夕礼拝

北王国イスラエルの滅亡

説 教 「北王国イスラエルの滅亡」 説教 藤掛順一
旧 約 列王記下第17章1-41節
新 約 ローマの信徒への手紙第1章18-25節

北王国イスラエルの滅亡
 今月は、本日と再来週の二度、私が夕礼拝の説教を担当します。私の担当の日には旧約聖書列王記下を読み進めていますが、本日読む17章には、北王国イスラエルがついに滅亡したことが語られています。ダビデとその子ソロモンの下で最も繁栄したイスラエル王国は、ソロモン王の死後、北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂しました。そのことは列王記上の12章に語られています。それ以来列王記は、南北両王国の歩みを並行的に語ってきましたが、この17章で、北王国イスラエルの歴史は終わり、この後は南王国ユダのみの話となるのです。

 3月に読んだ列王記下14章に、北王国の王ヤロブアム二世のことが語られていました。その時に申しましたが、この人は統治者としては有能だったようで、その41年間の治世に、北王国イスラエルは繁栄したのです。しかしこのヤロブアムが死んでから、本日の17章に語られている滅亡までの期間はたった25年ほどです。ヤロブアム以後、イスラエルは急速に衰え、滅びていったのです。その最後の王は、本日のところに出て来るホシェアという人です。旧約聖書の後の方の、いわゆる「十二小預言書」の最初に「ホセア書」があります。ホセアという預言者の言葉を記したものですが、このホセアとホシェアは原文においては同じ名前です。だから以前の口語訳聖書ではどちらも「ホセア」と訳されていました。新共同訳聖書以降、預言者ホセアと区別するために、北王国イスラエルの最後の王の名前はホシェアと訳したのでしょう。ちなみに預言者ホセアは、先ほどのヤロブアム二世の時代に北王国で活動した預言者でした。

アッシリアによって
 このヤロブアム二世の後、国の滅亡までの25年の間に北王国イスラエルで王となった人は、このホシェアを含めて六人います。25年で六人の王が次々に即位したわけです。しかしその内の四人は、家臣の謀反によって暗殺されています。ホシェアも、前の王を殺して王になったのです。そのことは15章30節に語られています。「エラの子ホシェアは、レマルヤの子ペカに対して謀反を起こし、彼を打って殺し、代わって王となった」。こういうクーデターが頻繁に繰り返された結果、25年の間に六人が王となったのです。そのように、北王国イスラエルの末期は社会がとても混乱していました。その混乱の最大の原因は、大国アッシリアの脅威でした。ホシェアの前の王ペカの時に、アッシリアが攻めて来たことが15章29節に語られていました。そこには「イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来た。彼はイヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギルアド、ガリラヤ、およびナフタリの全土を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った」とあります。つまりアッシリアに攻められた北王国イスラエルは手も足も出ずに、多くの住民が捕囚となってしまったのです。この混乱の中でホシェアはクーデターを起こして王となったわけですが、アッシリアの脅威はますます大きくなっていきました。本日の17章3節には、「アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた」とあります。アッシリアの王に恭順の意を示し、貢ぎ物を納めることで攻撃を免れたのです。ホシェアは表向きはそのようにアッシリア王に従うポーズを取りつつ、裏ではそれに対抗するための策略を巡らせていました。しかしそのことがアッシリア王に知られ、彼は捕えられてしまいました。そのことが4節に語られています。「しかし、アッシリアの王はホシェアの謀反に気が付いた。ホシェアはエジプトの王ソに使いを送り、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢につないだ」。ホシェアはもう一つの大国であるエジプトに頼り、助けを求めようとしたわけですが、それによってアッシリア王の怒りをかい、自らの破滅を早めてしまったのです。そして北王国イスラエルがついに滅ぼされたことが5、6節に語られています。「アッシリアの王はこの国の全土に攻め上った。彼はサマリアに攻め上って、三年間この町を包囲した。そして、ホシェアの治世第九年に、アッシリアの王はサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕囚としてアッシリアへ連れ去り、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディア各地の町に住まわせた」。三年間の包囲の後、北王国の首都サマリアは陥落し、イスラエル王国は滅亡しました。イスラエルの人々は自分たちの地から引き離されて、捕囚としてアッシリアに連れ去られたのです。

