「離散して仮住まいをしている人たちへ」 副牧師 川嶋章弘
・ 旧約聖書:エレミヤ書 第29章10-14節
・ 新約聖書:ペトロの手紙一 第1章1-2節
・ 讃美歌:
ペトロの手紙一が書かれた時代
本日からペトロの手紙一を読み始めます。本日の箇所は手紙の挨拶ですが、すでにこの挨拶の中で私たちの信仰の核心が見つめられています。ですから短い箇所ですが二回に亘って読むことにしました。本日は1節を中心に読み、来月は2節を中心に読んでいきます。
ペトロの手紙一を読むにあたって、手紙が書かれた時代の状況に目を向けておきたいと思います。この手紙は紀元90年代に書かれたと考えられています。紀元90年代はローマ皇帝ドミティアヌスの時代であり、彼はキリスト教徒を迫害しました。ローマの伝統をこよなく愛し、その回復を願っていたドミティアヌスにとって、ローマの神々を拒み、その伝統の多くを否定しているキリスト教徒は邪魔な存在であったのです。キリスト教徒の迫害と聞くと帝国全域での迫害を思い浮かべがちですが、ドミティアヌスによる迫害は局所的であったようです。しかしローマと小アジア(現在のトルコ)では激しい迫害が起こり、多くの殉教者が出ました。詳しい記録が残っているわけではありませんが、ローマで処刑されたあるキリスト教徒の罪状は「無神論」であったようです。キリスト教徒が処刑される理由が「無神論」であることに私たちは驚かずにはいられません。けれども当時、目に見えない神を礼拝するキリスト教徒は、しばしば異教徒から「神の存在を信じない者」と見なされていたのです。この手紙の1章8節に「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」とあります。目に見えないキリストが聖霊の働きによっていつも共にいてくださることを信じ、目に見えない父なる神がすべてをご支配していてくださることを信じるのが私たちの信仰です。しかしギリシャやローマの神々の像のように目に見える神を信じる人たちは、目に見えない父・子・聖霊なる三位一体の神を信じるキリスト教徒を神の存在を信じていない者と見なしました。この手紙が書かれた時代には、キリスト教徒は目に見えない神を礼拝しているという理由で迫害され処刑されることがあったのです。1節に「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」とありますが、これらはローマの属州の名称です。当時の地図を見ると小アジアの大部分がこの五つの属州に含まれています。つまりこの手紙は一つの教会に宛てて書かれたのではなく、小アジアに点在するキリスト教会に宛てて書かれたのです。そしてこの手紙が送られた小アジアは、ドミティアヌスによる迫害が最も激しかった地域の一つです。迫害による試練と困難の中にある小アジアの諸教会に向けてこの手紙は書かれたのです。
使徒ペトロによる手紙
さて手紙が書かれた年代と関わるのが、この手紙は誰によって書かれたかということです。1節冒頭に「イエス・キリストの使徒ペトロから」とあります。しかし使徒ペトロは紀元64年にローマで殉教したと伝えられています。ローマ皇帝ネロによる迫害が起こった時代です。ドミティアヌスによる迫害は、それより後の90年代ですから、この手紙はペトロが亡くなった後に書かれたことになります。またこの手紙は洗練されたギリシャ語で書かれていますが、ガリラヤの漁師であったペトロにはこのような文章は書けなかったと考えられています。では誰が書いたのでしょうか。この手紙の終り5章12節に「わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き」とあるので、シルワノ(シラス)が書いたと考えられることもあります。しかし確かなことは分かりません。おそらくペトロの弟子が書いたのだと思います。その弟子はペトロと一緒に伝道をしたのかもしれません。ペトロはギリシャ語を話せなかったはずですから、通訳を担った弟子が一緒にいても不思議ではありません。いつもペトロの側にいて、ペトロが語る福音を通訳して異邦人に伝えていたのです。そのような弟子がペトロと一体になり、ペトロの信仰に立ってこの手紙を書いたのだと思います。ペトロの存在と信仰なくしては、この手紙が書かれることはありませんでした。だからこそキリスト教会はこの手紙を使徒ペトロによる手紙として読み続けてきたのです。同じように私たちもこの手紙を使徒ペトロによる手紙としてこれから読み進めていきたいと思います。
捕囚の民を支えるエレミヤの手紙
