主日礼拝

最初の殉教者

「最初の殉教者」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 列王記上、第8章 22節-53節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第7章 44節-60節

 
神様はどこにおられるか

 神様はどこにおられるのでしょうか。のっけから物騒な質問ですが、皆さんは誰かにそう問われたらどう答えるでしょうか。「そりゃあ、神様は天におられるのだ」と答えるでしょうか。それは確かにその通りでしょう。聖書にもそう書いてあります。しかし、それでは天とはどこでしょうか。空の上の方に天があるわけではないということを、この宇宙時代を生きている私たちは知っています。天とは、空間的などこかではなくて、人間の力では決して到達することのできない、この世を超えた所です。神様がそういうところにおられるならば、この世を生きる私たちは、いったいどこで、神様とお会いすることができるのでしょうか。お会いすることができなければ、私たちにとって神様はいないのと同じです。逆に、神様にお会いすることができるならば、そこには神様がおられるはずです。天におられる神様が、地上を歩む私たちにご自身を示し、出会って下さるところがあるはずです。それはいったいどこでしょうか。
 それは私たちの心の中だ、と思う人がいるかもしれません。神様は私たち一人一人の心の中におられるのだ…。しかしはっきり言ってこれは大変心もとない話です。私たちは、自分の心の中に神様がおられる、と言えるでしょうか。時としてそんな気持ちになることはあるでしょう。しかしそういう気持ちの高まりと言うか、興奮状態と言うか、それは一時のものです。ちょっと調子が悪くなればそのような思いはすぐに消え失せてしまいます。それどころか私たちは、今は神様に心の中にいてもらっては困る、神様ちょっと今は遠慮して下さい、という気持ちになることすらしばしばあります。要するに、自分の心の中に神様がおられる、などという思いは人間の感情次第でどうにでもなってしまうのです。神様はどこにおられるのでしょうか。どこで私たちは神様にお会いすることができるのでしょうか。これは大変大きな問題なのです。

教会に神はいない?

 私たちキリスト信者は、神様にお会いできるのは教会において、その礼拝においてだ、と言います。教会において、その礼拝において神様にお会いする、そこに神様がいて下さる、それが私たちの信仰です。しかし、いったい教会に神様がおられるとはどういうことなのでしょうか。神様はどのようにして、今この礼拝の場におられるのでしょうか。この礼拝堂のどこかに神様がおられる場所があるのでしょうか。ある牧師が書いた本の中に、その人の若い頃の失敗談が語られていました。ある伝道所で、子供たちを集めて土曜学校をしていた時のことです。通ってきていたある女の子が彼に、「先生、カミさんどこにおるの」と聞いたのです。まだ独身だったその先生は、「そんなものはおらん」と答えました。すると女の子はびっくりして、「先生、教会にカミさんおらんのけ。カミさんどこにいるの」としつこく聞くのです。彼は、人のプライバシーに首をつっこみたがるませた子だと癪にさわりながら、「絶対におらん」と断言しました。するとその子は、床の間にかかっていた掛け軸を指して、「先生、これカミさんじゃないのけ」と言ったのです。そこでその先生は初めて、その子が自分の奥さんのことを聞いたのではなく、神様がどこにおられるのかを尋ねていたのだということに気づいたのです。つまり彼は教会学校の生徒に対して、教会に神様は絶対にいない、と断言してしまったのです。

神様のおられる場所

 この笑い話には興味深いポイントがあります。それは、この女の子が「神様はどこにいるのか」と問うた時に考えていたのは、神棚のことだった、ということです。おそらく彼女の家にも神棚があって、毎朝そこに向かって手を合わせるという生活をしていたのでしょう。それによって、この家の中で神様はあそこにおられる、あそこで神様にお会いするのだ、という感覚が身についたのでしょう。それで、教会に来ても、そういう場所を探したのです。こういう感覚は私たち日本人には馴染みの深いものなのではないでしょうか。外では、神社やお寺、あるいはお地蔵さんなどが、そこに神様あるいは仏様がおられる場所となっており、家では神棚や仏壇がその役目を果している、そのように、ある特定の場所なり建物なりが、神様のおられる所であり、そこに出かけて行くことによって神様にお会いする、という感覚は、私たちの中にも深くしみこんでいるのではないかと思うのです。
 聖書の教える信仰、教会の信仰は、このような感覚とは全く違うものです。特に私たちプロテスタント教会は、ここに神様がおられる、という考え方をしません。だから拝む対象となるような像も置きません。今皆さんはこちらを向き、私は皆さんの方を向いて礼拝をしていますが、皆さんと私との間のどこかに神様がおられるわけではありません。本日はそこに聖餐のパンと杯が置かれていますが、それを拝んでいるわけではありません。また教会堂についても、私たちはそこに神様が住んでおられるとは考えていません。この会堂には、十字架がどこにもない、ということがよく話題になります。外から訪ねて来た人は皆そのことを質問します。十字架がないので、いったいここはキリスト教会なのか、それとも何かの歴史博物館なのか、はたまたモルモン教の神殿なのか、すぐにはわからないのです。私はこの教会に着任して丁度一年になりますが、この教会では十字架を掲げることに賛否両論がある、ということを知って大変驚きました。それについてはいろいろな考え方があるでしょうが、この教会の先達が十字架を掲げなかった大きな理由はおそらく、我々は十字架を拝むのではない、ということでしょう。十字架に神様がおられるのではない、だから十字架に向かって手を合わせて祈ったりすることがあってはならない、と警戒したのだと思うのです。このように私たちの信仰は、神様がある特定の場所や建物におられ、そこに行けば神様にお会いすることができる、ということを断固否定する、という特徴を持っています。初代の教会において、そのことを力強く語ったのが、ステファノだったのです。

