの異邦人には御言葉を語らなかったのです。これまで見てきたように、ユダヤ人と異邦人との間には区別があり、ユダヤ人は異邦人が汚れていると考えていました。アンティオキアに散らされたキリスト者は、ユダヤ人でキリスト者となった人たちであり、この考えから抜け出せずにいたのです。しかしユダヤ人にだけ御言葉を語っているだけでは、アンティオキア教会の誕生に至ることはありません。アンティオキア教会の誕生には、さらに大きな一歩を踏み出す必要があったのです。
大きな一歩
その大きな一歩が、20節にこのように語られています。「ところが、その中にキプロス島やキレネから来た人がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスの福音を告げ知らせた」。「その中に」というのは、迫害によってアンティオキアに散らされた人たちの中にということです。また「ギリシア語を話す人々」というのは、ここでは異邦人を意味します。つまりアンティオキアに散らされた人たちは、最初ユダヤ人にしか福音を告げ知らせていなかったけれど、ある時、散らされた人たちの中でキプロス島やキレネから来た人が、異邦人にも語りかけ、福音を告げ知らせるようになった、と言われているのです。ここにアンティオキア教会の誕生に至る、大きな一歩が踏み出されました。
異邦人に語りかけることのできた理由
そうではあるのですが、この大きな一歩が踏み出せた経緯は、20節を読んでも今ひとつよく分かりません。なぜキプロス島やキレネから来た人は、異邦人に語りかけることができたのだろうかと思うのです。使徒言行録は何も記していないので、はっきりしたことは分かりませんが、多少なりとも推測することはできます。以前もお話ししましたが、この時代、ユダヤ人の中には、ユダヤの地で生まれ育った、主にヘブライ語(アラム語)を話すユダヤ人と、何世代か前にユダヤの地を離れ、ギリシア-ローマ世界で生まれ育ったギリシア語を話すユダヤ人がいました。キプロス島やキレネから来た人は、後者のユダヤ人でキリスト者となった人たちでした。そのためこの人たちはギリシア語で直接アンティオキアの異邦人と話すことができました。それが、異邦人に語りかけ、福音を伝えるハードルを下げた一つの理由でしょう。しかしそれ以上に、この人たちのこれまでの生い立ちそのものが大きな理由であったと思います。この人たちは異邦人社会の中で、異邦人と関わりながら生きてきました。その中で嫌な思いをすることもあったに違いありません。しかしそれだけでなく、一言で異邦人と言っても色々な人たちがいることを知り、相手の顔が見える関係を築く経験をも積み重ねてきたのだと思います。簡単に言えば、ユダヤの地で生まれ育ったヘブライ語を話すユダヤ人が、狭い世界しか知らなかったのに対して、ギリシア-ローマ世界で生まれ育ったユダヤ人は、より広い世界を知っていて、国際的な感覚を身につけていたのです。その人たちが国際都市アンティオキアで暮らす中で、自分を罪から救い、新しく生かしてくださった主イエス・キリストが、身近に接している異邦人をも救ってくださるに違いないと思うようになったとしても不思議ではありません。異邦人であっても、一人の人間として接するという感覚を養われていたからこそ、身近に接している異邦人にも福音を伝えたい、という思いがこの人たちに与えられたのです。異邦人にも語りかけ、主イエスの福音を告げ知らせた、その背後には、この人にもあの人にも福音を伝えたいという思いがあり、さらにその背後には、その人たちとの顔の見える関係があったのです。
主の御手が共にあった
