主日礼拝

わたしがあなたと共にいる

「わたしがあなたと共にいる」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; ヨシュア記、第1章 1節-9節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第18章 1節-11節
・ 讃美歌 ; 12、127、356、72(聖餐式)
・ 聖歌隊 ; 24

 
コリント伝道
 六月第一主日以来、ほぼ一か月ぶりに、使徒言行録の続きを読んでいきます。今私たちは、パウロのいわゆる第二回伝道旅行のところを読んでいます。この伝道旅行においてパウロは初めて今日のギリシャに渡りました。キリストの福音が、ヨーロッパに伝えられたのです。ギリシャでの伝道は先ずその北部のマケドニア州でなされました。フィリピ、テサロニケ、べレアといった町々です。それから南部のアカイア州へと下ってきて、17章後半にはアテネでの伝道のことが語られていました。そして本日の18章には、コリントでの伝道のことが語られているのです。11節にあるように、パウロはこのコリントの町に一年六か月滞在しました。これはパウロの伝道旅行における一つの町での滞在期間としては非常に長い方です。コリントで彼は、腰を落ち着けて伝道をし、8節にあるように、この町の多くの人々がパウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けたのです。本日は先ず、このコリントでの伝道がどのようになされたかを見ていきたいと思います。
 コリントという町のことを知るために、聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3」を見ていただきたいと思います。ギリシャの南の方、アテネの西にコリントがあります。このあたりは地中海に突き出した半島になっています。コリントのあたりでその半島、ペロポネソス半島はぐっとくびれていて、東からも西からも海が湾になって迫っています。よく見ないと、この海はつながっていて、南にあるのは島であるように思えてしまいますが、そうではありません。ここは「コリント地峡」と呼ばれており、東と西から海が迫っているけれども、つながってはいない、半島が極端に狭くなっている所なのです。今ではそこに運河が掘られて、船が行き来できるようになっています。この地図から分かるように、コリントは、ペロポネソス半島の西のアドリア海と東のエーゲ海とが迫る地峡にあって、必然的に東西の物流の拠点として発展した町です。アテネが学問や芸術の町であったのに対してコリントは、商業の町、経済都市であり、アカイア州の州都でした。当時の人口が六十万を超していたともいわれます。そのような経済の中心地であり、豊かな都市であった反面、文明の爛熟に伴う倫理的な乱れも大きかったようです。この町の郊外には女神アフロディテの神殿がありました。アフロディテはローマ式にいえばヴィーナスです。愛の女神などと言われます。この神殿の巡礼者を相手とする神殿娼婦が千人いたとも言われます。巡礼者相手の売春宿が立ち並ぶような町でもあったのです。そのようなことから、「コリント風」というのは当時のギリシャにおいて性的な乱れを意味する言葉だったと言われています。コリントはこのように、経済的繁栄と倫理的堕落の同居する、つまりは今日の私たちの社会と、あるいはこの横浜の町と同じような所だったのです。パウロはそこで腰を落ち着けて伝道をし、この町にキリストの教会が誕生したのです。

アキラとプリスキラ
 2節には、パウロがこの町で一組の夫婦と出会ったことが語られています。アキラとプリスキラという夫婦です。彼らは、「クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである」とあります。ローマ皇帝クラウディウスがユダヤ人を首都ローマから退去させた、そのことは、紀元49、50年の出来事で、スエトニウスという人が紀元2世紀前半に書いた「ローマ皇帝伝」によれば、ユダヤ人たちが、「クレストゥス」の煽動によっていつも騒ぎを起こすから、という理由だったとされています。「キリスト」はラテン語では「クリストゥス」ですから、この「クレストゥス」はキリストのことではないか、つまりローマのユダヤ人社会の中にこのころ既にキリスト教をめぐる騒ぎ、争いが起っていたのではないか、とも考えられます。いずれにせよパウロは、ローマからコリントに移り住んだアキラ、プリスキラ夫妻と出会い、3節にあるように、テント造りという職業が同じだったので、彼らの家に住み込んで一緒に仕事をしながらこの町での伝道を始めたのです。このことから分かるように、アキラとプリスキラは既にキリスト信者だったようです。彼らはこの後、パウロと共に小アジアのエフェソに渡り、そこでの伝道の担い手となりました。パウロの手紙の中にも、この夫妻の名が、よき協力者としてしばしば出てきます。そのような主にある生涯の友との出会いがコリントで与えられたのです。信仰をもって生き、とりわけ伝道に励んでいく時に、私たちはこのような真実の友、同志と呼べる仲間を与えられます。これもまた、信仰者に主が与えて下さる大きな恵みの一つです。