「イエス・キリストの使徒ペトロから」と記された後に、「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ」とあります。ペトロは小アジアの諸教会に連なるキリスト者に、「離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」と呼びかけているのです。「離散して」と訳されている言葉はギリシャ語で「ディアスポラ」という言葉で、「散らされている者」を意味します。この言葉はしばしばユダヤ人に対して用いられてきました。紀元前6世紀に王国が滅ぼされて以来、多くのユダヤ人がパレスチナから離れ世界の各地に散らされたからです。
その端緒がいわゆる「バビロン捕囚」です。王国の滅亡と相前後して、多くの人たちが強制的にバビロンに連れて行かれました。彼らはエルサレムから遠く離れたバビロンで、異教社会の中で、異教の神々とその神々を信じる人たちに囲まれて暮らさなければならなかったのです。それだけではありません。エルサレム神殿から遠く離れることによって、彼らは神を礼拝する場所を失ってしまいました。自分たちが信じている神を礼拝することなしに、異教社会で信仰を守り通すことはできません。彼らは信仰の危機に直面していたのです。しかしそのような捕囚の民に神は預言者を通して語られます。共に読まれた旧約聖書エレミヤ書29章10節以下は、預言者エレミヤがバビロンで捕囚として暮らしている人たちに送った手紙の一部分です。エレミヤは12節以下でこのように言っています。「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる」。エルサレム神殿から遠く離れていても、神を呼び、神を求めるならば、主は出会ってくださる、とエレミヤを通して告げられたのです。それは散らされた地にあって神を礼拝できるということにほかなりません。エレミヤの手紙は、異教の地で試練と困難の中にあって生きている捕囚の民の大きな支えとなったに違いありません。この手紙を通して告げられたみ言葉が、彼らの信仰と礼拝を支え続けたに違いないのです。
小アジアの諸教会を支える手紙
小アジアのキリスト者たちも同じような状況にありました。だからペトロはユダヤ人に用いられた「ディアスポラ」、「離散した」という言葉を使って、小アジアのキリスト者に語りかけているのです。彼らは強制的に別の場所へ連れて行かれたわけではありません。しかし彼らも、バビロンで暮らした捕囚の民と同じように、異教の神々とその神々を信じる人たちに囲まれて生きていたのです。ローマ帝国による激しい迫害は、小アジアの諸教会に連なる人たちが、神を信じ、神を礼拝して生きるのをさらに困難なものにしました。捕囚の民と同じように、異教社会の中で、迫害を恐れながら自分たちの礼拝と信仰生活を守っていかなくてはならなかったのです。ペトロの手紙一はそれらの諸教会に届けられ、回覧されたのだと思います。おそらくそれぞれの教会の礼拝の中で読まれました。エレミヤの手紙が捕囚の民の礼拝と信仰生活を支え続けたように、この手紙も小アジアの諸教会に連なる人たちの礼拝を支え、彼らの信仰生活を支え続けたに違いないのです。
一つの神の民として歩むために
ユダヤ人であれキリスト教徒であれ「離散して生きる」ことの困難さは、離れ離れになっているために共に集まれないことにあります。ユダヤ人はバビロンだけでなく世界中に散らされました。小アジアの教会も小アジア全体に散らされていました。散らされ、離れ離れになることによって一つの群れ、一つの神の民として歩むことが難しくなるのです。私たちも二年以上に亘って、コロナ禍のために「散らされている」と言うことができると思います。集まっての礼拝ができなかったときはもちろん、それ以降も三回ないし二回に主日礼拝が分かれているために一つの礼拝に共に集まることができないでいるからです。今、私たちは「散らされて」別々の礼拝を守っているのです。そのために私たちの群れも「一つの群れ」として歩むことを脅かされています。しかしだからこそ、たとえ別々の礼拝に分かれていても、同じみ言葉によって生かされていることが大切なのです。ユダヤ人は散らされたところで、神を礼拝することによって一つの神の民であり続けました。小アジアの諸教会も、ペトロの手紙が回覧され、礼拝で読まれることによって、離れ離れであっても一つの神の民として歩もうとしました。この手紙が告げている信仰に堅く立つことによって一つの群れとして歩もうとしたのです。私たちはなお二つの礼拝に散らされています。それでも同じみ言葉に与り、同じ信仰に堅く立つことによって私たちの群れは「一つの群れ」として歩むことができるのです。別々の礼拝に散らされているだけではありません。教会に来ることができない方々もいます。教会に来ることができずに「散らされている者」が私たちの群れにいるのです。私たちはそのことをしっかり受けとめなくてはなりません。そのような方々が同じみ言葉に与れるように、ホームページに礼拝の音声をアップしたり、説教原稿の郵送を行っています。それで十分とはいえないでしょう。なお工夫が必要かもしれません。それでもコロナ禍にあって離散している私たちの群れが、同じみ言葉に与ることによって「一つの群れ」として歩み続けることができるよう祈り求めていきたいのです。
