説教「命の言葉を伝える」 副牧師 川嶋章弘
旧約聖書 アモス書第5章25-27節
新約聖書 使徒言行録第7章17-43節
神殿と律法
二回にわたって、ルカ福音書のクリスマス物語に目を向けましたが、本日から使徒言行録の連続講解に戻ります。前回は、6章8節から7章16節を読みました。そこでは、ステファノがユダヤ人から、特に「ギリシア語を話すユダヤ人」から大きな反発を受け、最高法院に連れて行かれたことが語られていました。彼らがステファノに反発し、また最高法院で訴えた理由は、6章14節にあるようにステファノが、「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」と語ったことにあります。「この場所」とは神殿で、「モーセが我々に伝えた慣習」とは律法です。神殿と律法は、ユダヤ人の拠り所でした。彼らは自分たちが神の民であることの目に見える保証を、神殿と律法に求めていたからです。だから彼らにとって、神殿を破壊し、モーセが伝えた律法とそれに結びついた慣習を変えられてしまうことは、受け入れがたいことであったのです。
アブラハムとヨセフ
最高法院で訴えられたステファノが語った長い説教が、7章1~53節です。前回は1節から16節までを読みました。ステファノは旧約の時代のアブラハムから語り始めます。神の民の始まりに立つアブラハムは、神の約束を信じて生きました。その約束とは、5節の「いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる」という約束です。この約束が与えられたとき、アブラハムは目に見えるものは何も与えられていなかったし、子どももいませんでした。それにもかかわらずアブラハムはこの神の約束を信じて生きたのです。ステファノは続けて、ヨセフについて語ります。ヨセフは兄たちに妬まれて、エジプトへ売られ、奴隷としての生活を強いられ、多くの苦難を経験しました。しかしヨセフは、そのような先行きが見えない苦難の中にあっても、神の導きを信じて生きました。その歩みの先で、「エジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命」(10節)され、エジプトを飢饉の危機から救ったのです。ステファノは、アブラハムとヨセフについて語ることを通して、神の民が目に見えるものを拠り所として生きるのではなく、目に見えない神の約束と導きを信じて生きることを示しました。目に見える神殿を拠り所として生きているユダヤ人は、アブラハムとヨセフの生き方から、つまり神の民の生き方から遠く離れてしまっている、と訴えたのです。
モーセの生涯
続く本日の箇所でステファノは、モーセについて語っています。ステファノに対する訴えの一つは、「モーセが我々に伝えた慣習を変える」という訴えでした。その訴えに対して、ステファノはモーセの生涯を語ることを通して、反論しているのです。申命記31章2節によればモーセは120歳で死にましたが、ステファノはモーセの生涯を40年ずつの三つの期間に分けて語っています。とはいえステファノは、モーセの生涯を満遍なく語っているのではなく、むしろ濃淡をつけて語っています。そのことに注目していくことによって、ここでステファノが何を強調しているかを示されていきたいのです。
生まれと育ち
最初の40年が17~22節で、そこではモーセの生まれと育ちが語られています。飢饉をきっかけにヨセフの父ヤコブと兄弟、親戚はエジプトに行き、そこで暮らし始めました。イスラエルの民はエジプトへ移住することになったのです。エジプトの王ファラオは、自分の国を飢饉の危機から救ったヨセフの一族を手厚く保護しました。その結果、17節にあるように、イスラエルの「民は増え、エジプト中に広が」ったのです。しかし王朝が変わり、ヨセフのことを知らない王が現れると、数が増えたイスラエルの民はむしろ脅威と見なされ、乳飲み子を捨てさせるという政策が行われました。民の数が増えるのを抑えるためです。その時代に、モーセが生まれたのです。生まれてから三か月で捨てられたモーセを、ファラオの王女が拾い上げ、自分の子どもとして育てました。モーセは、エジプトの最高の教育を受けて育ったのです。22節で、モーセは「すばらしい話や行いをする者」になった、と言われています。つまり指導者にふさわしい人物に成長したのです。
決意と挫折