パウロの職業
 ところで、ここで私たちは、パウロの職業がテント造りだったということを知らされます。これを、「そうか、パウロはテント屋さんだったのか」と読んでしまうのは正確ではありません。パウロはもともと、ファリサイ派と呼ばれるユダヤ教の律法学者、律法の教師だったのです。それが彼の本業です。しかし当時の律法学者たちは、律法についての専門知識の他に、自分で生活をまかなえるような職業技術を身につけることがならわしでした。その背景には、神様の律法を飯の種にしてはならない、という考え方があったのです。パウロの職業がテント造りだったというのはそういうことです。その技術を身につけていたので、アキラとプリスキラの家に同居させてもらって、共に仕事をし、生活費を稼ぎながら伝道をしたのです。それは4節にあるように、「安息日ごとに会堂で論じ」るという伝道でした。ウイークデーにはテント造りの仕事をし、安息日に会堂でみ言葉を語る、という生活が当初なされていたのです。

教会の献金によって
 けれども5節からは事情が変わっています。「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し」たのです。このあたりの事情をパウロはコリントの信徒への手紙二の第11章7?9節でこのように語っています。「それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです」。「マケドニア州から来た兄弟たち」というのが、シラスとテモテのことです。彼らはパウロがマケドニア州からアカイア州へ、つまりギリシャの北から南へと移る時に、マケドニアに残っていたのでした。そのことは使徒言行録17章14、15節を見るとわかります。パウロは先にアカイア州に、つまりアテネ、そしてコリントに来て、シラスとテモテの到着を待っていたのです。そして今読んだ手紙には、彼らが「わたしの必要を満たしてくれた」とあります。このことの内容はフィリピの信徒への手紙第4章15節から分かります。「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした」。つまり、フィリピの教会の人々が、パウロの伝道のための献金を集め、それをシラスとテモテに託して届けてくれたのです。この献金を受け取ってからは、パウロは「御言葉を語ることに専念」することができました。生活のために働かなくてもよくなり、フルタイムに伝道に専念できるようになったのです。それによって、5節後半に「ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした」とあるように、さらに強力な伝道がなされていったのです。
 このコリント伝道におけるパウロの姿は、いろいろなことを考えさせてくれます。パウロは、必要とあれば、自分の生活費を自分で稼ぎながら伝道をする、そういう気構えと準備を持っており、実際にそのようにしていたのです。しかしまた彼は、そのようなあり方に固執することはありません。協力が得られ、伝道のみに専念できる機会が与えられたなら、喜んでその協力を受けているのです。彼が先ほどのフィリピの信徒への手紙で、彼らの献金のことを、「もののやり取りでわたしの働きに参加した」と言っていることに注目したいと思います。フィリピの人々は単に金品を捧げたのではないのです。パウロの伝道の働きに参加したのです。パウロが伝道に専念することができるようにと彼らが捧げた献金は、伝道の業への参加なのです。このような献金が捧げられることによって、パウロの伝道は、パウロ個人の業ではなくなり、教会の、しかも一つの町の教会のみでなく、いろいろな町々にある信仰者の群れ全体の業となるのです。ここに、献金の持つ一つの大切な意味があります。私たちが、例えばどこか余所の町の教会のために献金をささげる、それは、その町の伝道に参加することに他ならないのです。

会堂を去る
 さてパウロはそのように協力を得て、コリントのユダヤ人たちに、メシア、つまり神様が約束して下さっていた救い主は十字架につけられ、復活された主イエスであると力強く証しをしました。しかし伝道が力強くなされればなされる程、それに対する反発、抵抗も強くなります。6節には、ユダヤ人たちが反抗し、口汚くののしったとあります。そこでパウロは、服の塵を振り払い、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言って、ユダヤ人たちの会堂を去ったのです。わたしはあなたがたに再三、神様からの救いのみ言葉を伝えた。それをあなたがたがどうしても受け入れないのだから、あなたがたが滅びてもそれはわたしのせいではない、あなたがた自身の責任だ、という激しい宣言です。服の塵を振り払うというのも、激しい抗議の思いを表すしぐさです。そのように、もうあなたがたに語るのはやめた、と決別の宣言をして会堂を出たパウロが行ったところは、「神をあがめるティティオ・ユストという人の家」でした。「神をあがめる」というのは、異邦人でユダヤ教の教えを聞いている人のことを言う言葉で、フィリピ伝道のところに出てきたリディアについても言われていたことです。ティティオ・ユストもコリントの会堂に出入りしており、そこでパウロの語るキリストの福音を聞いて信じるようになり、パウロを迎え入れたのでしょう。そしてこともあろうに、彼の家は会堂のお隣りでした。ユダヤ人たちに決別を宣言して会堂を出たパウロは、隣の家で伝道を続けたのです。想像をたくましくする人は、隣の家で説教をするパウロの声が、会堂の中に聞こえ続けたのだ、と言っています。そしてそのように考えることには根拠もあるのです。8節には、会堂長、つまり会堂の責任者であったクリスポという人が、一家をあげて主を信じるようになったとあるからです。パウロとその語る福音を受け入れなかったユダヤ人たちの会堂の、しかし責任者は信じて仲間に加わったのです。

