説 教 「祭司に育てられた王」牧師 藤掛順一
旧 約 列王記下第11章1節-12章22節
新 約 ルカによる福音書第21章1-6節
北王国と南王国のことが並んで語られている
月に一度私が夕礼拝の説教を担当する日には今、旧約聖書列王記下を読み進めています。前回は昨年11月に第9章を読みました。本日は11章と12章の全体を読みます。
列王記上下は、ダビデの下にまとまったイスラエル王国を、その子ソロモンが受け継いだところから始まり、ソロモン王の死後、王国が南北に分裂して北王国イスラエルと南王国ユダとなったこと、その両王国がどのような王たちの下でどのように歩んだか、そして北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、なお残った南王国ユダもついにバビロニアによって滅ぼされて、主だった人々がバビロンに連れて行かれてしまう、いわゆるバビロン捕囚が起こったところまでを描いています。つまり、ソロモンの下での統一王国の時代、北王国イスラエルと南王国ユダが共に存在していた時代、そして北王国が滅ぼされ、南王国ユダだけとなった時代という三つの時代のことが語られているのです。今読んでいるのは第二の、北王国と南王国が並行して存在していた時代のことです。そこはとても複雑で分かりにくい書き方になっています。片方の王国の何という王の治世の何年に、もう一方の王国で誰が王となった、という仕方で、それぞれの国の王位の継承が語られているのです。本日の箇所で言えば、12章2節です。「イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった」とあります。イエフは北王国イスラエルの王です。この人がクーデターを起こして前の王を殺し、北王国の王位に着いたことを前回、11月に読みました。そのイエフの治世第七年にヨアシュが王となった。この人は「エルサレムで王位にあった」ということから分かるように、南王国ユダの王です。このような語り方で北王国と南王国の歴史が並行して語られているので、今どちらの国の話なのかがよく分からなくなります。しかも、同じ名前の王が両方の王国にいたりします。この後の13章の10節には「ユダの王ヨアシュの治世第三十七年に、ヨアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間王位にあった」とあります。ユダの王もイスラエルの王もどちらもヨアシュだった時があったりするのです。なので注意深く読まないとこんがらがるのです。
ユダの王アハズヤの死
さて本日読む11、12章は、南王国ユダにおいてヨアシュが王となったこととその治世の話です。ヨアシュはユダの王アハズヤの子ですが、アハズヤからヨアシュへの王位継承はすんなりとはなされませんでした。アハズヤは、イスラエルの王ヨラムが戦争で傷を負って療養していた所に見舞いに行きましたが、その時、北王国に先ほどのイエフによるクーデターが起こり、ヨラムと共にアハズヤもイエフによって殺されてしまったのです。北王国におけるクーデターに南王国の王アハズヤも巻き込まれたわけですが、実はアハズヤの母アタルヤはヨラムの姉妹でした。つまりヨラムとアハズヤは叔父と甥の関係で、甥であるアハズヤが叔父ヨラムのところに見舞いに来ていたのです。イエフがアハズヤをも殺したのは、ヨラムと血のつながっている者たちを生かしておくと、自分が奪った北王国イスラエルの王としての地位を脅かす恐れがあると考えたからです。
アハズヤの母アタルヤ
そのようにして、アハズヤ王はイエフによって殺されました。そうなったらユダの王位は普通なら、アハズヤの子の誰かが継ぐはずです。ところがそこで、自分がユダの王になろうとした人が現れたのです。それはアハズヤの母であり、ヨラムの姉妹であるアタルヤです。11章1節はそのことを語っています。「アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした」。息子であるアハズヤ王が死んだのを見たアタルヤは、自分が王になるために、王族をすべて滅ぼそうとしたのです。その王族というのは自分の息子アハズヤの子どもたち、つまり彼女の孫たちを初めとする親族の男性たちです。アハズヤの後継者となる可能性のあるそれらの王族をすべて滅ぼすことによって、自分が息子の後を継いでユダの王となろうとしたのです。権力欲の塊りのような、何とも恐しい女性です。このアタルヤのことはアハズヤの即位を語っていた8章26節にこのようにありました。「アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった」。オムリというのは、北王国イスラエルでやはりクーデターによって王位を奪い、オムリ王朝を開いた人です。そのオムリの子でオムリ王朝の二代目の王となったのがアハブです。