説教「御言葉を受け入れる」 副牧師 川島章弘
旧約聖書 ゼカリヤ書第7章9-14節
新約聖書 使徒言行録第17章1-15節
フィリピを後にして
本日は使徒言行録第17章1~15節を読みます。いわゆるパウロの「第2回伝道旅行」において、キリストの福音は初めてヨーロッパに伝わりました。ヨーロッパにおける伝道はフィリピで始まりましたが、16章11節以下では、リディアがパウロの語る福音を聞き、信じ受け入れ、洗礼を受けたことが、そして自分の家を開放し、パウロたちを迎え入れたことが語られていました。そのようにしてリディアの家がフィリピの教会となり、またヨーロッパ最初の教会となったのです。リディアの家を拠点として、パウロたちはフィリピで伝道をしましたが、その中で起こった出来事が16節以下で語られていました。不当な行為によって牢に入れられたパウロとシラスでしたが、最終的にはフィリピの高官たちはパウロとシラスを牢から解放し、また二人に町から出ていくよう頼みました。そこで牢を出た二人は、40節にあるように、「リディアの家に行ってきょうだいたちに会い、彼らを励ましてから出発した」のです。「きょうだいたち」というのは、フィリピの教会のメンバーのことです。リディアの家族が主なメンバーだったはずですが、わざわざ「きょうだいたち」と記していますから、リディアとその家族以外のメンバーが、すでにフィリピの教会に加えられていたのだと思います。いずれにしてもパウロたちは、誕生したばかりのフィリピの教会のメンバーを励ましてから、フィリピを後にしたのです。
ローマの街道を用いて
フィリピを出発したパウロたちは、本日の箇所の冒頭1節にあるように、「アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに」着きました。聖書の後ろの付録の聖書地図11「パウロの第一次および第二次宣教旅行」を見ると、赤色の線で第2回伝道旅行の行程が記されていますが、むしろ次の頁の聖書地図12「パウロの第三次宣教旅行とローマへの旅」を見たほうが分かりやすいと思います。地図の中央上部にフィリピがあり、そこから南西にアンフィポリス、アポロニア、テサロニケ、と1節に出てくる町があります。実はこれらの町は、いずれもローマの街道、エグナティア街道沿いの町です。つまりパウロたちはフィリピを出発すると、エグナティア街道を用いて、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いたのです。「すべての道はローマに通ず」という言葉があるように、ローマ帝国は、帝国内の各地からの道がローマに通じるよう道路網を整備しました。エグナティア街道もその一つです。パウロの伝道は、その道路網を最大限活用したものであったと言えます。帝国内に整備された道路網は、キリストの福音が短期間の間に、あれ程広い地域に伝わった一つの要因でした。それは、さらに言えば、神がその独り子をこの時代のパレスチナに遣わされたことは神のご計画であった、ということでもあります。主イエス・キリストはたまたま、あの時代、あの場所にお生まれになったのではありません。あの時代、あの場所にお生まれになったことにも、神の必然があり、ご計画があったのです。
テサロニケでの伝道とベレアでの伝道
本日の箇所の前半では、フィリピからエグナティア街道を通ってたどり着いたテサロニケでの伝道が語られています。一方、後半の10節以下では、テサロニケから逃れた先のベレアでの伝道が語られていますが、このベレアは、エグナティア街道沿いの町ではありません。街道から南の方に逸れた所にある町で、テサロニケから南西に約80キロメートル下った所にある町です。この二つの町での伝道を一緒に読むことには理由があります。それは使徒言行録が、テサロニケでの伝道とベレアでの伝道を対にして記しているからです。この二つの町で起こったことには共通点と相違点があります。私たちはテサロニケとベレアでの伝道を比べることによってこそ、この箇所のメッセージを受けとめていくことができるのです。
ユダヤ人の会堂で
そのために、まずテサロニケとベレアそれぞれでの出来事を見ていきたいと思います。フィリピとは異なりテサロニケにはユダヤ人の会堂がありました。そこでパウロは安息日に会堂へ入って行き、「聖書を引用して論じ合い」ました。パウロの時代には新約聖書はありませんから、この場合の「聖書」というのは旧約聖書のことです。このように新しい町を訪れた際に、まずユダヤ人の会堂に行き、そこで聖書について語り、ユダヤ人に伝道するのは、パウロの伝道の基本的な方法でした。だから2節では、「パウロは、いつものように、会堂へ入って行き」と言われています。「いつものように」というのは、「習慣に従って」という言葉です。まず会堂のユダヤ人に伝道するのが、パウロの伝道の習慣、基本的な方法であったのです。