異教社会の中で生きる
「離散して生きる」ことの困難さは、ただ離れ離れになっていることにあるのではありません。今、新規感染者数がかなり減少してきたため、近い内に「コロナ禍」が収束するのではないかという期待が増してきました。しかしたとえ「コロナ禍」が終わり、礼拝が一回になって私たちが一つの礼拝に共に集まることができたとしても、私たちは「離散して生きる」ことがなくなる、ということではないのです。なぜなら「離散して生きる」とは、ただ散らされているだけでなく異教社会の中で生きることでもあるからです。捕囚の民はバビロンにあって異教社会の中で生きました。小アジアの諸教会も異教社会の中で、ローマ帝国の迫害によって見えない神を信じ、礼拝することがますます困難になる中を歩みました。バビロンでも小アジアでも異教の神々とその神々を信じる人たちに囲まれて生きなくてはならなかったのです。「離散して生きる」とは距離の問題だけではありません。たとえお互いがそれほど離れていなくても、それぞれが異教社会の中に散らされて生きていることが「離散して生きる」ことの本質なのです。ですから日本に生きている私たちは、「コロナ禍」であろうとなかろうと、異教社会の中に散らされて生きているのであり、「離散して生きている者」にほかならないのです。私たちは小アジアの諸教会とは異なり迫害を受けることはないでしょう。見えない神を信じているからといって処刑されることもありません。しかしそうであるとしても私たちが異教社会の中で神を信じて生きることには試練があり困難があるのです。日々の歩みの中で私たちが関わりを持つのは、自分に敵対している人ばかりではありません。むしろ家庭や学校や職場において、私たちは多くの場合、自分の大切な人と関わっているのです。しかしだからこそ私たちは大きな痛みを覚えます。私たちにとって生きるにも死ぬにもただ一つの慰めである主イエス・キリストを信じる信仰が、否定されることはないとしても、大切な人に受け入れてもらえない痛みと苦しさがあるのです。家庭や学校や職場で、私たちは主イエスを信じているがゆえに、ためらいを覚えることがあるのではないでしょうか。たとえば家族や友人と神社に行くことがあるかもしれません。寺社仏閣を鑑賞のために訪れるのは問題ではありません。しかし家族や友人がお賽銭を入れるとき、自分だけ入れないことにためらいを覚えることがあるかもしれません。自分はなにも間違っていないと分かっています。家族や友人は、信仰というより慣習に従って入れただけかもしれません。でも、「なんであなたは入れないの」と言われたり、そのような目で見られるとき、私たちはつらい思いをするのです。あるいは家族や友人と食事をすることがあります。食前に祈りたいと思います。今日も肉の糧が与えられ生かされていることに感謝したいと思います。でもそうすることによって食べ始めるのを待たせてしまうかもしれないというためらいが生じることはないでしょうか。祈っているのを不思議な目で見られるのも嬉しいものではありません。これらは些細なことでしょうか。私はそうは思いません。小アジアの諸教会の人たちのように迫害に苦しむことはないとしても、日々の生活の中で、私たちは主イエスを信じているがゆえの苦しみや痛みを味わうのです。見ず知らずの人にどのように思われても、どのように見られてもそれほど気にならないかもしれません。しかし身近な人たち、大切な人たちの中にあって神を信じて生きることには、大きな試練と困難があり、苦しみや痛みを伴うのです。
仮住まいをしている
ペトロは小アジアの諸教会の人たちに「仮住まいをしている人たち」とも呼びかけています。この地上において「仮住まいをしている」とは、世界中を旅行しているとか、引っ越しを繰り返しているということではありません。そうではなく私たちがすでに天の民とされているゆえに、この地上には属していないということなのです。私たちはキリストの十字架と復活による救いに与り、洗礼においてキリストと結ばれることによって天の民とされました。この地上の人生においてすでに天の民として生き始めているのです。ですからこの地上において「仮住まいをしている」とは、私たちがこの地上のどんな組織にも究極的には属していないことも意味します。私たちは人生において学校や会社など色々な組織に属します。しかしそれらは私たちが究極的に属しているものではありません。私たちが究極的に属しているのは天の国なのです。どこに属しているかだけではありません。私たちは人生において学歴や財産や地位や名声というようなものに捕らわれ、それらに価値があると思ってしまいます。しかし私たちがすでに天の民とされているとは、そのようなこの世の価値観からも自由にされているということなのです。この地上の歩みにおいてどんな組織にも究極的には属さず、あらゆる世の価値観から自由にされていることこそ、私たちがこの地上で「仮住まいをしている」ことにほかならないのです。
