夕礼拝

主にささげられた子

「主にささげられた子」 牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:サムエル記上 第1章1-2章11節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第1章46-55節
・ 讃美歌:299、521

イスラエルに王が立てられたことを語る書  
 私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書からみ言葉に聞いておりますが、先日ルツ記を読み終え、本日からサムエル記に入ります。ルツ記についてお話しした時に申しましたが、ユダヤ人たちの間で元々伝えられてきた聖書においては、士師記とサムエル記の間にルツ記はありませんでした。旧約聖書は、第一の部分が律法、第二が預言者、そして第三の部分は「その他の書、文学書」から成っていますが、ルツ記は第三の部分である「その他の書、文学書」の中に置かれていたのです。旧約聖書がギリシア語に訳されていった時に、その位置が変わりました。ルツ記に描かれている出来事が士師の時代のことだったので、士師記の後に移されたのです。ですから元々は、士師記の次がサムエル記だったのです。士師記の最後の21章25節にはこう語られていました。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。この文章はサムエル記への備えとなっています。国全体を統治する王がおらず、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていたイスラエルに、王が立てられていった、その経緯を語っているのがサムエル記です。サムエル記は一言で言えば、イスラエルが周辺の国々と同じように王国となったことを語っているのです。その王国の歩みが次の列王記に語られていきます。サムエル記と列王記は繋がっているのです。七十人訳と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書においては、サムエル記上下、列王記上下が「王国の書第一、第二、第三、第四」と呼ばれています。サムエル記と列王記は、四分構成から成る一つの書として読むことができるのです。

キングメーカー、サムエル  
 さて本日はサムエル記上の1章から2章にかけてを読むのですが、ここにはサムエルという人の誕生の話が語られています。「サムエル記」なのですから、サムエルこそがこの書の主人公ということになります。しかしサムエルはイスラエルの王となった人ではありません。イスラエルが王国になったことを語っているサムエル記ですが、その主人公は、王となった人ではないのです。これはとても重要なことで、ここにサムエル記の中心となるメッセージが込められていると言えます。これからサムエルの生涯を見つめつつそのメッセージを読み取っていくわけですが、今ここで少し先取りして述べておくならば、サムエルは、王となったのではなくて、王を立てる人となったのです。「キングメーカー」という言葉があります。政治の世界などで、自らは総理大臣にならないけれども、ある人を総理大臣にするために、陰で画策し、交渉したり説得したりしてお膳立てをする人のことをそのように言います。サムエルはイスラエルにおけるキングメーカーとなりました。サムエル記は、キングメーカーであるサムエルの物語なのです。王国の成立を、王になった人よりもむしろキングメーカーとなった人に焦点を当てて語っていく、そこにサムエル記の特徴があります。そのことが何を意味しているのかを読み取っていきたいのです。

シロの神殿で礼拝するエルカナ  
 サムエルはどのようにして生まれたのでしょうか。彼の父はエルカナといい、イスラエルの十二の部族の中のエフライム族の人でした。彼が住んでいたのは「ラマタイム・ツォフィム」という所であり、19節ではただ「ラマ」とだけ言われています。聖書の後ろの付録の地図3「カナンへの定住」を見ていただきたいのですが、このエフライム族の地にシロという町があります。当時そこに主なる神の神殿があったのです。9節に「主の神殿」とありますが24節には「主の家」とあります。後にソロモン王がエルサレムに建てたような立派な神殿ではなかったでしょうが、犠牲を捧げるための建物があり、イスラエルの人々は当時、このシロの神殿において犠牲を捧げて主なる神を礼拝していたのです。その起源はヨシュア記の18章1節に記されています。そこには「イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた」とありました。「臨在の幕屋」は、イスラエルの民がカナンの地に入る前、荒れ野を旅していた時に持ち運んでいた移動式の聖所です。幕屋とはテントであって、分解して持ち運び、また立てることができます。民の移動と共に臨在の幕屋も移動していったのです。その幕屋に置かれていたのは、十戒を刻んだ石の板を納めた「契約の箱」です。それを中心とするこの聖所においてこそ、主なる神が民と出会って下さり、主を礼拝することができたのです。つまり臨在の幕屋は礼拝の場所です。カナンの地に定住したことによってその幕屋がシロに建てられ、もはや移動する必要がなくなったので、それが次第に神殿へと建て替えられていったのです。つまりシロは当時イスラエルの民の主なる神への礼拝の中心地でした。「指路教会」の名称の起源の一つがこのシロです。エルカナとその家族は、3節にあるように、毎年シロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていました。エルカナは、出エジプト以来のイスラエルの民の信仰的伝統を忠実に継承して、主なる神を熱心に礼拝する人だったのです。