ユダヤ人への思い
 このエピソードは、パウロの伝道における同胞であるユダヤ人たちへの思いの深さを語っています。これまでにも見てきたように、パウロの伝道はどこの町でも先ずユダヤ人に対してなされています。それは単に同胞を救いへと導きたいという彼の願いから出ていることではなくて、ユダヤ人こそ、これまで神様の民として歩んで来た者たちであり、旧約聖書における神の民の歴史を担って来た人々だからです。主イエス・キリストによる救いは、この神の民の歴史を受け継ぐものであり、また同時にその歴史が主イエスを信じる信仰によって異邦人へと広げられていく転機となったものなのです。それゆえにパウロは、異邦人に福音を宣べ伝える使徒として立てられたという自覚をはっきり持つと共に、その伝道において常に、ユダヤ人こそ真っ先にこの救いにあずかるべきだという思いを持ち続けました。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ」という激しい言葉も、そのようなユダヤ人たちへの思いがあればこそ語られていることだと言えるでしょう。そのような激しい言葉を投げ付けて会堂を出たパウロが、お隣の家で伝道を続けたということにも、そういう思いが込められているのです。それゆえにこそ、会堂長クリスポの一家の回心が実現したのです。

恐れと不安
 このようにして、コリントにおいて多くの人々がパウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けました。私たちはこのコリント伝道の始まりとその展開を見ると、まことに順調に教会が生まれ育っていったように感じます。けれどもパウロ自身は、後にこの教会に宛てて書き送った第一の手紙の2章3節においてこのように言っています。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」。コリントで伝道を始めた時、彼は恐れに取りつかれており、ひどく不安だったと言うのです。何故彼はそんなに恐れ、不安だったのでしょうか。
 そのことを知る助けになるのが、9、10節にある、ある夜、主が幻の中でパウロに現れて告げられたみ言葉です。主はこのようにパウロに語りかけられたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。「恐れるな」と主は言われました。パウロが感じている恐れを主はご存じなのです。その恐れは、もはや語ることができなくなり、黙ってしまうことを引き起こすような恐れです。それゆえに、「語り続けよ、黙っているな」とも主は言われます。この主のみ言葉は私たちに不思議な感じを与えます。これまで見てきたコリント伝道において、パウロがそのような恐れに捕われているようには思えないのです。むしろ彼は敵対するユダヤ人を前にしても大胆に語っており、主イエス・キリストのことを力強く宣べ伝えています。語ることができなくなり、黙ってしまうような恐れなど、この彼の姿とは無縁であるように感じるのです。けれども、この主のみ言葉は私たちに、表面に現れた姿からは分からない真実を教え示しています。パウロの力強い大胆な伝道の背後には、深い恐れが、不安があったのです。その恐れ、不安は何によるものか。そこにはいろいろな理由があったでしょう。主は、「わたしがあなたと共にいるから、あなたを襲って危害を加える者はない」と言っておられます。敵対する者たちに襲われ、危害を加えられることへの恐れや不安も確かにあったでしょう。パウロはこれまでに何度も、そういう目にあっています。しかしこういうことは、何度も体験しているからもう平気だ、というものではないでしょう。むしろ何度も体験しているからこそ、そのことを恐れる思いが深かったのではないかと思います。また、これまで体験してきた、フィリピ、テサロニケ、べレアでは、いずれも、敵対するユダヤ人たちによって騒動が起こり、町におれなくなる、ということを経験してきたのです。コリントでは今のところそういうことは起っていないけれども、いつまたそのようになって、この町を去らなければならなくなるかもしれない、という不安もあったでしょう。今のところは順調にいっている、しかしそれがいつひっくり返され、元の木阿弥になってしまうかもしれない、うまくいっていればいっていたで、そういう不安が頭をもたげてくるのです。パウロは、自らの内にそのような恐れや不安をかかえながら、それと戦いながら、外からみれば大胆に力強く伝道をしていたのです。しかしいつその恐れや不安に負けて、語れなくなってしまうことが起るかもしれないのです。パウロの力強い大胆な伝道の背後に、深い恐れ、不安があったというのはそういうことです。このように言いますと、「パウロほどの大伝道者には、そんな恐れや不安は無縁だったのではないか」と思う方もおられるかもしれません。しかし、パウロやその伝道をそのように理解してしまうことは、大きな間違いです。なぜ間違いかというと、そのような理解は、パウロの伝道を、彼が持っているたぐいまれな力や強い信仰による業としてしまうことになるからです。そしてそのような理解に立つ時、私たちにとって今読んでいる使徒言行録は、昔の偉い人のお話になってしまう、つまり自分とは関係のない別世界の話になってしまうのです。「使徒パウロはこんなにすばらしい力を持った、強い信仰を持った人だったのだ」と感心して、それでおしまいになってしまうのです。「恐れるな、語り続けよ、黙っているな」という主のみ言葉は、そういう読み方が間違っていることを宣言しています。パウロにも、恐れや不安があったのです。私たちが信仰をもってこの世を歩んでいく中で恐れや不安を抱くのと同じです。あるいは私たちが多少なりとも伝道をし、身近な人を礼拝へと誘おうとする、そこで恐れや不安を抱くのと同じです。要するにパウロも私たちと同じ一人の人間であり、自分の力で伝道をしようとするならば、恐れと不安に脅かされ、いつ語ることができなくなってしまうかもしれない者なのです。

