創立記念

神さまと隣人を愛する

「神さまと隣人を愛する」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書: 出エジプト記 第20章1―17節
・ 新約聖書: ルカによる福音書 第19章13―18節
・ 讃美歌:6、280、509

ヘボンさんの教会
 今日の礼拝は、この横浜指路教会の創立138周年の記念の礼拝です。この教会は138年前の1874年、明治7年に生まれました。この教会の誕生に一番深く関わった人の名前を私たちはしっかり覚えておきたいと思います。それはヘボンさんという人です。指路教会は「ヘボンさんの教会」とも呼ばれてきたのです。
 ヘボンさんは153年前の1859年に、アメリカから日本に来ました。今では、町で外国の人を見かけることはめずらしくありませんし、皆さんの中にも外国に行ったことのある人が大勢いるでしょう。けれども昔は、日本に外国の人が来ることはできない、日本人が外国に行くこともできないという時代が長く続いていました。それを「鎖国」と言うことは、小学校高学年の人は知っているでしょう。その鎖国がようやく終わって、外国の人が日本に来ることができるようになった最初の年が1859年だったのです。江戸時代の終わり頃です。その最初の年にヘボンさんはこの横浜に来たのです。
 ヘボンさんはお医者さんでした。日本人の病気の人たちを、お金を取らずに治療してくれました。それをしながら、日本語を勉強して、和英・英和の辞書を作りました。今は本屋さんに行けば英語の辞書は何種類も売っていますが、それを最初に作ったのはヘボンさんだったのです。日本語を英語のアルファベットで書き表すためにヘボンが考えたのが、今も使われている「ヘボン式ローマ字」です。ヘボンさんがそのように日本語を一生懸命勉強したのは、聖書を日本語に翻訳するためでもありました。私たちが今使っている「新共同訳聖書」の「序文」には、1880年に、ヘボンさんを中心とする『翻訳委員会社中』によって「新約聖書」が出版されたと書いてあります。新約聖書の全体が日本語で読めるようになったのはその聖書が最初なのです。私たちが今聖書を日本語で読むことができる、その最初の道を開いてくれた人たちの真ん中にヘボンさんがいたのです。そのヘボンさんのもとで勉強していた日本人たちがイエス様を信じて洗礼を受けたことによって生まれたのがこの指路教会です。同じようにヘボンさんのもとで英語を勉強していた人たちから生まれた学校は今、「明治学院」という大きな学校になっています。およそ150年前に日本に来たヘボンさんはこのように、いろいろな面でとても大きな働きをしたのです。でもヘボンさん自身が一番大切な働きだと思っていたのは、この指路教会の誕生でした。なぜならば、ヘボンさんが日本に来たのは、その頃まだキリスト教が禁止されていてイエス様のことを知らなかった日本の人たちに、イエス様を信じる信仰を伝え、教会を生み出すためだったからです。病気の人の治療をしたのも、辞書を作ったのも、聖書の翻訳をしたのも、全てはイエス様のことを日本の人々に伝えるためだったのです。ヘボンさんはそのために、外国の人が入ることができるようになった最初の年に、まだキリスト教が禁止されているのを知りながら、何か月も船で旅をして横浜に来たのです。

イエス様のお言葉を聞いて
 ヘボンさんはどうして日本に行こうと思ったのでしょうか。誰か知り合いがいたわけではありません。日本の人から「来て下さい」と招かれたわけでもありません。何か月もかかる船の旅は危険な、命がけの旅です。日本に行ったら何ができるのか、見通しが立っていたわけではありません。日本の人たちが受け入れてくれるかどうかも分からないのです。すべてはやってみなければどうなるかわからない、そういう中でヘボンさんは日本に来ました。どうしてそんなことができたのでしょう。それは、ヘボンさんが、聖書に語られているイエス様のみ言葉を聞いたからです。今日の聖書の箇所は、ルカによる福音書の第10章25節からですが、その最後の所、37節に「行って、あなたも同じようにしなさい」というイエス様のお言葉があります。ヘボンさんは、このイエス様のお言葉が、自分にも語りかけられているのを聞いたのです。そしてそのお言葉に従って、日本に、この横浜に来たのです。
善いサマリア人のたとえ

 イエス様はここで、「善いサマリア人のたとえ」をお話しになりました。追いはぎ、強盗に襲われて倒れている人を見て、祭司やレビ人は、見て見ぬふりをして道の向こう側を通って行きました。こんなところでぐずぐずしていて自分も襲われたら大変だ、と思ったのでしょう。ところが一人のサマリア人が、憐れに思って近寄り、傷の手当をして、その人を自分のろばに乗せて宿屋に連れて行って介抱したのです。そして自分のお金を宿屋の主人に渡してその人のお世話を頼んだのです。このサマリア人は強盗に襲われた人と知り合いだったわけではありません。むしろユダヤ人とサマリア人とはいつも仲が悪くて、口もきかなかったのです。でも、強盗に襲われて傷を負って倒れている、このままでは死んでしまう、そういう苦しみの中にある人を、いつも喧嘩をしているからといって見て見ぬふりをするのではなくて、手を差し伸べて助ける、聖書が「あなたの隣人を愛しなさい」と教えているのはそういうことですよ、とイエス様は教えて下さったのです。そしてその最後に「行って、あなたも同じようにしなさい」とおっしゃったのです。