オムリの孫娘ですから、アタルヤはこのアハブの子です。アハブの妻はイゼベルでした。北王国のアハブ王とその妻イゼベルのことは、列王記上の終わりから下の始めのところに詳しく語られていました。アハブは妻イゼベルの出身地の神バアルをイスラエルに持ち込み、バアルの神殿を建て、エリヤを始めとする主なる神の預言者たちを迫害したのです。なのでアハブとイゼベルはイスラエルの歴史において最悪の王と王妃として知られています。そしてこの夫婦において主導権を持っていたのは王妃イゼベルの方で、預言者エリヤを激しく憎み殺そうとしたのもイゼベルだったと語られています。アタルヤはこのアハブとイゼベルの間の娘なのです。この母にしてこの娘あり、という感じがします。そして先ほどの8章26節に続く27節には、アタルヤの息子であるアハズヤ王について「アハズヤはこのようにアハブの家と姻戚関係にあったため、アハブの家の道を歩み、アハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った」とあります。アハブの家の道を歩んだとは、主なる神を捨てて偶像の神バアルを拝んだ、ということです。つまりアハズヤは、祖父であるアハブが北王国イスラエルでしたように、バアル崇拝を南王国ユダに持ち込んだのです。
祭司ヨヤダに育てられたヨアシュ王
さて話を11章に戻しますが、息子であるアハズヤ王の死を知ったアタルヤは、王族を全て滅ぼして、3節にあるように六年間ユダ王国を支配しました。「支配していた」というだけで、王になったとは書かれていませんから、列王記はアタルヤを王としては認めていません。しかしユダ王国は実質的には六年間アタルヤの支配下にありました。しかしアタルヤが王族たちを、つまりアハズヤ王の子どもたちを皆殺しにした時に、アハズヤの姉妹であるヨシェバという人が、まだ赤ん坊だったアハズヤの子ヨアシュをひそかに連れ出して守ったのです。ヨアシュはアタルヤがユダを支配している六年間、乳母と共にエルサレムの神殿に匿われ、そこで育てられました。そしてヨアシュが七歳になった時、ヨアシュこそユダ王国の正統な王であるとしてアタルヤに反旗を翻す者たちが現れました。その中心となったのは、神殿で密かにヨアシュを育ててきた祭司ヨヤダでした。4節によれば、彼が「カリ人と近衛兵からなる百人隊の長たち」を集めて、ヨアシュが王となったことを宣言したのです。「カリ人」というのがどういう人たちなのかは分かりません。この記述だと、カリ人と近衛兵だけがヨヤダに率いられてヨアシュを擁立したようにも思えますが、しかし12節では「人々」がヨアシュを王として認め、「王万歳」と叫んでいますし、14節には「国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた」ともありますから、ユダ王国の多くの人々が、ヨアシュの即位を喜んだことが分かります。アタルヤは「これは謀反だ」と叫びましたが、彼女に従う者はなく、殺されてしまったのです。20節には、「アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった」とあります。つまりエルサレムの人々も、アタルヤの支配が終わりヨアシュが即位したことを歓迎したのです。そして17節以下には、ヨアシュを王として立てた国の民が、バアルの神殿を破壊し、その像を打ち砕き、バアルの祭司を殺したとあります。アタルヤとその子アハズヤによって、北王国に倣って導入されたバアル崇拝が、ヨアシュ王の即位と共に一掃されたのです。
教会こそ教育の場
しかし考えて見れば、ヨアシュはアハズヤの子でありアタルヤの孫です。つまりヨアシュも、北王国イスラエルにバアル崇拝を広めたアハブとイゼベルの子孫であり、その血を受け継いでいるのです。しかし血の繋がりよりも大事なことがある、と列王記は語っています。それを語っているのが12章の3節です。「ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った」。ヨアシュは血の繋がりにおいては確かにアハズヤの子であり、アタルヤの孫であり、アハブのひ孫です。しかし彼は、赤ん坊の時から主なる神の神殿に匿われ、そこで祭司ヨヤダによって育てられ、その教えを受けてきたのです。それによって彼は、主の目にかなう正しいこと行う王となったのです。大事なのは血筋や生まれではなくて、どのように育てられ、どういう教育を受けたかなのだ、ということがここに語られていると言えるでしょう。