神殿

 今私たちは、ステファノが捕えられて裁判を受けている場面を読み進めています。彼は、モーセの律法と神殿を汚した、という嫌疑で裁かれているのです。その裁判において彼が語った長い演説、説教がこの第7章にあります。本日は44節以下の最後の部分を読むわけですが、そこは、ステファノが特にエルサレムの神殿について語っているところです。神殿を冒涜したと訴えられている彼が、神殿についてどのような考えを持っているのかがここに示されているのです。
 ステファノの主張の中心は48節です。「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」。神様は神殿になど住んではおられない、と彼は言ったのです。彼が力を込めてこのように語っているのは、イスラエルの人々、特に今彼を裁いているその指導者たちが、エルサレム神殿を、まさに神様がそこに住んでおられる所、そこに行けば神様にお会いできる所と考えており、そういう神殿が自分たちの中にあることを誇りとし、それによって安心を得ようとしていたからです。私たちにおいてもそうですが、神様が特定の場所におられ、そこに行けば神様とお会いできる、という信仰は、生活の中にある安心感や支えを確保したいという思いから生まれてくるものです。イスラエルの民も、エルサレム神殿を、自分たちが神様に選ばれた神様の民であることの印として、そこにお参りすることによって神様の守りと祝福を得ることができると思い、そこに安心感を抱いていたのです。それに対してステファノは、神様はこのような人間が手で造った神殿などには住まわれないのだ、と言ったのです。彼が人々の憎しみを受け、キリスト教会最初の殉教者となったのはこのことのためだったのです。

