「何を知って生きるか」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書; 詩編 第46編1-12節
・ 新約聖書; コリントの信徒への手紙一 第2章1-5節
・ 讃美歌 ; 1、411、436
十字架の言葉
礼拝において、コリントの信徒への手紙一を読み進めておりまして、本日より第2章に入ります。とは言っても、聖書の章や節は後から便宜的につけられたものですから、必ずしも内容の区切りと合っていないことも多々あります。本日のところもまさにそうで、この手紙を書いたパウロの思いにおいては、ここから新しい章というつもりはなかったと思います。内容は、先週読んだ1章31節までの続きなのです。これまでに語られてきたのは、パウロが宣べ伝えた福音、コリントの人々がそれを信じ受け入れて教会が生まれた、その教えは「十字架の言葉」であるということ、それは知恵を求める者、より賢く、立派になることを求めている者にとっては、愚かな、見栄えのしないものであること、しかし神様は愚かで見栄えのしないものに見えるキリストの十字架によって、私たちの罪を赦し、神様の民として下さるという救いのみ業を成し遂げて下さったのだ、ということです。私たちは人間の能力や知恵によってではなく、神様の選びと召しによって、まさに無に等しい者がその救いにあずかっている、それが私たちの信仰であり救いなのだということをパウロは語ってきたのです。そして本日のところで彼は、その十字架の言葉を自分がコリントにおいて宣べ伝えた、その自分の伝道を振り返っています。パウロのどのような伝道によってコリント教会が生まれたのか、そのことをもう一度、コリントの人々に思い起こさせようとしているのです。
パウロの伝道
パウロはコリントでどのように伝道をしたのでしょうか。1節にこうあります。「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」。「優れた言葉や知恵を用いなかった」とパウロは言っています。それは、1章17節後半に、「言葉の知恵によらないで告げ知らせる」と語られていたことと通じるものです。人間の知恵による巧みな弁舌によらずに伝道した、とパウロは言っているのです。彼がそう言うのは、巧みな弁舌を駆使できなかったことの負け惜しみではありません。パウロという人は、優れた言葉や知恵を用いようと思えばいくらでも用いることができる人だったのです。彼はユダヤ人の中でも、ファリサイ派と呼ばれる、律法を厳格に守ることに熱心な人々の中で、当時の最高の教育を受けた人でした。イエス・キリストを信じる者になる前、彼は教会とキリスト信者たちへの迫害の先頭に立っていました。その時彼はまさに優れた言葉と知恵で、イエスをキリスト、つまり救い主と信じる人々がいかにユダヤ人の伝統を破壊する危険な存在であるかを人々に説いて回ったのです。彼の言葉によって多くのユダヤ人たちが心を動かされ、キリスト信者たちは生かしておけない、と思うようになりました。そのように彼は人々を説得し、納得させる弁舌の知恵と力を存分に備えた人だったのです。その彼が、主イエス・キリストと出会い、信仰者となり、主イエスの福音を宣べ伝える者となりました。その時彼は、優れた言葉や知恵を用いることをやめたのです。何故でしょうか。それを語っているのが次の2節です。「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。パウロが、優れた言葉や知恵を用いるのをやめたのは、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外何も知るまい」という決意によってでした。コリント伝道はこの決意の下で行われたのです。
パウロの決意
これはとても不思議な決意だと思います。私は以前、このパウロの決意はおかしな言い方だと思っていました。そう思う人は多いのではないでしょうか。「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外何も知るまい」という決意です。これが、「これ以外何も語るまい」という決意なら分かるのです。語ろうと思えばいろいろなことを語れるけれども、それらの一切を省いて、十字架につけられたキリストという一点に集中して、それだけを語り、宣べ伝えようと決意した、それならすんなりと理解できるのです。しかし言われているのは、「十字架につけられたキリスト以外何も知るまい」という決意です。どうしてそういう言い方をするのでしょうか。これでは、新しい知識を一切受け付けようとしない頑なな姿勢にも思えてしまいます。もっと滑稽に言えば、何か新しいことを知らされそうになったら、すぐに耳を塞いでその場から逃げ出していく、なんていうことにもなるかもしれません。