しかしこのことは、パウロの単なる習慣や方法に留まるものではありません。むしろ神の救いの歴史における順序に関わることである、と言えるでしょう。主イエス・キリストがこの世に遣わされる前、ユダヤ人が神の民でした。しかしキリストによって、ユダヤ人だけでなく異邦人も神の民に加えられるようになりました。神の救いの歴史は、まずユダヤ人から始まり、それから異邦人へと向かったのです。旧約聖書も、もともとは神がユダヤ人に向けて語られた言葉です。それがキリストによって、ユダヤ人だけでなく異邦人にも向けて語られた言葉となりました。この神の救いの歴史における順序を、またその連続性を大切にしていたからこそ、パウロはまず会堂に行ってユダヤ人に伝道しました。ユダヤ人に与えられた聖書を引用し、それを説き明かすことによってユダヤ人に伝道したのです。
テサロニケにおいて
パウロは旧約聖書を引用して、それが主イエス・キリストを証ししていることを説き明かしました。その内容については、後で改めて見ることにしますが、パウロによる聖書の説き明かしを聞いて、4節の前半にあるように、「彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスの仲間に」なりました。「彼らのうちのある者」とは、会堂に集っていたテサロニケのユダヤ人の内の何人かは、ということでしょう。この表現から、パウロの説教を聞いてキリスト者となったテサロニケのユダヤ人は、多くはなかった、少数であったことが読み取れます。4節の後半には、「その中には、神を崇めるギリシア人が大勢おり、貴婦人たちも少なくなかった」とあります。「神を崇めるギリシア人」とは、ユダヤ教の信者ではないけれど、ユダヤ教の教えに共感し、その唯一の神を崇め、会堂に通っていた者たちのことです。ただこの4節後半の原文には、「その中には」という言葉はありません。原文に従って訳せば、「神を崇める大勢のギリシア人や、少なくない貴婦人たちも同様であった」となります。つまり4節が語ろうとしていることは、テサロニケの会堂において、パウロが聖書を説き明かしたとき、ユダヤ人でキリスト者となった人は少なかったけれど、大勢の神を崇めるギリシア人と、少なくない、ということはかなりの数の貴婦人たちが、キリスト者となった、ということなのです。
聖書はキリストを証ししている
テサロニケのユダヤ人は、もともと神の民であり、聖書に親しんでいたはずなのに、パウロによる聖書の説き明かしを拒みました。それに対して、もともと神の民ではなく、聖書にも親しんでいなかった多くのギリシア人が、その説き明かしを受け入れ、キリスト者となったのです。もちろんこのギリシア人たちは会堂に通っていましたから、聖書についてまったく知らなかったわけではないでしょう。しかしそれでも旧約聖書の背景にある、パレスチナの風土や文化、あるいは律法の細々とした規定はよく分からなかったし、親しみのないものであったに違いありません。そしてそれは、私たちにも当てはまることです。私たちの多くは、旧約聖書の背景となっているパレスチナの地理や気候、文化をよく知りません。律法の細かな規定や、特に祭儀に関する規定などは馴染みがなく、よく分かりません。聖書と私たちの間には場所と時代の隔たりが確かにあるのです。しかし部分部分においてはそうであっても、聖書全体は、新約聖書はもちろんのこと旧約聖書も、主イエス・キリストを証しし、福音の真理を示しています。聖書は、時代と場所の隔たりを超えて、現代の日本に生きる私たちにも、キリストを証しし、福音の真理を示しているのです。私たちは、パレスチナの風土や文化、律法の細かな規定を、現代の日本に生きる私たちの生活にそのまま当てはめて、聖書を読むのではありません。そうではなく私たちは聖書を主イエス・キリストを証ししている書物として読むのです。
妬みによって
テサロニケの会堂では、聖書とその説き明かしを聞いて、少数のユダヤ人と多くのギリシア人(異邦人)がキリストを信じる信仰を与えられました。テサロニケにおいても伝道は確かに前進したのです。しかしそのことに対して激しい反発が起こりました。5節でこのように言われています。「しかし、ユダヤ人たちはそれを妬み、広場にたむろしているならず者たちを抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」。パウロの伝道によって、会堂に集っていた者たちの中から、キリスト者となった者たちが少なからずいたことに対して、ユダヤ人が妬んだのは無理のないことであったかもしれません。しかしその妬みが激しいものであったことは、彼らの行動がエスカレートしたことから分かります。パウロとシラスを捕まえるために、わざわざ町のならず者たちを抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、それに乗じて、二人が滞在していたヤソンという人物の家を襲撃したのです。
ヤソン