荒れ野の幕屋

 それならば、ステファノ自身は、神様はどこにおられると考えているのでしょうか。どこでどのようにして神様にお会いできると信じているのでしょうか。特定の場所や建物が神様との交わりを保証するものではないならば、いったい何によって私たちは神様と出会うことができるのでしょうか。そのことを語るためにステファノは、神殿が建てられるより前のイスラエルの民の歴史を振り返ります。モーセに導かれてエジプトを脱出した後、イスラエルの民は40年の間、荒れ野で放浪することになりましたが、その時代にイスラエルが、どこで、何によって神さまとお会いしていたかというと、それは44節にあるように、「証しの幕屋」においてでした。これは別の言い方では「臨在の幕屋」とも呼ばれるもので、そこが、神様が民と出会って下さる場、神様の民の礼拝が行われる場と考えられていたのです。この「証しの幕屋」の造り方は出エジプト記の26章から29章にかけて詳しく語られています。いろいろと細かい寸法まで語られていますが、最も大事なことは、これが「幕屋」、即ちテントのようなものである、ということです。ということは、分解して持ち運ぶことができる、文字通りポータブルなものであるということです。イスラエルの民は、荒れ野での放浪の生活において、神様から、出発せよとの示しを受けると幕屋を分解し、たたんで、それを担いで出発し、神様からここで止まれという示しを受けるとその場所で幕屋を組み立て、そこで礼拝をしたのです。このように証しの幕屋は、特定の場所においてではなく、旅路の途上のそこここで、神様とお会いし、礼拝をするためのもの、そのために持ち運ばれたものです。そのように移動可能な、ポータブルなもの、というと私たちは、それは本式のものではなく、簡略化されたものだったのでは、と思ってしまいます。しかしそうではありません。このような分解可能な、ポータブルな幕屋こそ、44節にあるように、「見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのもの」だったのです。モーセは、天にある雛型を神様によって示され、その見たままの形や寸法でこれを造ったのです。そのようにして造られたのがこの「証しの幕屋」だったのです。つまりモーセが神様によって示された礼拝の場、神様にお会いするための場所は、本来、ポータブルな、幕屋だったのです。それが持ち運び可能な幕屋、テントであるのは、荒れ野を旅していかなければならないという人間の側のやむを得ない事情によって簡略化された結果ではなくて、もともと神様がその民に求めておられる礼拝の場がそういうものだったのです。言い換えれば、神様は、特定の場所や建物においてではなく、民が荒れ野を歩んで行くその旅路の途上で、その留まる所でその都度その都度礼拝をささげる、そこにおいてご自分の民と出会おうとしておられるのです。
 その「証しの幕屋」の中には何があったのでしょうか。そこには、ご神体とか、何かの像があったのではありません。そこに置かれていたのは「契約の箱」です。その中には、モーセが神様から授かった十戒を刻んだ二枚の石の板が入っていました。この契約の箱が幕屋の中心でした。十戒を刻んだ石の板を納めた箱が「契約の箱」と呼ばれるのは、十戒に代表される律法は、主なる神様がイスラエルの民の神となり、イスラエルが神様の民となる、そういう神と民との契約の印だからです。この契約は、神様がイスラエルの民をエジプトでの奴隷の苦しみから救い出し、解放して下さったという救いの恵みに基づいています。つまりそれは対等な人間どうしの契約とは違って、神様が恵みによって与えて下さった約束と言った方がよいでしょう。その約束の印が十戒なのです。イスラエルの民が荒れ野の旅路において持ち運んだのはこの契約の箱でした。つまり彼らは、神様の契約、約束のみ言葉を持ち運んだのです。イスラエルは、その最初の先祖アブラハムがそうだったように、神様の約束のみ言葉によって旅立ち、その約束のみ言葉を携えて歩み、そのみ言葉に基づいて礼拝をし、そこで神様とお会いしたのです。契約の箱を納めた幕屋が「証しの幕屋」と呼ばれるのもそのためです。「証し」とは、神様のみ言葉の証しです。「証しの幕屋」における礼拝は、み言葉による礼拝を意味しているのです。つまりイスラエルの民は、神様を特定の場所に縛りつけて、そこへ行くことによって神様と会い、その祝福を得ようとするような礼拝をしてはいませんでした。神様の契約、約束のみ言葉に基づく礼拝こそが、神様にお会いする場、神様がおられる所だったのです。
 ところがその後、ダビデとソロモンの時代に、エルサレムに神殿が建てられました。そのことが46、47節に語られています。もともとはこの神殿も決して、そこに神様が住われる場所ではなく、荒れ野における幕屋の精神を受け継いだものでした。神殿を神様に奉献した時のソロモンの祈りがそのことをはっきりと語っています。それが本日共に読まれた旧約聖書の箇所、列王記上第8章22節以下です。その27節に「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」とあります。48節の、「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」という言葉はこの祈りからの引用なのです。また、49節以下の引用は、イザヤ書66章の1、2節ですが、そこにも、天地の全ては神様が造ったものなのであって、その神様が人間が造った神殿を家として住むと思うのか、ということが語られています。ソロモンにしても、預言者たちにしても、神殿に神様がおられるのではない、と言っていたのです。しかし今、ステファノは、ソロモンや預言者たちと同じことを言っているのに、神様の住まいである神殿を冒涜したとして裁かれています。それは、イスラエルの民が、荒れ野の幕屋において示されていた本来の礼拝の精神を失い、神様にお会いするための正しい道からそれてしまっていることの現れなのです。ステファノはそのことを厳しく批判したのです。

礼拝の恵み

 ステファノがこのように、イスラエルの指導者たちの礼拝における間違いを鋭く指摘することができたのは、彼自身が、本当に神様にお会いする生き生きとした礼拝を体験することができていたからです。彼が体験していた礼拝とは、生まれたばかりのキリスト教会の礼拝です。キリスト教会の礼拝は、主イエス・キリストによる、主イエス・キリストがそこにいて下さる礼拝です。主イエス・キリストは私たちのために、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、そして復活されました。この主イエス・キリストがそこにいて下さり、み言葉を語りかけて下さる、その礼拝においてステファノは、生けるみ言葉をもって語りかけ、救いの恵みの中を歩ませて下さる神様との出会いと交わりを与えられているのです。それはイスラエルの民が荒れ野において神様の約束のみ言葉を携えて歩み、それに基づいて礼拝をした、あの幕屋の礼拝に勝る恵みの体験です。約束のみ言葉が、主イエスによって成就したのです。幕屋の礼拝が約束に基づく礼拝だったとすれば、教会の礼拝は主イエスによるその約束の成就、実現に基づく礼拝なのです。ステファノはこのような教会の礼拝において、生きて働いておられる神様にお会いする体験を得ていたのです。それゆえに彼は、神殿にお参りすることの虚しさを知ることができたのです。自分たちの中に神様のおられる場所を確保して、それによって安心を得ようとすることの愚かさを知ることができたのです。私たちもこのことを知っていなければなりません。そうでなければ、「神様はどこにおられるのか。あなたは神様とどこでお会いしているのか」という問いを受けた時に、オタオタとうろたえ、結局何か目に見える形で、神様が自分たちの間におられることを保証してくれるものを求めることになるでしょう。そうならないためには、主イエス・キリストとお目にかかる、生き生きとした礼拝の体験を持たなければならないのです。それは何によって得られるのでしょうか。

