創立記念

喜びを分かち合う教会

「喜びを分かち合う教会」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書: 詩編 第111編1-10節
・ 新約聖書: 使徒言行録 第2章43-47節
・ 讃美歌: 205、386、509

ヘボン
 今日は、この横浜指路教会の創立を記念する礼拝を、大人と子供がいっしょに守っています。創立記念というのは、要するに教会のお誕生日のお祝いということです。指路教会のお誕生日は、9月13日です。つまり昨日ですね。昨日のお誕生日を記念して、いちばん近い日曜日である今日、礼拝をしているのです。
 指路教会が生まれたのは、今から134年前の1874年、明治7年です。場所はここではありません。山下公園の近く、「人形の家」の裏ぐらいのところに、そのころ、ヘボンさんというアメリカ人のお医者さんがいました。ヘボンさんはそこで病院を開いて、病気の人たちの治療をしていたのです。その診療所の中で日曜日の礼拝が行われていました。このヘボンさんのもとには、何人かの日本人の若者たちが英語や聖書を勉強するために集まっていました。この人たちが洗礼を受けて、明治7年の9月13日に教会が生まれたのです。ヘボンという名前は、皆さんぜひ覚えておいて下さい。本当はヘップバーンという名前なのですが、その頃の人たちには「ヘボン」と聞こえたし、そう呼ばれて親しまれたのです。来年は、横浜開港150年の記念の年ですが、横浜の港が開かれて、外国との行き来が始まったその年に、ヘボンは日本に来ました。ですから来年はヘボンが日本に来て150年の記念の年です。私たちの教会では来年そのことを記念する行事を行おうと計画を始めています。ヘボンは何のために日本に来たのでしょうか。ヘボンは牧師さんではなくて、さっき言ったようにお医者さんです。でも日本に来たのは、病気の人を治療することを通して、日本の人々に、イエス様のことを伝えるためでした。ヘボンが来た150年前はまだ江戸時代です。イエス様を信じる教え、キリスト教は禁止されていました。日本人がイエス様を信じていることが分かると、捕まえられて殺されてしまうような時代だったのです。そんな日本にやって来て、お金を取らずに病気の治療をしながら、ヘボンは日本語を勉強していきました。そして日本語と英語をつなぐ最初の辞書を造りました。日本語を英語のアルファベットで書き表すために「ヘボン式ローマ字」を考えました。そして聖書を日本語に訳すことを、仲間の人たちの中心となってしていきました。そういう働きを通して、日本人にもイエス様のことを伝えていったのです。そういう働きが次第に実を結んでいって、ヘボンが来てから16年目に、この教会が生まれたのです。

キリスト教学校
 指路教会が誕生したのとほぼ同じころに、横浜にはいくつかのキリスト教による学校も生まれました。フェリス女学院とか、横浜共立学園です。その後横浜のみでなく日本各地に、キリスト教学校が誕生していきました。教会学校の生徒の皆さんの中には、キリスト教の学校や幼稚園に通っている人がいるでしょう。この礼拝に集まっている大人の人たちの中にも、キリスト教の学校を卒業したり、勤めていたりする方々が大勢おられます。みんな、皆さんの先輩たちです。この横浜は、日本のキリスト教、正確にはプロテスタントのキリスト教の教会や学校が初めて出来た所の一つなのです。

教会の誕生
 日本の教会やキリスト教学校はそのように、一番古いものがおよそ130年ぐらい前に誕生しました。130年前というとずいぶん昔だなと思いますが、でも、イエス様を信じる人たちの集まりである教会は、もっとずっと昔からあったのです。この指路教会の誕生日は9月13日ですが、教会の誕生日は、私たちが毎年5月ごろにお祝いをしているペンテコステの日です。それは何年前のことなのか、正確には分かりません。でもおおよそそれは紀元30年頃のことです。今年は紀元2008年ですから、1970年と少し前ということになります。指路教会は今年で134歳ですが、イエス様の教会全体は1970歳を越えているのです。