ここでヤソンという人物が、かなり唐突に、何の紹介もなしに登場します。何の紹介もなしに登場するので、私たちはヤソンという人物についてほとんど何も知ることができません。しかし使徒言行録が書かれた時代に、使徒言行録を読んだ人たちが、同じように何も知らなかったかというと、必ずしもそうではないでしょう。むしろ何の紹介もなしに登場するということは、使徒言行録が書かれた時代には、ヤソンは、わざわざ紹介しなくてもよいほどに、よく知られた人物であった、ということかもしれません。このヤソンの家に、パウロとシラスが滞在していたことから分かるように、ヤソンは、リディアと同じように自分の家を開放して、二人を迎え入れました。当時の教会は会堂を持っているわけではありません。リディアの家がフィリピの教会であり、ヤソンの家がテサロニケの教会であったのです。しかしそのためにヤソンの家は、襲撃を受けるという悲惨な目に遭わなくてはなりませんでした。それどころか、パウロとシラスが家にいなかったために、二人の代わりに、「ヤソンと数人のきょうだい」が、町の当局者たちのところへ引き立てられて行くことになったのです。ここでも「数人のきょうだい」というのは、テサロニケの教会のメンバーのことだと思います。ユダヤ人たちは、「皇帝の勅令に背き、『イエスという別の王がいる』と言って」いるパウロたちを、ヤソンが家に泊めたことを非難しました。結局、ヤソンたちは保証金を取られた上で、釈放されることになります。この保証金は、おそらく、今後パウロたちを自分の家に泊めないことを保証するお金であったのでしょう。このようにヤソンたちは、大変な目に遭いましたが、それでもパウロたちを守り抜きました。文字通り命がけでパウロたちを守り、10節にあるように、当局者たちに見つからないように、夜の間に、パウロとシラスをベレアへと逃がしたのです。
信徒が支える教会
ヤソンたちは、パウロとシラスを守っただけではありません。テサロニケの教会をも守りました。テサロニケの信徒への手紙一では、パウロがテサロニケ教会の人たちに向けて、「主の言葉が、あなたがたのところから出て、マケドニアやアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところに伝わっている」(1章8節)と語っています。ヤソンたちは、一部のユダヤ人の敵意に囲まれる中にあって、テサロニケの教会を守り、ただ守るだけでなく、力強く伝道したのです。使徒言行録は、パウロやシラス、あるいはテモテのような伝道者の働きを中心に語っています。しかしこの箇所などを読むと、初代の教会の働きの多くは、むしろ信徒が担っていたことに気づかされます。伝道者たちは、一定期間、その町に留まり、福音を宣べ伝え、教会をたてましたが、しばらくするとその町を去り、次の町へ向かうことが多くありました。伝道者が去った後、誕生したばかりの教会を守ったのは、リディアやヤソン、あるいは名前の知られていない、「きょうだいたち」と呼ばれている教会の信徒たちです。その信徒たちが、伝道者がいなくとも、教会を支え、教会の信仰と秩序を守り、そして積極的に伝道したのです。パウロたちが宣べ伝えた福音の正しい理解を守り、そしてその福音を、教会がたてられた地域の人たちに宣べ伝えていったのです。今、私たちは、このことをしっかりと受けとめていきたいと思います。藤掛牧師の存在はまことに大きなものです。それだけに藤掛牧師不在の影響はとても大きい。しかしだからといって、私たちの教会はその営みを、その働きをとめてはなりません。もちろん休む会もあるし、できなくなることもあるでしょう。しかし長老会、執事会を中心として、教会に連なる私たち一人ひとりが、私たちの教会を支え、私たちの教会の信仰と秩序を守り、積極的に伝道していくのです。
ベレアにおいて
さて、ベレアに着いたパウロとシラスは、テサロニケに着いたときとまったく同じように、ユダヤ人の会堂に入り、聖書を説き明かしました。12節によれば、会堂に集っていたベレアのユダヤ人たちの多くがキリスト者となり、またテサロニケと同じように、少なくない、ということは多くのギリシア人の貴婦人や男性たちもキリスト者となりました。ところが「ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていること」を知った、テサロニケのユダヤ人たちが、わざわざテサロニケから80キロメートルも離れたベレアに押しかけて来て、群衆を煽動し騒がせました。それで、14節にあるように、「きょうだいたち」、つまりベレアに誕生した教会の名前の知られていない信徒たちが、パウロをベレアから送り出し、海岸の地方へ行かせたのです。
献身伝道者を生み出す教会
ベレアでの伝道について語っているこの箇所には、リディアやヤソンのような名前の分かる人物は登場しません。しかし少し先の20章4節に、「同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ」とあり、おそらくベレアの教会のメンバーである、ソパトロなる人物の名前が記されています。ソパトロについてもほとんど何も分かりません。しかし、パウロの「第3回伝道旅行」において、エルサレムへの旅に同行したメンバーの一人であることから、ソパトロは伝道者であったのかもしれないと思います。ソパトロはパウロたちが宣べ伝えた福音を聞き、その福音を信じ受け入れ、洗礼を受け、ベレアの教会のメンバーとなり、教会の働きに仕える中で、後に献身の志を与えられて伝道者となり、第3回伝道旅行の終わりにパウロに同行したのではないでしょうか。これはあくまでも想像の域を超えません。しかし使徒言行録を読んでいると、初代の教会が、信徒たちの働きによって支えられていただけでなく、それと共に、献身伝道者を幾人も生み出していたことにも気づかされるのです。
