主日礼拝

主と共に苦しみを負う

「主と共に苦しみを負う」 牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:イザヤ書 第53章1-12節
・ 新約聖書:ローマの信徒への手紙 第16章1-16節
・ 讃美歌:4、137(1、2、3、6)、527

個人的挨拶
 主日礼拝においてローマの信徒への手紙を読み進めてきまして、いよいよ最後の章、16章に入ります。その冒頭には「個人的な挨拶」という小見出しがつけられています。私たちも手紙の締めくくりに挨拶を書きますが、パウロも挨拶をもってこの手紙を締めくくっているのです。その挨拶の相手は、3節以下に、これこれの人によろしく、と名前が挙げられている人々です。パウロはローマの教会を訪れたことがありませんが、ここに名前を挙げられている三十人弱の人々のことは既に知っていました。ローマの教会にいる知人たちの名前を挙げて、それらの人々に「よろしく」と言っているのです。そういう「個人的な挨拶」ですから、当事者にとっては意味があっても、私たちには関係がないのではないか、私たちにとってはここは意味のない部分ではないか、とも思われます。けれどもこの挨拶の部分もこの手紙に含まれて聖書の一部とされています。私たちは、聖書が聖霊によって記された神の言葉であると信じ、それゆえに聖書こそが信仰の規範であると信じています。ですから、この挨拶の部分も、私たちの信仰にとって意味があるに違いない、という思いでここを読んでいきたいと思います。そうするならば、この箇所からも神さまからの語りかけを聞くことができるのです。

奉仕者フェベ
 さて、この16章の最初の1、2節でパウロは、ローマの教会の人々に、フェベという一人の女性の信仰者を紹介しています。この人は「ケンクレアイの教会の奉仕者」だと語られています。新共同訳聖書の後ろの付録の地図の中の「パウロの伝道旅行2、3」を見ると、ギリシアの南部、コリントのすぐ近くにその町があることが分かります。パウロは今、コリントでこの手紙を書いていると思われています。つまりフェベは今パウロがいる所のすぐそばの教会の人なのです。2節には、このフェベを「聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく」迎え入れ、助けてあげてください、と言われています。つまりフェベはこれからローマへ行こうとしているのです。おそらくパウロはこのフェベに託してこの手紙をローマの教会に送ろうとしているのでしょう。パウロ自身は、15章に語られていたように、これから、ローマとは反対のエルサレムに行こうとしています。そこでの大事な用事を済ませてからローマに行くつもりだ、と言っていました。自分自身はそのように大きな遠回りをしてローマへ行こうとしているので、フェベに託してこの手紙を先にローマの教会に届けてもらおうとしているのです。

教会を支えた女性たち
 パウロの手紙の中でも最も重要と言ってもよいこのローマの信徒への手紙が、一人の女性信者によって宛先の教会に届けられたということを私たちは記憶しておくべきでしょう。ローマ帝国による交通網が整備されていたとはいえ、ケンクレアイからローマへと旅をすることは女性には大変だったろうと思います。しかしそれにも増して私たちが注目すべきことは、誕生して間もない当時の教会が、このような女性の奉仕者たちによって支えられていた、という事実です。フェベはケンクレアイの教会の「奉仕者」だと言われていますが、これは原文の言葉では「ディアコノス」であって、後に「執事」という教会の一つの務めを現すようになった言葉です。以前の口語訳聖書はここを「執事」と訳していました。まだこの時点では牧師や長老と区別された執事という務めが生まれてはいませんから、これを「執事」と訳してしまうのは相応しくないと思います。しかし当時既に教会には「奉仕者」と呼ばれていた人々がおり、その多くは女性だったのです。キリスト教会は最初からこのように女性たちの働きによって支えられていたのです。パウロはフェベのことをここで、「彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です」と言っています。「援助者」と訳されている言葉は、「パトロン、保護者」という意味で、「ちょっとお手伝いをする人」ではなくて、もっとずっと力強い働きをしていることが伺えます。フェベは、教会の多くの人々を力強く支えており、またパウロら伝道者を助けている、力強い奉仕者だったのです。そのフェベがパウロの手紙を携えてローマに行くので、彼女を、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく迎え入れて欲しい、とパウロは語っています。ローマの教会の人々が彼女を同じ信仰に生きている仲間として受け入れ、彼女の賜物がローマの教会においても生かされ、用いられることを願って、彼女のことを紹介しているのです。