このような推測は決して的外れではないと思いますし、そこから示されることもあります。しかし使徒言行録は、アンティオキア教会の誕生の理由を21節でこのように語っています。「主の御手が共にあったので、信じて主に立ち帰る者の数は多かった」。アンティオキア教会の誕生に、国際的な感覚を身につけたユダヤ人キリスト者の働きがあったとしても、「主の御手が共にあった」ことこそが決定的なのです。主の御手が共にあり、復活の主イエス・キリストが聖霊のお働きによって共にいてくださったからこそ、アンティオキア教会は誕生しました。教会は人間の力や能力や計画によって誕生するのではないし、成長するのでもありません。もちろんそれは、人間の力や能力や計画が必要ないということを意味しません。神様はギリシア語を話すユダヤ人キリスト者の国際的な感覚という能力を確かに用いてくださったのです。しかし教会は、主の御手が共にあることによってこそ、聖霊の導きと支えと守りによってこそ誕生し、また歩んでいくことができます。使徒言行録は何よりもこのことを見つめているのです。迫害によって散らされ、先行きの見えない不安と恐れの中にあり、順調とはほど遠い、むしろ危機の中にあった人たちと主の御手が共にあり、とりわけ国際的な感覚を身につけた人たちを用いて、神様は伝道を前進させてくださり、アンティオキア教会を誕生させてくださいました。このアンティオキア教会こそ、最初の異邦人を中心とした教会です。その意味でユダヤ人キリスト者を中心とするエルサレム教会から独立した教会が、ここに初めて誕生したのです。
教会を身近に感じていただくために
私たちの教会も、多くの日本の教会がそうであるように、危機の中にあると言っても言い過ぎではないと思います。確かに私たちの教会は、ほかの教会と比べて恵まれた状況の中にあります。私たちはそのことをしっかり弁え、自分の教会のことだけを考えるのではなく諸教会のことをも考え、果たすべき責任をしっかり果たしていかなくてはなりません。しかし私たちの教会も高齢化が進んでいますし、財政的にも決して余裕があるわけではありません。私たちもこの先どうなるのだろうか、という漠然とした不安を抱かないわけにはいかないのです。そのような中で私たちがなすべきことは、迫害によって散らされた人たちと同じように、先行きが見えない中にあっても、福音を宣べ伝え続けていくことです。その中心は言うまでもなく礼拝ですが、自分たちだけが礼拝を守り、御言葉の恵みにあずかり、慰めと励ましを与えられていればそれで良いのではありません。そうではなく私たちは、福音が語られる礼拝に一人でも多くの方を招いていくのです。私たち一人ひとりが身近な方を礼拝にお誘いするのはもちろん大切ですが、それだけでなく教会が、人々に教会を身近に感じていただくための活動や行事を積極的に行っていく必要があります。その中でこそ、相手との顔の見える関係を築いていくことができるし、あの人にもこの人にも福音を届けたい、という思いも与えられていくのです。主の御手は、そのようにして福音を宣べ伝えていく私たちの教会と必ず共にあり、神様は私たち一人ひとりの賜物を用いて、伝道を前進させてくださるのです。
バルナバの派遣
さて、このようにして最初の異邦人教会であるアンティオキア教会が誕生しました。22節以下では、この教会の成長が語られています。まず語られているのは、エルサレム教会がアンティオキア教会にバルナバを派遣したことです。22節で、「この噂がエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバを遣わし、アンティオキアまで行かせた」と言われています。前回見たように、異邦人が洗礼を受け、教会のメンバーとなることをなかなか受け入れられなかったエルサレム教会が、異邦人教会が誕生したという噂を聞いて、驚き、戸惑ったことは想像に難くありません。少なからず反発や非難も起こったでしょう。そこでエルサレム教会は、バルナバをアンティオキア教会に派遣しました。このバルナバについて、4章36節では、「レビ族の人で、使徒たちからバルナバ——『慰めの子』という意味——と呼ばれていた」と言われていました。また9章26節以下では、この「慰めの子」バルナバが、サウロとエルサレム教会の使徒たちの間を取り持ったことが語られていました。使徒たちがサウロに対して不信感を募らせていた難しい状況の中で、両者の和解のために大きな働きをなしたバルナバが、同じようにエルサレム教会がアンティオキア教会に対して不信感を募らせている難しい状況の中で、アンティオキア教会に派遣されたのです。