ここには、教育の大切さとそこに与えられている希望が示されています。生まれや血筋はどうであれ、主なる神を信じ従う信仰によって育てられ、その信仰をしっかり教えられるならば、主の目にかなう正しいことを行う人になることができるのです。またヨアシュは、神殿において、祭司によって育てられ、教育を受けました。それは私たちに置き換えれば、教会において育てられ、教育を受けたということです。教会における教育の大切さがここに示されています。それは一つには、子どもたちが集う教会学校が大切だということです。教会学校の教師は、ここに出て来る祭司ヨヤダのような働きを担っているのです。しかし教会における教育の大切さを考える時に、教会学校のことだけを見つめているのでは不十分です。私たちがここから受け止めるべき大事なことは、子どもたちを育て、教育することを、個人の、あるいは家庭の事柄としてのみ捉えてはならない、ということです。私たちが子どもたちを育て、教育するのは勿論家庭においてですが、しかしむしろ教会こそが、子育てと教育がなされるべき場なのです。教会と神殿は違いますが、神さまを礼拝する場という意味では同じです。教会において子どもたちを育て、教育するというのは、神さまを礼拝しつつ、その中で育て、教育する、ということです。人々が神さまを礼拝している場である教会こそが、最も相応しい子育ての場、教育の場である。このことは、この箇所から私たちが聞くべき大切なメッセージの一つなのです。
ヨアシュ王の業績
さて12章には、神殿において祭司ヨヤダに育てられ、教育されたヨアシュ王が、その四十年の治世において行った「主の目にかなう正しいこと」とは何だったのか、が語られています。ヨアシュがしたことは一言で言えば、主の神殿の破損をしっかり修理することでした。5節から9節には、ヨアシュがそのことを祭司たちに命じて実行しようとしたことが語られています。エルサレムの神殿には多くの祭司たちがいました。彼らは、神殿に礼拝に来る人々からの献金、それは主なる神への感謝を表し、また自分自身を神にお献げする献身の思いを表すために献げられたものでしたが、それを受け取っていました。祭司たちの生活はその献金によって支えられていたのです。ヨアシュは当初、祭司たちが、人々から受け取った献金を用いて、神殿の中のそれぞれが必要だと思った箇所の補修を行うように命じました。ヨアシュの思いは、主なる神に献げられた献金を受け取った祭司が、主なる神の神殿の補修のためにそれを用いるのは当然で、勿論それは祭司たちの生活のためにも用いられるが、何よりも、主なる神の神殿を、つまり礼拝の場を、私たちで言えば教会を整えるためにこそ献金は用いられるべきだ、ということです。そしてヨアシュはその献金の用い方を、祭司たち一人ひとりの自主的な判断に委ねたのです。祭司ヨヤダの教えを受けて育ち、主なる神に従い仕えることを第一とする信仰に生きていたヨアシュは、祭司たちも皆そういう思いでいるものと信じていたのです。
献金によって神殿を補修していくシステム
しかし7節に語られているのは、そのようにして二十三年歩んできた結果、神殿の補修がいっこうになされなかった、ということです。つまり祭司たちが、受け取った献金をそのことに用いなかったのです。そこには人間の弱さが現れています。修理が必要だと気づいた所を自分の判断で、自分が受け取った献金を用いて行うことが求められていたわけですが、そこには、修理が必要だと気づいても、自分がやらなくても誰かがやるだろう、と思ったり、またやろうとしても、自分の生活にいろいろ必要があって、今はそのことにまで手が回らない、いつか余裕ができたら、ということになってしまうのです。
七歳で王となったヨアシュも三十歳になって、人間のそういう弱さの現実が見えるようになったのでしょう。そこで彼は新しいシステムを考えました。それは、神殿に礼拝に来る人々の献金を祭司が受け取ることをやめて、神殿の入り口に献金箱を置いて、そこに献げるようにする、ということです。そこに献げられた献金は祭司個人のものにはならず、神殿全体のものです。それを用いて、担当者が神殿の補修を行っていくのです。つまりそれまでは祭司たちが個人の判断によって、必要と思う箇所の補修をそれぞれが受け取った献金によって行っていたのを、神殿全体の公の働きとして、神殿のために献げられた献金を用いて行うことに変更したのです。他方17節を読むと、献金の中のある部分は、これまで通り祭司たちが受け取り、その生活のために用いることができるようになっています。つまりヨアシュは、神殿の補修、維持が献金によって組織的になされると共に、祭司たちの生活も支えられるようにする、という新しいシステムを考えたのです。
ヨアシュが導入したこのシステムは、今日の私たちの教会においても生きています。つまり礼拝に集う者たちが神さまへの感謝として、また献身のしるしとして献げる献金は、牧師が自分の懐に入れるのではなくて、教会が受け取るのです。そして教会が、主イエス・キリストのみ心を求めてなされる長老会の決議に従って、それを教会の様々な必要のために、伝道や、教会堂の保全、また牧師の生活を支えるためにも、用いているのです。
ヨシヤ王の改革への備えとなった