次の40年が23~29節です。23節に「四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました」とあります。最高の教育を受けた後、モーセはエジプトの指導的立場にあったはずです。しかし40歳になったとき、転機が訪れます。自分は同胞であるイスラエルの民を助けなくてはならない、と思い立ったのです。国の政治を担う中で、同胞が虐待されていることに疑問を感じ、次第に耐えられなくなったのかもしれません。いずれにしても彼は同胞を助ける決意をし、その使命感に駆られたのです。それでモーセは、同胞の一人が虐待されているのを見ると、相手のエジプト人を打ち殺しました。その次の日、今度はイスラエル人同士が争っていたのに出くわしたので、仲直りをさせようとして、「君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ」(26節)と言いました。実に正しいアドバイス、正論でした。ところが仲間を痛めつけていた人は、モーセを突き飛ばして、こう言いました。「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」(27~28節)。モーセは、自分がイスラエルの民の指導者、裁判官であるかのように振る舞いました。しかしイスラエルの民は、モーセを自分たちの指導者、裁判官とは見れなかったのです。これまで国の指導者として、自分たちを虐待する側にいたモーセを、急に信頼しろと言われても土台無理な話です。彼らは、虐待されている同胞を助けるためにエジプト人を打ち殺したことに対しても称賛ではなく、むしろ恐れを抱きました。気分次第でエジプト人であろうが同胞であろうが殺すかもしれない、と恐れたのです。モーセは同胞に拒絶されて、逃げ出しました。イスラエルの民を助けるという決意が瞬く間に打ち砕かれ、その使命感も失われて、すごすごと逃げるしかなかったのです。彼はミディアン地方に身を寄せ、そこで結婚し、二人の男の子も与えられました。40歳のときに転機が訪れたモーセでしたが、すぐに挫折し、長い逃避生活を送ることになったのです。
エジプトへ遣わされる
次の40年が30節以下です。まず36節までを見ていきます。モーセの本当の転機は80歳になったときに訪れます。30節で、「四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました」と言われています。そこで主なる神は、モーセにこのように言われました。「履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」(33~34節)。このようにして神様はモーセをエジプトへ遣わされたのです。
神の召しと派遣
エジプトへ遣わされてからのモーセの働きは、実に簡潔に語られています。36節に、「この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました」とあるだけです。それは、モーセの生まれや生い立ち、エジプトから逃げ出した経緯、そして神様によってエジプトへ遣わされた経緯が詳しく語られていることと対照的です。このことから、ここでステファノが、モーセの四十歳からの40年と、八十歳からの40年を比べていることが分かります。四十歳のとき、モーセは自分の同胞であるイスラエルの民を助けようと決意し、その使命感に燃えました。そのときの彼の思いを言い表しているのが25節です。「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」。彼は自分の手で、自分の力で、あるいは自分の決意や使命感によって、イスラエルの民を助ける務めを担うことができる、と思っていました。指導者として最高の教育を受けてきた自負もあったでしょう。しかしそれは大きな勘違いでした。彼の行いや発言は正しかったかもしれません。でもイスラエルの民はモーセを理解しようとしませんでした。彼らが理解してくれるという、モーセの期待は打ち砕かれたのです。モーセが、イスラエルの民を助ける務めを担うために、本当に必要なものは別にありました。それが80歳のときに与えられます。先ほどの25節と対照的なのが35節で、このように言われています。「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです」。神様がモーセをイスラエルの指導者、解放者として召してくださり、遣わしてくださった、と言われています。この神様の召しと派遣こそ、モーセがイスラエルの民を助ける務めを担うために本当に必要なことであったのです。
神が自分を務めに召し、遣わした
私たちも教会において色々な務めを担っています。牧師も一つの務めですし、長老や執事、教会学校教師、奏楽者、主事、あるいは各員会、各会における奉仕も務めです。長老や執事は教会総会の選挙で選ばれますが、そのほかは、その務めを担うことになった経緯は色々であるかもしれません。この奉仕なら自分も担えると思ったとか、ほかの人から声を掛けられたとかです。しかし色々な経緯があるとしても、大切なことは、神様がその務めに自分を召してくださり、遣わしてくださっている、という思いが与えられていることです。神のみ心が示される教会総会の選挙で選ばれ、立てられる長老と執事はもとより、そのほかの務めであっても、神様の召しと派遣こそが決定的なのです。ですからたとえば、子どもが好きだからといって教会学校教師を担えるのではないし、事務の能力に優れているからといって主事を担えるのでもありません。神様がこの務めに自分を召し、遣わしてくださっている、という思いを与えられていることこそが決定的です。