私たちはどの人?
 私たちは、このたとえ話に出て来る人たちの誰に自分は一番近いと感じるでしょうか。今、学校でのいじめが大きな問題となっています。学校だけでなくて、大人の人たちの職場でも、いじめによって仕事を続けることができなくなっている人が沢山いることを先日テレビでやっていました。人をいじめるのは、このたとえ話に出てくる強盗がしたことと同じです。人を傷つけて、立ち上がれなくして、そのままでは死んでしまうほどにいためつける、いじめというのはそういうことです。そんなこと私はしていない、と簡単に言うことはできません。いじめをしている人は自分が人をいじめているとは考えないものです。私たちも、自分では気付かないうちに、強盗のように人をいじめ、傷つけてしまっていることがあるのです。そして、たとえ自分ではいじめていなくても、いじめられている人がいることを知りながら、自分もいじめられてしまうことが怖くて、その人を助けることができずに、見て見ぬふりをして反対側を通り過ぎてしまうようなこともあるのではないでしょうか。同じユダヤ人で仲間のはずなのに、道の向こう側を通り過ぎていった祭司やレビ人の姿こそ自分に一番近い、と感じることも多いのではないでしょうか。そういうふうにならずに、このサマリア人のように、たとえ普段仲が悪い人でも、苦しんでいる人、困っている人を見たら、自分の危険を顧みずにすぐに手を差し伸べて助けてあげる、自分のお金を払って面倒を見る、というのはなかなか難しいことだなあと思います。
 この話にはもう一人の人が出てきています。それは強盗に襲われて倒れている人です。傷を負ってもう自分では起き上がれない、このままでは死んでしまう、という状態になっているのです。自分がいじめにあって、この人と同じような状態になった、まさに今そういうことを体験している、という人もいると思います。さっき言ったように、今は子供だけでなく大人もそういうことを体験するのです。人にいじめられるというだけでなく、いろいろな苦しみや悲しみの中で、もう立ち上がれない、生きていけない、と思うこともあります。強盗に襲われて倒れている人こそ私たちだ、とも言えるのです。

サマリア人はイエス様
 では、その人を助けて介抱したサマリア人とは誰のことでしょう。この人の姿に一番近いのは、イエス様ですね。私たちは、今見たように、強盗のようになってしまうこともあるし、祭司やレビ人のようになってしまうこともありますが、何よりも、強盗に襲われた人のように、いろいろな苦しみ悲しみによって、自分では立ち上がることができなくなってしまう者です。人をいじめてしまったり、苦しんでいる人を見て見ぬふりをして助けることができなかったりするのも、私たち自身が苦しみや悲しみによって弱り、立ち上がることができなくなっているからだとも言えるでしょう。イエス様はその私たちのためにこの世に来て下さって、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さいました。ご自分の命を与えて、私たちを助けて下さり、新しく生かして下さっているのです。善いサマリア人とは誰よりもまずイエス様です。そして、そのように私たちを救って下さったイエス様が、「行って、あなたも同じようにしなさい」と語りかけておられるのです。

行って、あなたも同じようにしなさい
 ヘボンさんも、このイエス様のお言葉を聞いたのです。ヘボンさんは決して、自分はこのサマリア人のような立派な人、善い人になって、困っている、苦しんでいる日本の人たちを助けるんだ、と思って日本に来たのではないでしょう。そうではなくて、ヘボンさん自身も、強盗に襲われた人のように自分の力で起き上がることができない者だったのです。その自分を、イエス様が、命をささげて救って下さった、そのイエス様の愛によって自分が生かされていることをヘボンさんは信じたのです。そのイエス様が、「行って、あなたも同じようにしなさい」と語りかけて下さった、そのお言葉を聞いてイエス様に従って行ったのです。その中でイエス様が、あなたは日本へ行って、同じようにしなさい、と語りかけて下さったのです。そのお言葉に従ってヘボンさんは日本に来て、イエス様が自分を愛して下さったように、日本の人々を愛し、私たちがイエス様の救いにあずかるために、人生を捧げたのです。イエス様の愛に応えて私たちを愛してくれたヘボンさんによって、この教会は誕生したのです。

神さまと隣人を愛する
 今日のお話は「続明解カテキズム」の問22に基づいています。そこに書かれているように、十戒がテーマです。十戒は出エジプト記第20章にありますが、その前半は神さまを愛すること、後半は隣人を愛することを教えています。今日のルカ福音書の10章27節に、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」とあるのは、十戒の前半と後半のまとめだと言うことができます。「善いサマリア人のたとえ」は、後半の、「隣人を自分のように愛する」とはどういうことかを教えるために語られたのです。「神さまを愛すること」と「隣人を愛すること」を教えている十戒には前提があります。それが出エジプト記第20章の2節です。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。神さまが、奴隷として苦しめられていたエジプトから救い出して下さった、その救いの恵みを受けた人が、その神さまの愛に応えて、神さまを愛し、隣人を愛して生きる、十戒はそのために与えられているのです。
 ヘボンさんが日本に来たのも、イエス様の愛に応えて、神さまと隣人である日本の人たちを愛するためです。その働きによって生まれたこの指路教会に今私たちは連なっています。そのことによって私たちは、イエス様による救いの恵みをいただいているのです。今日この礼拝で、お二人の方が洗礼を受けます。洗礼を受けることによって私たちは、十字架にかかって死んで下さることによって私たちを救って下さったイエス様を信じて、その愛に応えて神さまと隣人を愛して生きる者として新しく歩み始めます。その私たちにイエス様は、「行って、あなたも同じようにしなさい」と語りかけておられます。ヘボンさんの信仰を受け継いで私たちも、神さまを愛し、神さまが私たちに与えて下さっている隣人を愛していきたいのです。

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