ハンナの苦しみ  
 このエルカナには二人の妻がありました。一人はハンナ、もう一人はペニナです。この二人は共にエルカナの正式な妻です。当時はそういうことが珍しくはなかったのです。ただ、二人の妻がいるということは、やはり家庭の中にいろいろな問題が起る原因ではありました。この家庭にもそういうことが起っています。ペニナには子どもが生まれたが、ハンナには生まれなかったことによってそれが起りました。子どもを生んだペニナが大きな顔をし、ハンナは肩身の狭い思いをしなければならなくなったのです。このことは、イスラエルの人々において、子どもが与えられることが神の祝福の最大のしるしだったことと関係しています。子どもが与えられないことは、女性にとって、神の祝福を得られず、神に見放されているように感じられることだったのです。ハンナはその苦しみを感じていただけでなく、もう一人の妻ペニナからいじめられていました。6節には、「彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた」とあります。そしてハンナの苦しみは、毎年彼らが家族全員でシロの神殿に主を礼拝しに行く時に最も深まったのです。4、5節にこうあります。「いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、ハンナには一人分を与えた」。主なる神にいけにえを献げる礼拝には、献げた動物の肉を家族全員で食べるという食事が伴いました。この食事において主なる神との交わりが文字通り味わわれ、確認されるのです。ですからこれは単なる食事や宴会ではなくて、神の祝福にあずかりそれを実感する時なのです。その食事において、その家の主人が家族それぞれにいけにえの肉を取り分けて与えます。「それぞれの分け前を与え」とはそういうことです。ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前が与えられますが、ハンナには一人分しか与えられません。彼女には子どもがないので、それは仕方のないことです。そこに、ハンナとペニナの立場の違いが目に見える形で表れてしまうのです。そのために、本来は喜ばしい祝福の食事であるはずの時が、ハンナにとってはかえって苦痛の時となっていたのです。  
 この新共同訳はそのように読める訳となっているわけですが、実はここの原文は意味がはっきりせず、言葉を補って訳さなければなりません。なので、どのように補うかによって違う訳も生まれます。最近新しく出た聖書協会共同訳では5節はこうなっています。「そしてハンナには二人分に匹敵するものを与えた。それはエルカナがハンナを愛していたからであるのだが、主は彼女の胎を閉ざしたままであった」。この訳だと、エルカナはペニナよりハンナの方をより愛しており、子どものいないハンナを逆にえこひいきしていた、ということになります。その方が8節のエルカナの言葉とよく繋がるようにも思います。悲しみ、泣いているハンナに彼は「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか」と語りかけているのです。「君には僕がいるじゃないか。子どもが生まれなくても、僕は君を愛している。それでいいじゃないか」というわけです。そのようにエルカナがハンナをより愛しているので、ペニナは嫉妬して、ハンナを敵と見ていじめた、というのが6節なのかもしれません。そのようにいろいろな読み方ができるのですが、いずれにせよ、子どもが与えられないことでハンナは深い苦しみ、悲しみを背負っていたのです。夫に深く愛され、大事にされていたとしても、神の祝福のしるしである子どもが与えられなければ、人生はやはり虚しいと彼女は感じていたのです。