「よろしく」
 このようにパウロは、ケンクレアイの教会において主イエス・キリストに仕えている奉仕者である一人の女性が、ローマの教会においても受け入れられ、賜物を十分に生かして奉仕ができるようにと願いつつこの挨拶の部分を語り始めています。そしてそれに続いて、ローマの教会で既に主に仕え、奉仕している、彼が知っている人々のことを覚えていくのです。それが3節以下の「誰々によろしく」という挨拶です。この「よろしく」という言葉は、日本語としてはそのように訳すしかないのでしょうが、原文の言葉は「挨拶しなさい」という命令形です。例えば3節の「プリスカとアキラによろしく」は直訳すれば「プリスカとアキラに挨拶しなさい」となるのです。そこで彼が命じている挨拶は、日本語の「こんにちは」のようなあまり意味のない言葉ではなくて、ユダヤ人であるパウロにおいては「シャーローム」です。それは「平和」という意味であり、挨拶の言葉としては「平安あれ」などと訳されます。しかしこの「シャーローム」は単なる平安や平和、争いがない状態のことではなくて、神の祝福、恵みが満ち溢れていることを意味しています。神の祝福があなたの上に満ち溢れるように、というのが「シャーローム」という挨拶の意味なのです。「プリスカとアキラに『シャーローム』と挨拶しなさい」とパウロはローマの教会の人々に言っているのです。ですからこれは「よろしく」という言葉ではとうてい言い表せない深い内容を持ったことです。パウロは、自分が知っている人々の安否を尋ねているのではなくて、それらの人々が、ローマの教会の兄弟姉妹の交わりの中で、神による平和を与えられ、神の祝福に満たされることを願っているのです。

プリスカとアキラ
 それは、私の知人であるこれらの人々を大切にしてやってほしい、ということではありません。パウロがここで名前を挙げている人々は、彼にとって単なる知人ではなくて、先ほどのフェベと同じように、共に主イエス・キリストに仕え、教会のために奉仕している人たちです。最初に名前が挙げられているのはプリスカとアキラです。彼らは夫婦であり、プリスカが妻、アキラが夫です。パウロは彼らについて「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている」と言っています。それが具体的にどのようなことだったかは、使徒言行録の18章に語られていますのでそれぞれでお読みいただきたいのですが、彼ら夫婦はコリントやエフェソでの伝道におけるパウロの力強い同労者であり、パウロがエフェソを去った後にはその地の教会の指導者として良い働きをした人たちです。4節には「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たち」とあります。これは使徒言行録19章に記されているエフェソでの騒動の時のことではないかと思われます。彼らはその時命がけでパウロを守ったのでしょう。そのことについて、「わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています」とあります。パウロは、主の導きによって異邦人にキリストの福音を宣べ伝え、異邦人が主イエスによる救いにあずかる道を開きました。そのパウロの命を救い、その働きを支えてくれたプリスカとアキラに、異邦人のキリスト信者たちは心から感謝しているのです。そのプリスカとアキラが今はローマにいます。5節には「彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください」とあります。プリスカとアキラは、ローマにおいても、自分の家を信者たちの集会の場として提供しているのです。当時の教会には教会堂などはありません。信者の家で礼拝や集会が行われていたのです。ローマの教会も、何人かの信者たちの家に集まっており、その内の一つがプリスカとアキラの家だったのです。つまり彼らはローマでも教会の中心的奉仕者なのです。またこの夫婦は、プリスカとアキラというふうに、妻の名前が先に記されていることが多いことも興味深いところです。それは、妻プリスカの方が先に信仰者になったということかもしれないし、妻の方が夫よりも教会において大きな働きをしていた、ということかもしれません。つまりここにも、あのフェベと同じように、教会のために良い働きをしている女性のことが見つめられており、その働きを支えている夫である男性の存在が示されているのです。
 次に名前が挙げられているのは「わたしの愛するエパイネト」です。「彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です」とあります。パウロのアジア州、今日のトルコにおける伝道によって最初にキリストを信じ、キリストに献げられた、つまりキリストのものとなった人、ということです。この人がどんな人でどんな働きをしたのかは全く分かりません。プリスカとアキラと比べると全く目立たない存在です。しかしパウロは、アジア州で信仰を得た彼が今ローマに移り住んでそこの教会に連なって主に仕え、礼拝を守っている、そのこと自体が教会にとって大きな励ましであることを思ってこの挨拶を送っているのです。そういう意味でこのエパイネトもパウロの協力者、共にキリストに仕えている人なのです。