共通点
テサロニケとベレアそれぞれでの出来事を見てきました。テサロニケでの伝道とベレアでの伝道を比べると、幾つかの共通点があります。どちらでもパウロたちはユダヤ人の会堂で、聖書を説き明かして伝道しました。またどちらでも、多くのギリシア人(異邦人)がキリスト者となりました。そしてどちらの町でも、テサロニケのユダヤ人たちが騒動を起こしたために、パウロは町から去らなければならなかったのです。
素直で
しかしテサロニケの伝道とベレアでの伝道を比べると、決定的な相違点があります。それは、テサロニケのユダヤ人は、ほとんどキリスト者にならなかったけれど、ベレアのユダヤ人は、その多くがキリスト者となった、ということです。このことこそ、この箇所が最も注目していることです。それは11節から分かります。「ここのユダヤ人は、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」。ベレアのユダヤ人とテサロニケのユダヤ人を比べて、ベレアのユダヤ人は、テサロニケのユダヤ人よりも「素直」だ、と語っています。「素直」だから、テサロニケのユダヤ人とは異なり、ベレアのユダヤ人の多くがキリスト者となった、と言われているのです。しかし「素直」とはどのような意味なのでしょうか。「素直」と訳された言葉は、もともとは「良い生まれ」を意味する言葉ですが、ここではそのような意味で使われているのではありません。むしろベレアのユダヤ人が「素直」であるとは、それに続く文章で語られている彼らの姿勢を言い表しているのではないでしょうか。つまりベレアのユダヤ人が「素直」であるとは、彼らが「非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」、その姿勢を言い表しているのです。
御言葉を受け入れる
パウロはテサロニケの会堂でもベレアの会堂でも聖書を引用して同じ福音を語りました。それが3節で言われていることです。パウロは聖書を引用して、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と語り、「このメシアは、私が伝えているイエスである」、と説き明かしました。(旧約)聖書は、メシア(救い主)が私たちのために、私たちの代わりに苦しみを受けて死なれることを預言していたのであり、そのメシアは、自分たちが宣べ伝えているイエスにほかならないと、聖書で預言されていた救いがイエスによって実現した、と語ったのです。しかし同じ福音を語っても、それを信じ、受け入れ、キリスト者となったのは、ベレアのユダヤ人でした。それは、彼らが「非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日聖書を調べていた」からにほかなりません。このことは、まず御言葉を受け入れ、次に、その御言葉がその通りかどうか聖書を調べる、という段階を語っているのではありません。そうではなく御言葉を受け入れるとは、ただ御言葉を聞くだけではなく、その御言葉がその通りかどうか聖書を調べることと切り離せない、ということなのです。主イエス・キリストは聖書が証ししている通り、私たちの代わりに、私たちの罪をすべて背負って、十字架で死んでくださり、そして死者の中から復活されることによって、私たちの救いを実現してくださいました。しかし私たちは、そのことを告げる説教を聞いて、それで終わりであってはなりません。説教で語られたキリストによる救いが、キリストの福音が、私たちの毎日の生活に関わることとして受けとめられていく必要があるのです。そのために私たちは日々、聖書に親しむ必要があります。「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」というのは、そういうことです。私たちは聖書の知識を増やすために聖書を調べるのではありません。キリストの福音が自分の生活に深く根ざしていくために、聖書を読んでいくのです。そのことを通してこそ私たちは、本当に御言葉を受け入れていくことができます。キリストが、ほかならぬ自分の罪を赦すために、十字架で死んでくださり、そして死に打ち勝たれ、復活されたことを受けとめることができるのです。すでにキリストのものとされ、キリストによる救いの恵みの中に入れられていることが、その救いの恵みによって生かされていることが、自分の毎日の生活に深く染み込んでいくのです。礼拝で聖書の説き明かしである説教を聞くことは、私たちの信仰生活の中心です。しかし私たちの信仰生活は、それだけで終わるものではありません。日々聖書に親しみつつ、説教で語られたキリストの福音が、自分の生活に深く染み込み、深く根づいていくことを通して、私たちは本当にキリストの福音を受け入れ、福音によって生かされていくのです。
そして、そのようにキリストの福音によって生かされていく私たちは、リディアやヤソンやソパトロが、名前の知られていない信徒たちが、そうであったように、私たちの教会を支え、私たちの教会の信仰と秩序を守り、そしてこの地域の人々に積極的に伝道していくために仕える者とされていくのです。