強制移住
 このようにアッシリアによる北王国イスラエルの滅亡においては、ただ国が滅ぼされただけでなく、そこに住んでいた人々がアッシリアの各地に強制移住させられてしまう、ということが起こりました。アッシリアの王は、その後に、他所から人々を連れて来て住まわせました。そのことが24節に語られています。「アッシリアの王は、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりに、彼らをサマリア各地の町に住まわせた。そこで、彼らはサマリアを所有し、各地の町に住むことになった」。つまりアッシリアによるイスラエル王国の滅亡によって、住民の入れ替えが起ったのです。今読んだ24節から後、17章の後半には、アッシリアの王によって、イスラエルの人々に代わってサマリアに住むようになった人々の歩みが語られています。彼らは、自分たちが元々いた地で拝んでいた神々の像を造ってそれを拝んだのです。29〜33節にこう語られています。「しかし、諸国民はそれぞれ自分たちの神を造り、サマリア人が造った高き所の宮に安置した。諸国民はそれぞれ自分たちが住む町でそのようにした。バビロンの人々はスコト・ベノトの神を造り、クトの人々はネレガルの神を造り、ハマトの人々はアシマの神を造った。アワ人はニブハズとタルタクの神を造った。セファルワイム人は、セファルワイムの神アドラメレクとアナメレクに、自分たちの子どもを火で焼いて献げた。彼らは主を畏れ敬いはした。しかしながら、自分たちの中から高き所の祭司たちを任命し、その者たちが高き所の宮で、彼らのために祭儀を執り行った。彼らは主を畏れ敬ったが、連れて来られる前にいた国々のしきたりに従って自分たちの神々にも仕えた」。アッシリアによっていろいろな地から連れて来られた人々は、元北王国イスラエルだったこの地において、それぞれが、自分たちが以前住んでいた地で拝んでいた神々の像を造ってそれを拝んだのです。連れて来られたのは一つの地からではなくて、いろいろな地からでしたから、いろいろな神々の像が造られたことがここに語られています。北王国においても、金の子牛の像が主なる神として拝まれていましたし、周囲の諸民族の影響を受けていろいろな偶像が拝まれ、それらの神々を礼拝するための「高き所」が設けられていましたから、彼らはそこに、それぞれの造った神を安置して礼拝したのです。

主を畏れ敬いはした
 そして面白いことにここには、「彼らは主を畏れ敬いはした」とか「彼らは主を畏れ敬ったが」とも語られています。あちこちから連れて来られた人々は、自分たちが元いた地の神々を拝みつつ、この地に元住んでいたイスラエルの民の神である主をも畏れ敬ったのです。最初からそうだったのではないが、ある事情でそうなった、そのいきさつが25〜28節に語られています。「彼らはそこに住み始めた頃、主を畏れ敬う者ではなかったので、主は彼らにライオンを送り込まれた。ライオンが何人かの人をかみ殺したので、彼らはアッシリアの王にこう言った。『あなたがサマリア各地の町に移り住まわせた諸国民は、この地の神のしきたりを知りません。そこで、神は彼らにライオンを送り込まれたので、ライオンは彼らをかみ殺しているのです。この地の神のしきたりを知らないからです。』そこで、アッシリアの王は命じた。『あなたがたが捕囚として連れ去った祭司の一人を、元いたところに連れ戻しなさい。連れ戻してそこに住まわせ、その地の神のしきたりを教えさせなさい。』こうして、サマリアから捕囚として連れ去られた祭司の一人が戻って来て、ベテルに住み、どのように主を畏れ敬うべきかを教えた」。移り住んで来た人々は、最初はイスラエルの神である主を畏れ敬っていなかった。でもそのためにライオンによる被害が起こり、それは自分たちがこの地の神である主を畏れ敬っていないからだ、ということになって、イスラエルの民の祭司の一人がこの地に連れ戻され、主なる神を畏れ敬う仕方を人々に教えたのです。ベテルには元々、主なる神の像として造られた金の小牛が置かれ、拝まれていました。そこで行われていた主なる神への礼拝の作法をこの祭司が人々に教えたのです。その結果、先ほど読んだ29節以下に語られているように、それぞれの民が自分たちの元いた地の神々の像を拝みつつ、イスラエルの神である主をも畏れ敬う、ということになったのです。