この思いがなければ、言い換えるならば、この召命感がなければ、どんなに子どもが好きでも、どんなに能力に優れていても、その務めを担うことはできません。私たちが自分の決意や使命感に頼るならば、モーセがそうであったように、困難に直面するとき、私たちの決意や使命感はたちまち打ち砕かれてしまうのです。しかし逆に、この召命感さえあれば、たとえ子どもが苦手であっても、能力に優れていなくても、その務めを担うことはできるのです。それは能力なんてどうでも良いということではありません。モーセがエジプトで受けた指導者としての最高の教育は、神様によって召され、遣わされた後の働きにおいて、遺憾無く発揮されたに違いありません。同じように私たちも、神様の召しと派遣を受けてこそ、それぞれに与えられている賜物を豊かに用いることができるのです。
生ける言葉
38節でステファノは、モーセが伝えた律法について語っています。「この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです」。モーセが、シナイ山で神様とイスラエルの民との間に立って、「命の言葉」を受け、それをイスラエルの民に伝えました。この「命の言葉」こそ、十戒を中心とした律法です。しかしそれが「命の言葉」と言われていることに注目しなくてはなりません。聖書協会共同訳ではこの「命の言葉」が、「生ける言葉」と訳されています。ステファノは、モーセが神様から受け、イスラエルの民に伝えたのは「生ける言葉」であった、と言っているのです。それは、律法がイスラエルの民を本当に生かす神様からの言葉、語りかけである、ということです。「生ける言葉」である律法は、イスラエルの民が神の民とされた恵みの中で、エジプトの奴隷から解放された自由の中で、その恵みに感謝して、喜んで生きていくための指針、道しるべなのです。しかしイスラエルの民は、39節にあるように、その「生ける言葉」を自分たちに伝えたモーセに従おうとしませんでした。モーセを退けたのです。このことを語ることを通してステファノは、イスラエルの民がモーセを退けたように、「ギリシア語を話すユダヤ人」もモーセを重んじているようで、実は退けていることを示しています。彼らは律法と、それに結びついた慣習を守ることに、自分たちが神の民であることの目に見える保証を求めました。しかしそれは律法を、単なる規則、ルールにしてしまうことです。「生ける言葉」である律法を「死んだ言葉」にしてしまうことなのです。彼らは、ステファノが、「モーセが我々に伝えた慣習を変える」と訴えました。しかしステファノからすれば、彼らこそが、モーセがイスラエルの民に伝えた「生ける言葉」である律法を、単なる規則にすることによって、「死んだ言葉」に変えてしまっていたのです。
主イエスを指し示す
もう一つ、ステファノが強調していることは、モーセが主イエスを指し示す人物であることです。37節で、このように言われています。「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる』」。神様がお立てくださるモーセのような預言者こそ、主イエス・キリストにほかなりません。モーセが神様から遣わされたように、主イエスも神様から遣わされました。2章22節で、「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です」と言われている通りです。そして主イエスは、神様と私たち人間との間に立って、「命の言葉」を、私たちを本当に生かす言葉を、救いの良い知らせを語ってくださったのです。それだけではありません。「生ける言葉」を伝えたモーセは、イスラエルの民から退けられました。同じように「生ける言葉」を、救いの良い知らせを語った主イエスも、まさに今ステファノを訴えている最高法院の議員たちから、またあらゆる人たちから拒まれ、退けられ、十字架に架けられて殺されたのです。しかしモーセと主イエスでは違いもあります。主イエスは人々から拒まれ、十字架に架けられて死なれて、それで終わりではありませんでした。主イエスはその死から復活されたのです。私たちの救いは、この主イエスの十字架と復活によって実現しました。「生ける言葉」、救いの良い知らせを伝えた主イエスご自身が、その救いを実現するために十字架で死んで復活されたのです。
ステファノは、モーセが主イエスを指し示す人物であると強調することを通して、モーセのことをしっかり受けとめるならば、主イエスのことをも受け入れられるはずだ、と訴えています。モーセと、モーセが伝えた律法を本当に重んじるならば、神様がお立てになったモーセのような預言者である主イエスを重んじ、受け入れられるはずだ、と言っているのです。しかしイスラエルの民がモーセを退けたように、ユダヤ人は主イエスを退けたのです。
私たちの苦しみや悲しみを知っていてくださる