それに第一、パウロは既にいろいろなことを知っているのであって、十字架につけられたキリストのことしか知らないで生きる、などということはあり得ません。既に持っている様々な知識を捨ててしまうことはできないのです。だからこれは変な、あるいは無理がある言い方です。だからおそらくパウロは、強調するためにこのような言い方をしたのであって、言おうとしているのは先ほど申しましたように、十字架につけられたキリストに集中して、それ以外のことは宣べ伝えない、ということだろう、私は以前はそんなふうに思ってここを読んでいました。しかしその思いは次第に変わってきました。今は、「これ以外何も語るまい」ではなくて「これ以外何も知るまい」と言わずにおれなかったパウロの思いが分かるような気がします。それはこういうことです。「これ以外何も語るまい」と言うとそれは、いろいろと語り得ることの中から何を選んで語るか、ということになります。話のネタは沢山あって、自分の心の引き出しに入っている、その中からどの引き出しをあけて話をしようか、ということになるのです。しかしパウロのこの決意はそういう取捨選択の問題ではなかったでしょう。この決意は、パウロ自身の生き方の根本に関わるものだったのです。つまり、何を語るか、という語り方の問題ではなくて、生き方の問題として、十字架につけられたキリスト以外何も知るまい、という決意がなされたのだと思うのです。「知る」という言葉は、聖書においては、人間の生き方の深みに関わる言葉です。それは単に知識を得るということではなくて、何を信じ、何に依り頼んで生きるか、あるいは誰と共に生きるか、ということなのです。パウロは、主イエス・キリストと出会い、信仰者となり、伝道者となった時に、それまで持っていたいろいろな知識に加えて、イエス・キリストというもう一つの知識を得て、また一つ賢くなったのではありませんでした。そうではなくて、彼の生き方の根本が変わったのです。何を知って生きるかが変わったのです。その新しさをもって彼はコリントで伝道したのです。その彼の伝道の姿に、彼が何を知って生きる者となったのかが現れているのです。
衰弱、恐れ、不安
3節には「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とあります。このことを、使徒言行録17、18章に語られているパウロのコリント伝道の時の事情と結びつけて理解しようとする人もいます。使徒言行録によればパウロはコリントに来る前、アテネで伝道したのですが、その時、アテネの哲学者たちを相手に、彼らの哲学における言葉なども引用しながら、言わば弁舌巧みにキリストを宣べ伝えようとしたのです。しかし話がキリストの復活のことになると、彼らはパウロを相手にせず、「いずれまた聞かせてもらおう」と軽くいなされてしまいました。パウロはそういう挫折の思いを抱いてコリントへ来た、それがこの3節の「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」ということの内容だというわけです。そしてそのアテネでの体験に懲りたために、もはや優れた言葉や知恵を用いることをやめ、十字架につけられたキリスト以外は何も知るまいと決意したのだというのです。しかしこの読み方は非常に浅薄です。パウロの決意は、アテネでうまくいかなかったからコリントではやり方を変えてやってみよう、などということではないでしょう。「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」というのも、アテネで失敗したからではないと思います。むしろパウロの伝道にはいつもこの衰弱と恐れと不安がつきまとっていたのです。それは一つにはパウロ自身がかかえていた肉体的な弱さによることでもあります。パウロは、具体的なことははっきりとはわかりませんが、ある肉体的問題、病気をかかえていたらしいことが、他の手紙からわかります。彼はそれを、自分の身に与えられた「とげ」と呼んでおり、それを取り去って下さるように熱心に神様に祈った、それに対して神様から、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というみ言葉をいただいたことを語っています。そういう肉体の弱さを彼は背負って生きていたのです。しかしそういう弱さだけがこの衰弱、恐れ、不安の原因ではないと思います。何故ならば先程も申しましたように、主イエスを信じる者となる以前の、迫害者だった時の彼には、そのような衰弱、恐れ、不安は感じられないからです。彼の衰弱、恐れ、不安は、彼の体の弱さからと言うよりも、彼が信じ、それによって生き、それを宣べ伝えているキリストの福音から生じて来たと言うべきでしょう。十字架につけられたキリストを信じ、そのキリストに依り頼み、そのキリストを宣べ伝えていた、そのことが、衰弱と恐れと不安を彼にもたらしたのです。
喜び、平安、希望