苦しみを負って主に仕えている人々
 6節には「あなたがたのために非常に苦労したマリア」が出てきます。この人も女性です。具体的なことは何も分かりませんが、ローマの教会のために非常に苦労した女性が覚えられているのです。7節には「アンドロニコとユニアス」とあります。これは男性二人とも取れるし、ユニアスを「ユニア」という女性の名前の変化したものと取ることもできるので、夫婦なのかもしれません。彼らは、パウロと一緒に捕われの身となったことがある、つまりこの人々も、今のマリアと同様、キリストのため、教会のために迫害を受け、苦しみを背負ったのです。このように、パウロが「よろしく」と挨拶を送っている人々はそれぞれに、主イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、また教会への奉仕において苦しみを背負っている人々です。そのことが直接語られているのは12節です。「主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく」とあります。これは両方共女性の名前です。「苦労して働いている」は現在形ですから、今現在苦しみを負いつつ主に仕えている女性たちです。また「主のために非常に苦労した愛するペルシス」も「ペルシャの女」という意味の名前ですから女性です。ペルシャから連れて来られた奴隷だったのでしょう。この人も「主のために非常に苦労した」、これは過去形ですから、かつて主のために大きな苦労を負ったのです。このペルシスと同じようにその名前から、奴隷ないし解放された奴隷だろうと思われる人たちが何人もいます。8節のアンプリアト、9節のウルバノとスタキス、14節のアシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、15節のフィロロゴとユリア、これも夫婦かと思われますが、これらの人々は奴隷ないし解放された奴隷だろうと思われます。当時のローマ帝国における奴隷は、戦争において捕えられた人たちであり、比較的自由があったようですが、しかし主人の所有物とされていることは違いないわけで、大きな苦しみを負っていたことは確かです。新約聖書のペトロの手紙一の第2章には、奴隷の身分でキリストを信じる者となった人々への勧めが語られていて、不当な苦しみを受けても耐え忍んで主人に従うようにと語られています。奴隷の身分でキリスト信者になった人々はまさにそういう苦しみを受ける立場に置かれていたのです。
 このように見て来ると、ここに並べられている三十人弱の人々に共通しているのは、主イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、また主に仕え、教会に奉仕する働きのゆえに、苦しみを負っている、ということです。パウロ自身もそうでしたし、フェベも同じです。苦しみを負いつつキリストに従い、仕えている、そのことが、パウロとフェベを、そしてパウロがここで「主の祝福が満ち溢れるように」との挨拶を送っている全ての人々を結びつけている絆なのです。