 こうして、北王国イスラエルの滅亡の後、この地サマリアにおいては、移り住んだいろいろな民族がそれぞれ自分たちの神を礼拝すると同時に、主なる神も拝まれている、ということになったのです。無理やり連れて来られたいろいろな民族の人々がそれぞれの所で自分たちの神をバラバラに拝んでいる。その中で、元々この地で礼拝されていた主なる神を畏れ敬うことは、今このサマリアに住んでいる多種多様な人々を一つにまとめていく役割を果たしたと言えるでしょう。そのようにして、北王国滅亡後のサマリアには、主なる神への礼拝もなされているが、同時にいろいろな神々が拝まれているという、そういうのを「宗教混淆」と言いますが、そういうことが起ったのです。

主のグローバルなご支配を否定する罪
 彼らは偶像の神々を拝んでいたけれども、主を畏れ敬うこともしていたのだからまあいいか、ということにはなりません。彼らは要するに、主なる神も偶像の神々の一人としたのです。偶像の神々の中の「ワン オブ ゼム」として主なる神も拝むというのは、「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない」という十戒の第一の戒めに反することであり、それは主を礼拝していることにはならず、むしろ主の怒りを招くことです。さらにここでは、主なる神が「この地の神」と呼ばれています。「この地」に住んでいる者が主を畏れ敬わないとバチが当たるので、捕囚として連れ去られた祭司の一人を連れ戻して「この地の神のしきたり」を教えさせたのです。しかし主なる神は、「この地」に縛りつけられているようなローカルな神ではありません。天と地と海とその中の全てのものをお造りになり、全世界と全ての人々を支配し導いておられるグローバルな神なのです。主を「この地」の神としてしまうことは、主のグローバルなご支配を否定する罪です。サマリアの地に住んだ人々は、主を畏れ敬いはしましたが、根本的に、主のみ心に反する罪を犯していたのです。

サマリア人の起こり
 これが、新約聖書に登場する「サマリア人」の起こりです。主イエスの時代、エルサレムを中心とするユダヤの北にサマリアがありました。その地の人々、サマリア人とユダヤ人は仲が悪かった。交わりを持とうとしなかった。そういう背景の下で、主イエスとサマリアの女の出会いとか、良いサマリア人のたとえが語られています。そのサマリア人は、北王国イスラエルの滅亡の後、各地から移住させられて来た人たちの子孫なのです。イスラエルの民も全てが連れ去られたわけではなくて、その地に残っていた人々もおり、そういういろいろな民族が混じり合って「サマリア人」となったのです。彼らは一応主なる神を礼拝することによってまとまってはいましたが、偶像の神々をも拝んでいた先祖たちの影響を受けていました。それゆえにユダヤ人たちは彼らを、主なる神への信仰から逸れて行った者たちとして嫌っていたのです。17章の最後の41節に「これらの諸国民は主を畏れ敬ったが、自分たちの像にも仕えた。今日に至るまで、子や孫も、先祖が行ったように行っている」とあります。主イエスの時代にまで続いていく、サマリア人に対するユダヤ人の激しい敵意がここに語られているのです。

北王国はなぜ滅びたのか
 さてこのようにこの17章には、北王国イスラエルが滅亡したこと、その後その地に移り住んだ人々が「サマリア人」となっていったことが語られています。しかしこの17章において最も大切なのは、北王国はなぜ滅びたのか、ということです。7節の冒頭に「こうなったのは」とあります。北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、人々が捕囚となって連れ去られてしまった、そうなったのは何故だったのか、それが7節から23節に語られているのです。

イスラエルの罪
 「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から、エジプトの王ファラオの支配から導き上った神、主に対して罪を犯したからである」。北王国が滅亡したのは、イスラエルの人々が、エジプトで奴隷とされていた自分たちを救い出し、約束の地へと導き上って下さった主なる神に対して罪を犯したからです。7節後半以下に、その罪の内容が語られています。それは、主なる神のみを礼拝するのではなく、他の神々を畏れ敬い、周囲の諸国民の風習を取り入れ、「高き所」を築いて偶像を拝んだことです。彼らはそのようにして主を怒らせたのです。13節には、そのような罪を犯している民に、主が預言者たちを通して、また律法を与えることによって、再三、「悪の道から離れて立ち帰りなさい」と諭したことが語られています。しかし、と14節以下にあります。「しかし、彼らは聞き従わなかった。自分たちの神、主を信じなかった先祖がかたくなであったように、彼らもかたくなであった。彼らは、主の掟、主が先祖と結ばれた契約、主が彼らに厳しく命じられた定めを拒み、空しいものに従って歩んで、自らも空しくなり、主が彼らのように行ってはならないと命じられていた周囲の諸国民に従って歩んだ」。