今「えっ」と思われた方がいるかもしれません。主イエス・キリストを信じ、依り頼み、宣べ伝えていくことがどうして衰弱と恐れと不安をもたらすのか、それは喜びと平安と希望をもたらす福音、喜びの知らせではないのか、そう思って信じているのに、それを求めるからこそ礼拝に来ているのに…、と思われた方がいると思うのです。けれども、主イエス・キリストを信じる信仰は、一面においてまさにこういうものなのだということを私たちは知っておかなければなりません。この信仰において私たちは、イエス・キリストを、それも十字架につけられたキリストを知り、信じ、共に生きるのです。十字架につけられたというのは、死刑になったということです。生かしておけない罪人として、人々から捨てられ、拒絶されて殺されたのです。そのイエス・キリストを主と信じ、依り頼み、共に生きるのは、直接的には決して喜びや平安や希望をもたらすことではありません。つまりそのことによって、自分がより立派になったり、高められたり、優れたよい働きができるようになったり、人々から認められ尊敬される者になったりするような事柄ではないのです。むしろそこで私たちは、自分の罪をはっきりと示されます。しかもそれが、私たちの努力や精進によっては解決しない、神様の独り子イエス・キリストの十字架の死によってしか赦され得ないほど深いものであることを示されるのです。つまり十字架につけられたキリストは、私たちの自尊心、プライドを徹底的に打ち砕くのです。十字架につけられたキリストを知るというのは、自分のプライド、誇りを否定されることです。それは私たちにとって苦しいこと、恐しいこと、不安なことです。私たちは誰でも皆、自分の何らかのプライドにすがりついて生きています。他のいろいろなことは駄目でも、これだけは…という誇り、プライドを持って、あるいはそれを持とうと必死になって生きています。それを失ったら、自分を支えている土台がなくなってしまい、暗闇の中にまっさかさまに落ちていってしまうのです。主イエス・キリストとの出会いにおいてパウロが体験したのはまさにそういうことでした。彼はそれまで、ファリサイ派の若きエリートとして、人々から将来を嘱望されて、意気揚々と歩んでいたのです。彼を支えていたのは、自分は律法を落ち度無く守っている正しい者だという自信と誇りでした。そのように生きていた彼には、衰弱や恐れや不安は無縁だったのです。しかし、あのダマスコへの道において、復活された主イエス・キリストと出会い、自分がまさに神様の遣わされた救い主に敵対し、神様の民の群れを迫害していたのだということを知らされた時に、彼は、それまで自分を支える確固とした土台だと思っていたものがガラガラと音をたてて崩れ去るという体験をしたのです。自分の誇り、プライドの土台が崩れ去り、奈落の底に落ちていくことを感じたのです。そしてまさにその時彼は、その自分を支えておられる主イエス・キリストと出会ったのです。主イエス・キリストが、神様に敵対していた自分の罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、赦しを与えて下さっている、その恵みが自分を支えていることを知ったのです。彼はこのキリストと共に生きる者、このキリストに仕え、従う者となりました。そうなろうと決心したと言うよりも、自分を支える土台はもはやキリストにしかなかったのです。そのようにして彼は伝道者となりました。その彼の歩みは、衰弱と恐れと不安の連続でした。それは、迫害の中での伝道が大変だったからと言うよりも、自分の力、自分の才覚、自分の正しさに依り頼み、それを土台にして生きようとする自尊心、プライドを、常に打ち砕かれ続ける歩みだったからです。困難な状況の中で、人は何かしら、自分の中に拠り所を、土台を、安心できるものを持ちたいのです。しかし十字架につけられたキリストは、私たちが自分の中にそういうものを持つことを許しません。「おまえの中にはそういうものはない」という宣告を私たちは常に、十字架につけられたキリストから受けるのです。私たちはそれによって自分の中の土台を打ち砕かれて、繰り返し、暗い奈落の底に落ちていく者となるのです。その私たちを、十字架につけられて死に、そして復活して下さった主イエス・キリストが受けとめ、支え、赦しの恵みによって新しく生かして下さるのです。主イエス・キリストによって与えられる喜び、平安、希望はそこにこそあります。つまりキリストの福音による喜び、平安、希望は、私たちが自分の力で、自分の思いや計画に基づいて歩んでいく人生の歩みを側面から支えるとか、力づけるとか、慰める、というようなものではないのです。十字架につけられた主イエスによって、自分の歩み、自分のプライドを否定されることなしに、それを得ることはできないのです。
何を知って生きるか