この町には、わたしの民が大勢いる
 そのようなパウロに、主は語りかけて下さいました。「わたしがあなたと共にいる」。これは本日の旧約聖書の箇所、ヨシュア記第1章9節で主なる神様がモーセの後継者ヨシュアに与えた励ましの言葉であり、復活された主イエスがマタイによる福音書の終わりのところで弟子たちを伝道へと派遣するに当って与えて下さった約束でもあります。主イエス・キリストが必ず共にいて守り、導いて下さる、その約束によってパウロは励まされ、語り続けることができたのです。
 しかしこれよりももっと大事なのは、その後の「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」というみ言葉です。「わたしの民」、それは、神様が、ご自分の民として選び、召しておられる者たちです。この町にはその民が大勢いる、まだ信じていない、教会に加えられていない人々の中に、既に神様が選び、これから導こうとしておられる人々が大勢いる、というのです。このみ言葉に、教会のなす伝道において、あるいは人がキリストを信じる信仰者になることにおいて実は何が起っているのかが示されているのです。つまり、パウロの伝道において起っているのは、パウロがその語ることによって人々を説得して主イエスを信じさせ、キリスト信者にする、ということではないのです。パウロが語るより前に、主なる神様が、ご自分の民を既に選び、召しておられるのです。パウロがしている伝道は、この神様の選びと召しのみ業への奉仕です。言い換えれば、パウロは伝道することによって、神様が既にご自分の民として選び、召しておられる人々を見出しているのです。「この町には、わたしの民が大勢いる」というみ言葉はそのことを教え示しています。このことを知らされたことによって、パウロは、人間の働きに伴う一切の恐れや不安から解放されて、語り続けることができたのです。黙ってしまうことなく、伝道を続けることができたのです。私たちにおいても同じです。能力においても、信仰においても、パウロよりもはるかに乏しい私たちは、自分の力で多少なりとも伝道をしようとしたら、たちまち恐れや不安に満たされて、語ることができなくなるのです。しかし伝道とは、私たちが自分の力で人を信仰者にすることではありません。神様が、既に、ご自分の民として選び、召しておられ、導こうとしておられる人々が、この町にも沢山いるのです。神様がそのように私たちに先立って伝道しておられるのです。そもそも私たち自身が信仰者となったのも、私たちが信じたからと言うよりも、神様が私たちを選び、教会へと、神様の民の群れへと召して下さり、信仰を与えて下さったからです。その私たちと同じ選びにあずかっている人々が、この町にはまだまだ沢山いるのです。その人々を見出すために、私たちは語っていくのです。証しをしていくのです。それはまことにつたない、力ない言葉ですが、神様が既にご自分の民として召しておられる人は、神様が定められた時に、私たちの語りかけに、証しに、反応するのです。そして私たちは、ああここにも、神様が選び、召して下さっている神の民の仲間がいた、という驚きと喜びをもってその人と出会うのです。「わたしがあなたと共にいる」と約束して下さった主イエスは、ただ私たちを守り支え励まして下さるのみではありません。むしろこのように私たちに先立ってご自分の民を選び、召し集めておられるのです。私たちは共におられる主イエスのそのみ業の中で用いられていくのです。信仰をもってこの世を生きる私たちには恐れや不安があります。私たちの伝道にも、恐れや不安がつきまといます。けれども主イエスが私たちに先立って、先ず私たちを選び、召し集め、さらにまだ私たちの知らないこの町の多くの人々をも選び、召し集めておられることを示される時に、私たちも、パウロと同じように、自らの内にある恐れや不安に負けずに、信仰に生き続けることができ、語り続けることができ、伝道し続けることができるのです。

関連記事

TOP