真実な祈り、信仰  
< そういうわけで、シロでのいけにえの食事はハンナにとってその苦しみが新たになる時でした。彼女は食事の後、主の神殿の前で、10節「悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」のです。自分の苦しさ、つらさ、寂しさ、悔しさを主なる神の前で、涙を流しつつ訴えたのです。祈りとはそういうものです。神への感謝や賛美を整えられた美しい言葉で語ることが祈りなのではありません。私たちが、なかなかお祈りができないと思うのは、一つには、祈りをそのような「きれい事」として捉えているからではないでしょうか。そんな祈りには心が向かないのが当然です。日々の忙しい生活の中でそんなことをしている暇はないのです。しかし祈りは、心にもないきれいな言葉を並べ立てることではありません。私たちが深い悩みを背負い、苦しさ、悲しさ、つらさ、悔しさを感じる時、そこに祈りが生まれます。きれいな言葉で語ることなどとうてい出来ない正直な思いを、そのまま神さまにぶちまける、それが本当の祈りです。信仰を持って生きることは、悩みや苦しみを持たずに平穏に生きることなのではありません。苦しみ悲しみを自分の心の中だけに留めて自分の中で堂々巡りをするのではなく、それらを神さまのみ前にさらけ出して、正直に語り、助けを求めることが信仰なのです。そこにこそ、神さまとの真実な、また真剣な交わりが生まれるのです。悩みや苦しみや悲しみをかかえている自分が、主の神殿において、つまり礼拝の場において、神のみ前に出て、涙を流しつつ神に祈る、それが信仰に生きることです。ハンナはそのように、自分の苦しさ、つらさ、悔しさを神さまにぶちまけて泣きながら祈ったのです。その祈りの中で彼女が与えられた思いは、もしも神さまが自分に男の子を授けて下さるなら、その子を神さまにおささげする、つまりその子を自分のものとするのではなく、神さまのものとする、という誓いでした。このような誓いは、神さまと取引をしているような印象を与えるかもしれません。しかし、よく読めばそうではないことが分かります。取引というのは、ギブ・アンド・テイクで、何かを与える代りに何かを得ようとすることです。この場合彼女は、子どもを得たいと願っているわけですが、しかし彼女はその子どもを神さまにおささげすると言っているのです。つまりこのことによって彼女の手には何も残らないのです。ですから彼女は、取引によって神さまから何かをせしめようとしているのではありません。彼女が求めているのは、子どもが与えられた、という事実のみです。それは神の祝福のしるしです。彼女はただひたすら、神の祝福のみを求め、それさえあれば何もいりません、と訴えているのです。

主のみ心の実現のために用いられたサムエル  
 このハンナの祈り願いに応えて、主なる神が与えて下さった子がサムエルでした。このようにして誕生したサムエルは、生まれながらに主にささげられた子だったのです。ハンナは主の前での誓いの通り、その子が乳離れするとシロの神殿に連れて来て、祭司エリにその子を委ねました。本日の最後の所、2章11節にあるように、幼子サムエルは祭司エリのもとにとどまって、主に仕える者として成長していったのです。このようにサムエルは、主なる神にささげられた子として生まれ、主なる神に仕える者として育てられたのです。  
 これが、イスラエルにおけるキングメーカー、サムエルの誕生です。キングメーカーと言うと、黒幕とか、政界のドン、といったイメージがあります。自分の息のかかった者を表に立てて、裏から国の政治を牛耳っている人、という感じがします。しかしサムエルがしたのはそういうことではありません。サムエルがイスラエルに王を立てたことをこれから読んでいくわけですが、それは彼が自分の思いによって、自分が間接的に支配するためにしたことではありません。彼は、自分が生まれた時からささげられ、仕えている主なる神さまのみ心を行っていったのです。主ご自身がサムエルを用いて、イスラエルに王をお立てになったのです。つまりイスラエルにおける本当のキングメーカーは主なる神です。主にささげられた者であるサムエルが主のみ心の実現のために用いられたことによって、イスラエルは王国となった、ということをサムエル記は語っているのです。つまりイスラエルが王国となったのは、時代の流れを見抜く能力のある政治家の手腕によることでもなければ、王となった人の軍事的能力や人心を掌握する力によることでもない、全ては主なる神のみ心によってなされたことなのです。サムエルというキングメーカーの生涯を描くことによってサムエル記は、この主なる神のみ業を語ろうとしているのです。

サウルの誕生物語?  
 ところで学者の間には面白い説があります。第1章の誕生物語は元々はサムエルの誕生の話ではなくて、イスラエルの最初の王となったサウルの誕生の話だったのではないか、という説です。このような誕生物語は、その人の名前の由来を語っている場合が多いのですが、この話は「サムエル」という名前の由来になっていない、ということがその根拠です。20節に「主に願って得た子なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた」とあります。しかしサムエルという名は括弧にあるように「その名は神」という意味であって、「主に願う」という意味はそこにはありません。「願う」という言葉は原語で「シャーアル」ですが、それはサムエルという名よりも、サウル、原語では「シャーウール」の方が近いのです。サウルという名の意味は「祈り求められた者」です。そちらの方がこの話によく合うわけです。そうすると、元々はサウルの誕生の物語だったこの話を、サムエル記の著者がサムエルの誕生の話に変えたのかもしれません。だとしたらそこには著者の、王となったサウルよりも王を立てた人サムエルの方を重要視するという思いが現れていると言えるでしょう。そこにも、主なる神こそがサムエルを用いて王をお立てになったのだ、ということを語ろうとしているサムエル記の意図が感じられるのです。