選ばれた人たち
異教社会の中に散らされ、この地上で「仮住まいをして」生きるのには、たとえ迫害がなかったとしても、試練と困難があり、不安と恐れがあり、痛みと苦しみがあります。しかしペトロは、そのような「離散して仮住まいをしている人たち」こそ「選ばれた人たち」だと言うのです。2節にあるように「父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれた」のが「選ばれた人たち」です。2節については、来月、詳しく見ていきたいと思いますが、「父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて」については触れておくことにします。私たちが「選ばれた人たち」と言われているのは、私たちがなにか立派なことをしたからではありません。「父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて」とあるように、神の一方的な恵みのご計画によるのです。私たちに選ばれるに値するものがあったからではなく、神が恵みによって私たちを生まれる前から選んでくださったのです。私たちには自分がどうして選ばれたかは分かりません。私たちはただその恵みを感謝して受けとめ、その恵みにお応えして歩んでいくのです。
離散して仮住まいをしている私たちに与えられている希望
このように私たちが「選ばれた人たち」であるとは、私たちが神の恵みのご計画のもとにあるということです。捕囚の民はバビロンにあって先行きの見えない不安の中にありました。彼らにとってバビロンでの生活は文字通り「仮住まい」であり、エルサレムに帰還することが彼らの願いでした。けれどもその願いがいつ叶うかはまったく見通せませんでした。いつ戻れるか分からないエルサレムを想い嘆きつつ過ごしていたのです。しかしエレミヤはその手紙の中で主のみ言葉をこのように告げています。29章11節です。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。災いの中にあるとしか思えない状況にあるにもかかわらず、なお将来と希望を与える平和の計画のもとにある、神の恵みの計画のもとにあると捕囚の民に告げられているのです。そしてその「将来と希望を与える計画」が、14節で「わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す」と告げられています。この約束こそ、エルサレムから遠く離れ異教社会の中で生きる捕囚の民を支える希望であったのです。
小アジアの諸教会の人たちは、激しい迫害の中で多くの試練と困難に直面しました。命がけで神を信じ、神を礼拝しました。同じように私たちも異教社会の中に散らされ、仮住まいをする中で、多くの試練と困難に直面し、多くの痛みと苦しみを味わっています。けれども私たちは神の恵みのご計画のもとにあります。捕囚の民に与えられていた約束は捕囚からの帰還でした。彼らにはこの世界に帰る場所があり、安住の地があったからです。しかし私たちはそうではありません。私たちがこの地上で「仮住まいをしている」とは、この世界のどこかに帰る場所や安住の地があるということではないのです。私たちの帰る場所は、安住の地は天にこそあります。私たちは天の国を望みつつこの地上を歩んでいるのです。その私たちにキリストの十字架と復活による約束が与えられています。地上における死を越えて終りの日に復活と永遠の命に与るという将来と希望を与える神のご計画のもとに、私たちはあるのです。この復活と永遠の命の約束こそ私たちの希望です。この希望が、地上に「離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ」、私たち一人ひとりへ与えられているのです。私たちはコロナ禍によって散らされています。異教社会に生きる試練と困難の中にあります。信仰を持って生きるからこそ、大切な人からどのように見られているか気にしてしまう痛みや苦しみがあります。試練と困難に直面し、痛みと苦しみを味わいながら「離散して仮住まいをしている私たち」に、キリストの十字架と復活による終りの日の復活と永遠の命の希望が与えられているのです。私たちはこの希望に堅く立ち、天の国を望み見つつ、試練と苦しみの絶えない地上の人生を歩んでいくのです。