主の契約を拒んだ
 ここに、「主が先祖と結ばれた契約」とあります。主なる神は、イスラエルの民を、エジプトの奴隷状態から解放して下さった、その救いのみ業の中で、彼らと「契約」を結んで下さったのです。それは、主なる神がイスラエルの民を選び、「わたしはあなたがたの神だ」と宣言して、彼らの神となって下さった、ということであり、同時に、「あなたがたは私の民だ」と宣言して、イスラエルをご自分の民として下さった、ということです。つまり主なる神はイスラエルの民との間に、他の民との間にはない特別な関係を結んで下さったのです。契約を結んだというのはそういうことです。しかもその関係は、イスラエルの民がなすべきことをしたら初めて有効になるようなものではありません。エジプトで奴隷とされて苦しんでいた彼らを神が憐れに思って救い出して下さったことによってこの関係は築かれたのです。だから契約の関係と言っても、双方が対等に義務を果たすことによって成り立つのではなくて、主なる神の恵みによって築かれた関係なのです。その恵みによって与えられた関係を、イスラエルの民は拒み、主なる神と共に、主のみ心に従って生きるのでなく、他の神々、偶像の神々を求めていったのです。

空しいものに従って自らも空しくなり
 「自分たちのために、二頭の子牛の鋳像を造り」とあります。それは北王国の最初の王であるヤロブアムが、金の子牛の像を造って「これが主なる神だ」と言って人々に拝ませたことを指しています。それは、北王国の人々が、エルサレム神殿に行かなくても、北王国内で主なる神を拝むことができるようにするためでした。つまりこの子牛の像は「自分たちのため」に造られた神です。それが偶像の本質です。偶像礼拝とは、自分たちのための神、自分たちの願いやご利益を叶えてくれる神を拝むことなのです。この偶像礼拝によって、北王国イスラエルの人々は、「空しいものに従って歩んで、自らも空しくなり」ました。彼らを恵みによって奴隷状態から解放して下さった主なる神から離れて偶像を拝んだ彼らは、自分たちを本当に愛して下さっている神ではない、本当の支えにはならない空しいものに従って歩み、自らも空しくなった、滅びてしまったのです。それはパウロがローマの信徒への手紙第1章21、22節で言っている、「空しい思いにふけり、心が鈍く暗く」なり、「不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や鳥や獣や地を這うものなどに似せた像と取り替えた」ということです。

主イエス・キリストによる神の恵みに応えて生きる
 この罪のゆえに、北王国イスラエルは主なる神の怒りを受け、滅亡しました。しかし今見てきたように、またこれまで列王記を通して示されたように、主なる神は、イスラエルの人々を心から愛し、恵みによる契約を結んでご自分の民とし、彼らが主の民として歩むことを願って繰り返し語りかけて来られたのです。彼らに求められていたのは、主なる神のこの愛に応えて、主と共に生きることでした。それを拒んで、自分のためたの神である偶像を拝んでいったことによって、北王国は滅亡したのです。この時は生き残った南王国ユダも、結局同じ罪によって滅びていきました。私たちはそこに、空しいものに従って歩み、自らも空しくなっていく人間の罪の根深さを見ます。それは他人事ではありません。天地を造り、全ての民を導いておられる世界の主である神が、愛をもって語りかけて下さっていることにお応えしていかなければ、私たちたちも同じように空しくなっていってしまうのです。そのように空しいものに従い、空しくなっていく私たちのために、神はご自分の独り子、主イエス・キリストを与えて下さいました。空しいものに従って自ら空しくなり、滅びていく私たちのその滅びを、主イエス・キリストが十字架にかかって死んで下さったことによって、私たちに代って背負い、私たちをそこから救い出し、罪を赦されて、神の子として新しく生きることができるようにして下さったのです。その救いが、神の恵みによって既に与えられています。この恵みを信じて、それにお応えして、主イエス・キリストと共に生きていくなら、私たちは、空しくなるのではなく、この世界の造り主である神の愛を受けて、本当に喜んで生きていくことができるのです、

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