ハンナとダビデの歌  
 さて2章の1~10節には、主に求めて子どもを与えられたハンナの感謝の歌があります。しかしこの歌は、ハンナの体験とはあまり合っていません。ハンナとこの歌が結びつくのは、5節後半の「子のない女は七人の子を産み、多くの子をもつ女は衰える」という二行のみだと言えるでしょう。この歌に歌われているのは、主なる神が、弱く貧しく力ない者をみ手によって高くあげて下さり、驕り高ぶる強い者、豊かな者、富んでいる者をその座から引き降ろす、ということです。そしてこの歌の最後、10節後半には「主は地の果てまで裁きを及ぼし、王に力を与え、油注がれた者の角を高く上げられる」とあります。ここには既に主によって王が立てられることが語られています。油注がれた者とは、神によって特別な使命へと立てられた者です。サムエルは、主のご命令によってサウルに、次いでダビデに油を注ぎ、イスラエルの王として立てました。そのことがここで先取りされているのです。つまりこれはハンナの歌と言うよりも、サムエル記の著者自身による、サムエル記全体の主題を先取りした歌であると言うことができます。主なる神が、弱く貧しく力ない者に油を注いで王として立て、その王座を堅く据えて下さることが歌われているのです。これと同じような歌が、サムエル記下の第22章にあります。それは、幾多の困難や危機を乗り越えてイスラエルの王となったダビデの感謝の歌です。その歌の最後の50、51節(520頁)にはこのようにあります。「主よ、国々の中でわたしはあなたに感謝をささげ、御名をほめ歌う。勝利を与えて王を大いなる者とし、油注がれた人を、ダビデとその子孫をとこしえまで慈しみのうちにおかれる」。本日の箇所のハンナの歌と、このダビデの歌は同じことを歌っています。この二つの歌を額縁としてダビデの王国の成立を語っているのがサムエル記であると言うことができます。つまりサムエル記は、ダビデが主によって油を注がれてイスラエルの王として立てられたことを語っており、その主のみ業のために、主にささげられた子として生まれ、育ったサムエルが用いられたのです。

マリアの賛歌  
 新約聖書において、このハンナの歌とダビデの歌を受け継いでいるのが、先ほど共に読んだルカによる福音書第1章46節以下の、いわゆる「マリアの賛歌」です。ここにも、主なる神が、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座はら引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良いもので満たし、富める者を空腹のまま追い返されることが歌われています。主がそのようなみ業によって救いを実現して下さることを、この歌もほめたたえているのです。主イエスの母となったマリアは、このような主の救いのみ業のために選ばれ、用いられました。マリアが神の力によって身ごもり、生んだ主イエスこそ、救い主キリストだったのです。キリストとは「油注がれた者」という意味の言葉です。サムエル記における「油注がれた者」は王でしたが、新約聖書においてはそれは、救い主を意味している言葉なのです。サムエル記は、主がサムエルを用いてダビデに油を注ぎ、神の民イスラエルの王として立てて下さったことを語っていますが、そのことは、主がおとめマリアを用いて、ダビデの子孫として主イエスを誕生させ、油注がれた者、救い主キリストとしてこの世に遣わして下さることの予告だったのです。

乾元美副牧師を送る  
 サムエルは、母の祈りの中で、生まれながらに主なる神さまにささげられた子でした。主はそのサムエルを豊かに用いて、ご自分の民への救いのみ業を前進させて下さったのです。本日は3月31日、この夕礼拝は2018年度最後の礼拝です。この礼拝をもって私たちは、三年間伝道師、そして副牧師として務めて下さった乾元美先生を、主が示して下さった新たな地である宮崎中部教会へとお送りします。乾先生は、お母様の祈りの中で生まれ、幼児洗礼を受けました。先生が伝道への献身の思いを語られた時にお母様は、「あなたは幼児洗礼のときに神さまにお献げした子だから」とおっしゃって、そのことを喜ばれたと聞いています。「わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です」というハンナの祈りは、そのままお母様の祈りだったのです。乾先生はまさに、生まれたながらに主にささげられ、ゆだねられた子です。主はその乾先生を豊かに用いて、この三年間、この教会においてみ業を前進させて下さいました。そのことに心から感謝し、主をほめたたえつつ先生をお送りしたいと思います。そして、遣わされていく新たな地においても、主にささげられた子である乾牧師を主が豊かに用いて下さって、救いのみ業を行い、それを前進させていって下さることを私たちは信じます。主のみ業は、主の御前に心からの願いを注ぎ出す祈りの中でこそ実現していきます。横浜においても宮崎においても、そのような真実な祈りに共に生きていきたいと思います。

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