神の恵みを見て喜ぶ
アンティオキア教会は、異邦人社会の中で誕生した、異邦人キリスト者中心の教会です。教会のあり方や教会に連なる者たちの信仰生活は、ユダヤ人キリスト者中心のエルサレム教会とはかなり違っていたはずです。アンティオキア教会では礼拝の仕方が違った、たとえば賛美の仕方が違ったかもしれません。教会には自分だけがキリスト者で、家族はキリスト者でない人たちも少なくなかったはずです。国際都市アンティオキアならではの伝道活動を展開していたかもしれません。もしエルサレム教会の人たちがアンティオキア教会の礼拝や活動を目の当たりにしたら、自分たちの教会との違いに驚いて、こんなのは教会ではない、と言っても不思議ではなかったのです。しかしバルナバはそうは言いませんでした。23節で、「バルナバはそこに到着すると、神の恵みを見て喜び」と言われています。それは一つには、アンティオキア教会が、エルサレム教会と同じように、使徒たちの教えに立っていたことに神様の恵みを見て喜んだ、ということでしょう。教会がキリストの十字架と復活による救いを宣べ伝え、また教会のメンバーがその救いの恵みにお応えして、感謝して歩んでいたことに神様の恵みを見て喜んだのです。もう一つには、エルサレム教会との違いにも、神様の恵みを見て喜んだ、ということでしょう。使徒たちの教えに立っているならば、エルサレム教会とアンティオキア教会の違いは、バルナバにとってそれぞれの教会の個性の違いであったのです。24節でこのように言われています。「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして多くの人が主へと導かれた」。違いを批判し、裁くのではなく、むしろその違いを個性として受けとめ、そこに神様の恵みを見て喜べることこそ、「聖霊と信仰とに満ちてい」るということです。私たちも同じ信仰に立っているならば、教会の違いや教会のメンバーの違いを批判したり裁いたりするのではなく、その違いを個性として受けとめ、そこに神様の恵みを見て喜べる信仰に生きたいのです。だから私たちは、そのような信仰を与え、そのような信仰に生かしてください、と聖霊のお働きを祈り求めていくのです。互いの違いに神様の恵みを見て喜び合う群れにこそ、神様の恵みが満ち溢れ、「多くの人が主へと導かれ」ていきます。神様の恵みを見て喜ぶ群れにおいてこそ、神様の伝道のみ業は前進していくのです。
揺るぎない心で主にとどまる
23節の後半でバルナバは、「揺るぎない心で主にとどまっているようにと、皆を励ました」と言われていました。誕生したばかりのアンティオキア教会は急速に成長していました。バルナバはその成長の原動力がどこにあるのかを見つめています。それは、「揺るぎない心で主にとどまっている」ことにあるのです。アンティオキア教会は異邦人社会の中にあり、教会を取り巻く社会では、多くの神々が崇拝されていました。また国際都市であるだけに、そこには主なる神様から引き離そうとする様々な誘惑や、様々な価値観が溢れていました。教会のメンバーも、少し前まで多くの神々を崇拝し、多くの誘惑や価値観に支配されて生きていたのです。それゆえに教会のメンバーが、主イエス・キリストの父なる神様を信じ、その神様から引き離そうとする誘惑や価値観に惑わされずに生きるためには、「揺るぎない心で主にとどまっている」ことが何よりも大切であったのです。そしてこのことは、アンティオキアと同じように、多神教の社会で、様々な誘惑や価値観に溢れている日本で、この横浜で生きる私たちにも当てはまることです。バルナバは私たちにも、「揺るぎない心で主にとどまっているよう」勧め、励ましているのです。
サウロをアンティオキア教会へ連れて来る