すでに見たように、モーセはエジプトから逃げ出した後、40年間の逃避生活を送りました。しかしその40年間は、単に現実から逃げているだけの日々だったのでしょうか。むしろモーセにとって、この40年は必要な時間であったと思います。40歳のとき、彼は正論を言っていても、イスラエルの民の苦しみが本当には分かりませんでした。王女の子として何不自由なく、最高の教育を受けて育ったモーセに、分かるはずがなかったのです。しかし民の苦しみや悲しみを担えない者が、その民を救い出すことなどできるはずがありません。この40年は、モーセがイスラエルの民の苦しみや悲しみを担う者へと変えられるために、神様がモーセに与えた期間であったのです。
このこともまた、一面において、主イエスがどのようにして私たちの救い主となってくださったかを指し示していると思います。主イエスは神の独り子であり、まことの神であるにもかかわらず、私たちとまったく同じ人間となってくださいました。罪を犯されなかった以外は、私たちが人生において味わうあらゆる苦しみや悲しみを味わってくださり、そして十字架で死んで復活されて、死に勝利されました。そのことを通して主イエスは、人生の中で死への恐れに怯え、また様々な試練に直面して弱り果てている私たちの救い主、解放者となってくださったのです。主イエスは私たちが人生の中で味わうあらゆる苦しみや悲しみ、不安や恐れを知っていてくださいます。その主イエスが私たちと共にいてくださる。ただ共にいてくださるだけでなく、私たちの苦しみや悲しみ、不安や恐れを共に担ってくださるのです。このことにこそ、私たちの本当の慰めと平安があるのです。
偶像を頼りとする
モーセを退けたイスラエルの民が偶像礼拝へと向かったことが、39節以下で語られています。エジプトから脱出した後で、若い雄牛の像を造り、「この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しん」でいた、と言われています。また共に読まれたアモス書を引用して、「モレクの御輿」や「ライファンの星」といった偶像を担ぎ回った、とも言われています。イスラエルの民は目に見えない、神様の「生ける言葉」を頼みとし、その「生ける言葉」が告げる約束を信じて生きるのでなく、目に見える偶像を、自分たちの手で造ったものを頼りとしたのです。
共にいてくださる主イエスを頼みとする
このようなイスラエルの民の姿は、私たちと決して無関係ではありません。私たちも救いにあずかってなお、しばしば目に見える偶像を頼りとしてしまいます。像を彫ることはなくても、自分たちの手で造った、人間の手で造った目に見えるものを頼りとし、それに心を奪われて楽しんでいます。確かに目に見えない救いを信じて生きるより、目に見えるものを頼りとしたほうが楽なのかもしれません。しかしそのような偶像に、私たちを本当に救う力はありません。目に見える偶像は、私たちの苦しみや悲しみ、不安や恐れを本当には分からないし、まして共に担ってくれることはありません。何よりも死の力の前ではまったく無力なのです。私たちは、目に見えない主イエス・キリストの十字架と復活による救いにこそより頼みます。主イエスがいつも私たちと共にいて、私たちが人生の中で直面する様々な苦しみや悲しみ、恐れや不安を共に担ってくださることに支えられて歩むのです。また私たちはその救いによって与えられている、世の終わりの復活と永遠の命の約束を信じて歩みます。死によっても失われない希望を信じて歩むのです。
命の言葉を伝える
このことを告げているのが、「命の言葉」、「生ける言葉」にほかなりません。それはかつて「荒れ野の集会」において、イスラエルの民に語られました。この「集会」という言葉は、エクレーシアという言葉で、後にキリスト教会を指すようになりました。私たちが生きているこの世界も「荒れ野」と言えます。新しい年を迎えましたが、この年も、私たちは荒れ野のような世界に生きていくのです。しかしその荒れ野のような世界に、教会があります。そしてその教会から「命の言葉」が、私たちを本当に生かす言葉が響き渡ります。私たちを本当に生かす、主イエス・キリストによる救いが、その救いが与える世の終わりの復活と永遠の命の約束と希望が、教会から荒れ野のような世界に響き渡るのです。私たちは新しい年も、荒れ野のような世界にあって、主の日ごとに教会に集い、「生ける言葉」を与えられて歩んでいきます。倒れそうになるときも、うずくまってしまうときも、私たちの苦しみや悲しみを共に担ってくださる主イエスにより頼んで歩んでいきます。目に見えない救いと、目に見えない世の終わりの復活と永遠の命の約束と希望を信じて歩んでいくのです。そのために私たちに備えられているのが、この後、共にあずかる聖餐です。私たちは、主の2026年も、「生ける言葉」にあずかり、その「生ける言葉」が告げる救いの恵みを体全体で味わう聖餐にあずかりつつ歩んでいくのです。その中で、神様が召し、遣わしてくださっている自分の務めを担っていくのです。そして私たちの教会は、新しい年も、この「生ける言葉」を世の人々に伝えていきます。荒れ野のような世界にあって、苦しみや悲しみ、不安や恐れを抱えている方々に、すべての人に、主イエス・キリストによる救いを伝えていくのです。