主の苦しみを共に負う
 彼らが負っている苦しみはそれぞれいろいろに違っています。信仰のゆえに迫害され、投獄された人もいるし、奴隷として生きる中で、日々苦しみの中にある人もいます。そのように負っている具体的な苦しみは様々ですが、大事なことは、彼らが主イエス・キリストを信じていることによって、自分の苦しみを「主に結ばれて」「主のために」負っているということです。彼らは自分の苦しみを、主イエス・キリストと共に生きることの中で背負っているのです。それは、彼らが主イエス・キリストご自身の十字架の苦しみを常に見つめており、自分が負っている苦しみを、主イエスご自身の苦しみと繋がるものとして意識しているということです。主イエス・キリストを信じる信仰とは、主が自分のために負って下さった苦しみを自分も背負って主イエスと共に歩み、主に従い仕えることです。信仰によって苦しみがなくなるのではありません。信仰をもって生きる時に私たちは、神の子であり私たちの救い主であられる主イエスが私たちの救いのために背負って下さった十字架の苦しみを見つめ、その苦しみの足跡を私たちも踏んで、主イエスの苦しみにあずかっていくのです。そのことによって私たちは、主イエスが私たちの救いのために負って下さった苦しみをはっきりと知ることができるし、それによって与えられた救いが分かるようになるのです。先程、ペトロの手紙一の第2章において、奴隷の身分で信仰者となった人々への勧めとして、不当な苦しみをも耐え忍ぶようにと語られていると申しました。その勧めの根拠は、何の罪もない神の子主イエスが、私たちの罪を背負ってまさに不当な苦しみを受け、十字架にかかって死んで下さったということです。その箇所をここで読みたいと思います。ペトロの手紙一第2章18-25節(431頁)です。
「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」
 ここに描かれている主イエスのお姿は、本日共に読まれた旧約聖書、イザヤ書53章における、民の罪の贖いのために罪なくして自らの命をささげた「苦難の僕」の預言の成就、実現です。主イエスは、イザヤが預言していた苦難の僕として十字架の苦しみを背負われました。私たちはその主イエスの足跡に従って、自分に与えられている苦しみを背負って歩むのです。パウロはそのように苦しみを負って主に従い仕えている仲間たちのことをこの挨拶において覚え、彼らの歩みに、主の祝福と平安が満ち溢れるようにと祈っているのです。主イエスが受けて下さった苦しみを共に負って従っていくところにこそ、神の祝福と平安が豊かに与えられるからです。

主と共に苦しみを負うことによる祝福
 ローマの教会の人々はそのことの具体的な事例を目の前に見ていたであろうことが13節から想像されます。13節に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく」とあります。このルフォスは、マルコによる福音書第15章21節に出て来るルフォスだろうと思われるのです。その箇所を読んでみます。「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」。ここに出て来るキレネ人シモンは、主イエスが十字架を背負わされて、処刑場であるゴルゴタの丘へと歩かされていく途中で、主イエスの十字架を代って背負わされたのです。それは彼にとって、不当に背負わされた十字架であり、いわれのない苦しみでした。しかし主イエスの十字架を無理に負わされて、主イエスと共に苦しみの道を歩いたその体験が、彼の人生を変えたのです。マルコ福音書がこのシモンを「アレクサンドロとルフォスとの父」と記しているのは、この福音書が書かれた教会において、シモンの二人の息子たちが知られていたということ、つまり彼らが教会に連なる信仰の仲間となっていたということです。パウロもその一人ルフォスを知っており、その母、つまりシモンの妻をも知っているのです。シモンの家族は教会に連なる信仰者となったのです。主イエスの十字架の苦しみの一端を背負って主イエスと共に歩いたその苦しみの歩みは、シモン自身とその家族をキリストの救いにあずからせるという祝福の実りを生んだのです。シモンの二人の息子の名前を伝えているのはマルコによる福音書だけですが、マルコによる福音書は、使徒ペトロに従って伝道したヨハネ・マルコという人が、ペトロの殉教の後、ローマにおいて書いたものだと言われます。13節の、ローマの教会のルフォスをシモンの息子ルフォスと考える根拠はそこにもあります。このシモンの家族の姿が証ししているように、主イエス・キリストの十字架の苦しみを見つめつつ、自分に与えられている苦しみを背負って主イエスに従い、主イエスと共に歩むところには、神による祝福が豊かに注がれ、自分も、家族も、主イエスによる救いにあずかっていくという恵みが与えられていくのです。ローマの教会の人々と共に私たちも、このことによって励ましを与えられて、主イエスが負って下さった苦しみの一端が自分にも与えられていることを信じて、自分の苦しみを背負って主と共に歩んでいきたいのです。

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