バルナバのもう一つの大きな働きは、サウロ、つまり後のパウロをアンティオキア教会に連れて来たことです。25、26節にこのようにあります。「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて、大勢の人を教えた」。8章26節以下で語られていたように、バルナバの執り成しによって使徒たちと和解したサウロは、エルサレムからタルソスへと向かいました。それでサウロはタルソスにいましたが、バルナバは、サウロのことをずっと心に留め続けていたに違いありません。そしてアンティオキア教会の誕生と成長を目の当たりにして、あのサウロこそ、この教会に必要だ、この教会でこそサウロの賜物が活かされると確信したのです。それでバルナバはサウロを捜しにタルソスへ向かいました。メールも電話もない時代に人を捜し出すのは簡単ではなかったはずです。バルナバもサウロも自分たちが出会えたことに、聖霊の導きと働きを確信したと思います。このようにしてバルバナはサウロをアンティオキア教会に連れて来て、二人は教会に連なる大勢の人たちを教えたのです。サウロをアンティオキア教会に連れて来たことに、バルナバが人を大切にし、その人を心に留め続け、その人の賜物を生かせる時と場所に心を配っていたことが分かります。教会を立て上げていくためにはバルナバのような働きが必要です。私たちも、私たち一人ひとりが人を大切にし、その人を心に留め続け、その人の賜物を生かせる時と場所に心を配っていけるよう、聖霊のお働きを求めていくのです。
一つの教会
27~30節では、クラウディウス帝の時代に起こった飢饉によって大きな被害を受けたエルサレム教会を、おそらく被害を免れたアンティオキア教会が助けたことが語られています。29節にあるように、アンティオキア教会の人たちは「それぞれの力に応じて、ユダヤに住むきょうだいたち」、つまりエルサレム教会の人たちに、「援助の品を送ること」を決めたのです。このことに、エルサレム教会とアンティオキア教会の立場の逆転を見る人もいます。しかしむしろ、アンティオキア教会とエルサレム教会が一つであることを見つめているのではないでしょうか。確かにアンティオキア教会は、異邦人キリスト者を中心とした教会であり、ユダヤ人キリスト者を中心としたエルサレム教会の肢ではない、独立した教会と言えます。しかし同じ信仰を受け継ぎ、同じ信仰に立つ、キリストの体である教会の肢であることに変わりはありません。ですからアンティオキア教会は、エルサレム教会から独立している教会であると共に、エルサレム教会と一つの教会でもあったのです。アンティオキア教会が大きな被害を受けたエルサレム教会を助けたことは、その具体的な表れです。私たちの教会も自分の教会だけで歩んでいるのでも、歩めるわけでもありません。同じ信仰に立つ諸教会と共に歩み、互いに助け合いながら歩んでいくのです。
キリスト者と呼ばれる
26節の最後にこのようにあります。「このアンティオキアで初めて、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになった」。アンティオキアで初めて、主イエス・キリストを信じる者たちが「キリスト者」と呼ばれるようになりました。そして今に至るまで、「キリスト者」と呼ばれ続けています。「呼ばれるようになり」と言われているように、教会のメンバーが自ら「キリスト者」と名乗ったのではありません。アンティオキア教会の人たちの周囲にいた人たちが、あの人たちは「キリスト者」だ、と呼び始めたのです。教会が主イエス・キリストの十字架と復活による救いを宣べ伝えていたからです。しかしそれだけでなく、まさに教会の人たちが揺るぎない心で、主イエス・キリストにとどまり続け、その主イエス・キリストを証しして生きていたからです。だからアンティオキアの街の人たちは、そのように生きていた教会の人たちを見て、「あの人たちはキリスト者」だ、と呼んだのです。私たち一人ひとりも「キリスト者」です。私たちもこの社会にあって、周囲の人たちから、「あの人はキリスト者だ」と呼ばれる歩みをしていきます。揺るぎない心で、主イエス・キリストにとどまり続け、その主イエス・キリストを証しして歩んでいくのです。そのような歩みが私たちに与えられるよう聖霊のお働きを祈り求めていくのです。「あの人はキリスト者だ」と呼ばれる私たちの歩みに、主の御手が必ず共にあり、神様は私たちを用いて伝道のみ業を前進させてくださるのです。