祭司ヨヤダに育てられた王ヨアシュはこのように、その即位においてバアルの神殿を破壊して、ユダ王国が主なる神のみを礼拝する国となるための改革をし、その治世において、主なる神の神殿が民の献金によってしっかり維持されていく体制を築きました。彼が「その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った」というのはそれらのことだったのです。しかし4節には「ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいた」とあります。これは、ヨアシュの改革にはまだ不十分なところがあった、ということを意味しています。ヨアシュの行った改革は、後の王によって行われるさらなる改革へと受け継がれ、その備えとなったのです。その後の王とは、列王記下の22章に出て来るヨシヤです。22章には、ヨシヤ王がユダ王国において宗教改革を行ったことが語られていますが、その改革は、神殿の修理が行われていた中で発見された律法の書に基づいてなされていきました。その神殿の修理は、ヨアシュが整えた、献金箱に献げられた献金によって神殿の修理を行う、というシステムによってなされたのです。そのことが22章に語られています。つまり本日の12章に語られているヨアシュの業績は、22章のヨシヤ王の宗教改革への備えとなったのです。ヨシヤ王は、これは先取りになりますが、ヨアシュの時代には「ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいた」と語られていた「聖なる高台」を破壊しました。つまりそれまで国の各地にあった「聖なる高台」において犠牲がささげられ、礼拝がなされていたのを廃止して、ユダ王国における礼拝をエルサレム神殿に集中、統一したのです。列王記は、このことをこそ「主の目にかなう正しいこと」としています。そこに向かって歩んだ王は「主の目にかなう正しいことを行った王」であり、それに反することをした王は「主の目に悪とされることを行った王」とされているのです。祭司に育てられた王ヨアシュは、主の目にかなう正しいことを行いましたが、しかし彼の働きは中途半端で不十分だったのです。
神殿から教会へ
さて本日は共に読む新約聖書の箇所として、ルカによる福音書第21章の始めのところを選びました。その1節以下には、エルサレムの神殿の賽銭箱に人々が献金を入れている場面が語られています。この賽銭箱こそ、ヨアシュが導入したあの献金箱でしょう。人々が主なる神を礼拝し、感謝と献身の印として捧げ物をし、その献金が、神殿の補修のために用いられていく、そのためにこの賽銭箱は置かれていたのです。このことを意識すると、この「やもめの献金」の話と、5、6節の、主イエスが神殿の崩壊を予告なさったお言葉との関係が見えてきます。「やもめの献金」の話は、有り余る中からほんの一部を献げた金持ちたちよりも、乏しい中から全財産を献げたやもめの方が多くを捧げたのだ、という主イエスのお言葉によって、自分自身を主に献げる献身の印としての献金の意味を示しています。しかし主イエスはここで同時に、そのように献げられた献金によって美しく維持されている神殿が、「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」ことをも見つめておられるのです。ヨアシュが献金によって神殿を維持する体制を整え、ヨシヤがその神殿に礼拝を集中する改革を行いましたが、ヨシヤ王は道半ばにして戦死し、その後神殿は結局バビロニアによって破壊され、ユダ王国は滅びて民は捕囚となりました。そのバビロン捕囚から解放され、帰還した民はエルサレムに神殿を再建し、ヘロデ大王がそれに大改築を施して、主イエスの当時には、5節にあるように「神殿が見事な石と奉納物で飾られている」ことが話題になるほどになっていました。しかしその神殿も、主イエスが予告なさった通りに、数十年後にはローマ帝国によって徹底的に破壊されてしまいました。神殿の歴史はそこで終わりです。しかし主なる神は、独り子主イエス・キリストをこの世に遣わし、その十字架の死と復活によって、キリストの体である教会を築いて、私たちをそこに招き、連らせて下さっています。私たちは教会において、主イエス・キリストによる救いにあずかり、主なる神の民として歩んでいます。神殿において祭司によって育てられ、神の民イスラエルの歴史においてある働きを担ったヨアシュと同じように、私たちも教会において、主イエス・キリストによる救いにあずかり、主なる神を礼拝し、主なる神の民として歩み、主の救いのみ業のほんの一部を、不十分ながら担わせていただいています。そのことを喜び感謝すると共に、礼拝の場である教会こそが、子どもたちを育て、教育していくのに最も相応しい場なのだ、ということをも覚えていきたいのです。