このことを見つめていく時に、パウロがここで「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決め」たというその決意の本当の意味が分かって来ます。衰弱や恐れや不安の中で、パウロ自身にも、十字架につけられたキリスト以外の、もっと自分にとって直接に力となるものを、自分の中に拠り所として持っていられるものを、自分のプライドを満足させ、人に誇り得るような見栄えのよいものを知って生きたいという気持ちが繰り返し起ってくるのです。彼はそういう拠り所を自分の中に求めようとすればいくらでも持つことができる、優れた能力を持った人でした。優れた言葉や知恵に満ちた人でした。しかしその彼が、十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと決意したのです。それは、衰弱と恐れと不安の中にいつまでも立ち続けようということです。自分の力や豊かさ、そういう自分の中にあるものによって喜びと平安と希望を得てしまうことをやめようということです。そして、衰弱と恐れと不安の中にある自分を抱き止めて下さる主イエスを信じて、そのみ手の中へと身を投じようということです。そこにこそ、神様による真実の救いが、本当の喜びと平安と希望が与えられるのです。彼はこのことをこそ知って生きる者となったのです。
力を捨てよ
本日共に読まれた旧約聖書の箇所は、詩編第46編でした。この詩は、主なる神様が私たちの確かな支え、守り、砦であられるという信頼を歌っているものです。その11節にこうあります。「力を捨てよ、知れ、わたしは神」。神様を確かな支え手として知るためには、私たちは、自分が依り頼んでいる自分の中の力を捨てなければならないのです。それを捨てて、何も持たない者になる。何の力も、支えも持たない者となり、その衰弱と恐れと不安の中に身を置くのです。そこにおいてこそ、「わたしは神」というみ言葉を聞くことができます。神様が私たちの避けどころであり、砦であり、苦難の時に必ずそこにいて助けて下さる方であることが示されるのです。具体的には、私たちのために十字架にかかって死んで下さった主イエス・キリストの恵みが、衰弱と恐れと不安の中にある私たちを抱き止め、私たちの全ての罪を赦し、復活の新しい命に生かして下さっていることを知ることができるのです。
霊と力の証明
パウロの伝道はそのようにしてなされました。4節に「わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした」とあります。十字架につけられたキリスト以外何も知るまいと決意して生きる中でなされる伝道は、人間の知恵をくすぐり、気のきいた知恵によってちょっと賢くなったように思わせるような言葉を語り得ないのです。それはパウロの語り方の問題ではなくて、十字架につけられたキリストという福音の内容から来ることです。どのように語るかは、何を語るかによって決まるのです。十字架につけられたキリストは、人間の知恵によって伝えられるものではありません。それは「霊と力の証明」、つまり、神様ご自身が働いて、その力によって証しをして下さることによってのみ伝わるのです。私たちが、この世の常識からすれば愚かなことでしかない主イエス・キリストの十字架の死に神様の救いのみ業を見て、この主イエスを信じ、依り頼み、主イエスと共に生きる志を与えられるのは、神様の力、聖霊の働きによることなのです。私たちの伝道の根本は、この神様の力、聖霊の働きを祈り求めることにこそあるのです。
人の知恵と神の力
5節にはこうあります「それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」。この訳では、私たちがどのようにして信じるようになるか、ということが問題にされているように感じられますが、ここは口語訳聖書ではこうなっていました。「それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった」。こちらの方が原文のニュアンスをよく伝えています。つまり、原文において語られているのは、どのようにして信じるようになったかではなくて、どういう信仰を持つか、つまり言い替えれば、信仰において何を知って生きるか、ということなのです。「あなたがたの信仰が、人の知恵におけるものではなく、神の力におけるものとなるために」というのが直訳です。信仰において、人の知恵ではなく、神の力をこそ知って生きる者となる、パウロはコリントの人々がそのようになるために、「十字架につけられたキリスト以外何も知るまい」と決意したのです。私たちの信仰も、人の知恵におけるものではなく、神の力におけるものとならなければなりません。主イエス・キリストの十字架の死と復活において私たちに注がれている神様の力を知って生きる者となるために、私たちは、力を捨て、自らのプライドを主イエスによって常に打ち砕いていただきながら、その衰弱と恐れと不安の中にこそ与えられる真実の喜びと平安と希望に生かされていくのです。