聖霊の働きによって

 ステファノは、イスラエルの人々に対して、51節で、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています」と言っています。彼らは、聖霊に逆らっているのです。聖霊のお働きを受けようとせず、求めようとしないのです。そのために、救い主イエス・キリストを受け入れることができず、主イエスによる、生き生きとした礼拝を体験することができないのです。逆に言えば、私たちが、主イエス・キリストとお目にかかる、生き生きとした礼拝を与えられるのは、聖霊のお働きによることです。聖霊のお働きを求めて祈ることによってこそ、私たちの礼拝は、単なる集会、聖書講演会ではなくなり、主イエス・キリストとお目にかかる礼拝となるのです。ステファノはまさにそのような祈りの人でした。6章5節に彼のことが、「信仰と聖霊に満ちている人ステファノ」と紹介されていました。それは、彼が聖霊を自分のものとして所有していたということではなくて、聖霊のお働きを信じて、いつもそれを求めて祈っている、そういう信仰の人だったということでしょう。聖霊のお働きを信じて、祈り求めつつ守る礼拝において、彼は、自分のために十字架にかかって死んで下さり、復活して天に昇り、父なる神の右に座しておられる主イエス・キリストにお会いし、その主イエスとの交わりに生きていたのです。
 私たちにも今、ステファノが守っていたのと本質的に同じ礼拝が与えられています。私たちはここで、聖書を通し、その説き明かしを通して、私たちのために十字架にかかって下さり、復活して天に昇り、父なる神様の右に座しておられる主イエス・キリストを証しするみ言葉を聞いています。また本日は、主イエスが肉を裂き、血を流して死んで下さることによって私たちの罪の赦しを成し遂げて下さった、そのことを覚え、その恵みを体全体で味わうための聖餐が備えられています。主イエスはこの礼拝において、み言葉と、聖餐とによって、私たちの真ん中にいて下さり、私たちに出会って下さり、交わりに生きて下さるのです。そしてそのことを本当に実現させて下さるのは聖霊です。聖霊のお働きがなければ、説教はただのお話しだし、聖餐もただの小さなパンとぶどうジュースに過ぎません。私たちは聖霊のお働きを信じて祈り求めつつ、み言葉と聖餐にあずかるのです。そこに、生けるまことの神様との出会いの場が生まれるのです。

主イエスのお姿を見つめて

 ステファノの言葉に怒り狂った人々は、彼に殺到し、都の外に引きずり出して石を投げつけ、殺しました。本当に神様と出会い、恵みに生かされ、目に見える様々なものから自由になって生きている人の姿は、そうでない、自分の中に確かさを確保して生きようとしている人の憎しみを受け、殺意すらも引き起すのです。ステファノはこうして、キリスト教会最初の殉教者となりました。しかしその死の苦しみの中で、彼は、55、56節にあるように、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見たのです。彼が礼拝においてお会いしており、交わりに生きていた主イエス・キリストが、人々の憎しみよって殺されようとしているその瀬戸際に、ご自身をはっきりと現わし、示して下さったのです。しかも、彼が見た主イエスは、神の右に立っておられました。天に昇り、神の右に座しておられる、つまり天の王座に着いておられる主イエスが、今や立ち上がって、彼に手を差し伸べ、み手をもって支え、そしてご自分のもとへと迎えようとしておられる、その主イエスのお姿を彼ははっきりと見ることができたのです。石を投げつけられ、殺される、その苦しみの中で彼は、この主イエスに呼びかけ、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言いました。立ち上がって自分を迎えて下さる主イエスに、命を、魂を委ねることができたのです。そこには、大勢の人々によるリンチ殺人というこの場面にそぐわない、不思議な平安があります。そしてさらに彼は、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言って眠りについた、つまり死んだのです。この最後の二つの言葉は、主イエスご自身の十字架の上での最後のお言葉と重なります。ステファノは、主イエスと同じような死を遂げたのです。それは彼が自分を殺す人をも赦すことができる特別に立派な人だったということを言っているのではありません。聖霊のお働きによって、主イエスにお会いし、主イエスとの交わりに生きる、そういう生き生きとした礼拝の体験を与えられている者は、人生の危機において、ここぞという場面において、主イエスのお姿をはっきりと見つめ、主イエスに支えられて、主イエスが歩まれたように歩むことができるのです。最初の殉教者ステファノは、私たちにも与えられている礼拝の恵みの中で生き、その中で死んでいったのです。

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