最初の教会の様子
 その1970年前の最初の教会の様子が、先ほど読まれた使徒言行録の第2章に語られています。その46節から47節にかけてこのようにありました。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので」。これは、教会の人たちがみんなで集まって神様を礼拝していたということです。「神殿」とあるのはエルサレムの神殿です。教会はエルサレムで生まれました。旧約聖書の神様を礼拝するための神殿がそこにありました。生まれたばかりの教会の人たちも、そこで神様を礼拝していたのです。でもその神殿の礼拝だけではなくて、「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」とあります。これは、イエス様を信じた人たちだけがいくつかの家に集まってやはり礼拝をしていたということです。エルサレムの神殿は、ユダヤ人たちみんなが神様を礼拝する所です。でもイエス様の教会は、旧約聖書の神様が、その独り子であるイエス様を救い主として遣わして下さって、イエス様が十字架にかかって死んで下さったことによって、そして父なる神様がイエス様を復活させて下さったことによって神様の救いのみ業が成し遂げられたと信じているのです。そのことを覚えて感謝し、喜ぶために、神殿の礼拝とは別に、イエス様を信じる人たちが集まって礼拝をしていったのです。この礼拝が、今私たちがしている教会の礼拝につながっているものです。その中では「パンを裂き」「一緒に食事をし」ということが行われていました。これは、ただ食事を一緒に食べたというのではなくて、イエス様が十字架にかかって死んで下さったそのお体と、そこで流された血を覚えて、パンとぶどう酒をいただくという、今は聖餐と呼ばれていることのもとになっているものです。今日の礼拝の中でも、この後聖餐が行われます。イエス様を救い主と信じる信仰を言い表して洗礼を受けた人たちが、小さなパンとぶどう液の杯をいただくのです。これも、私たちが神様を礼拝し、神様の独り子であるイエス様の十字架による救いにあずかるために行われる大事なことです。この聖餐を中心として、礼拝ではイエス様による神様の救いを告げる説教が語られています。そしてイエス様を信じる信仰が告白され、神様を賛美する歌が歌われます。教会はそういう礼拝をおよそ二千年後の今も続けているのです。
 皆さんちょっと考えてみてください。二千年の間、基本的に変わらずにずっと行われていることって、他にいったいどれだけあるでしょう。例えば指路教会が生まれた134年前の明治の始め頃に行われていたことで、今も変わらずに行われていることがどれだけあるでしょう。人々の生活の様子は、百年もすれば大きく変わっていくのです。でもその中で、二千年にわたってずっと続けられてきたのが、教会の礼拝なのです。

喜び
 教会の礼拝はどうしてそんなに長い間、変わらずに続けられてきたのでしょうか。その秘密を一言で言ってしまえば、そこで喜びが分かち合われてきたからです。「喜びと真心をもって一緒に食事をし」とありました。礼拝は、喜びの時なのです。神様のみ言葉によって、神様が独り子のイエス様を与えて下さるほどに私たちを愛して下さっているという喜びが告げられ、その救いの恵みの印であるパンと杯をいただいて、私たちは喜びに満たされるのです。一週間の生活にはいろいろとつらいこと、苦しいこと、悲しいことがあります。心配なこと、不安なことがあります。いろいろな重たい荷物を私たちは背負って日々歩んでいます。でもこの礼拝において、神様からの恵みのみ言葉をいただいて、またその印である聖餐をいただいて、私たちは、自分の中にはない、自分の力では作り出すことのできない喜びを神様から与えられるのです。その喜びに満たされて、新しい一週間を歩み出すのです。その繰り返しが私たちの信仰の生活です。そのようにして二千年の間、教会は、イエス様を信じて教会に連なる人々は、歩み続けてきたのです。この喜びこそ、教会の礼拝がずっと変わらずに続けられてきた秘密です。

喜びを分かち合う
 この喜びを礼拝でいただいた人々は、その喜びをお互いの間で分かち合っていきました。44節から45節にかけて「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」と書かれているのはそのことです。財産や持ち物を分け合ったとありますが、それは、そういう規則になっていたから皆が仕方なくそうしたという話ではなくて、全く自発的な、つまり喜びの現れとして起ってきたことです。イエス様によって与えられた神様の救いの恵みを喜び、感謝する人々は、その喜びを他の人々と分かち合おうとします。その時に、自然に、自分の持っているものを自分のためだけにではなくて、人のために使おうということが起るのです。困っている人、苦しんでいる人を支え助けようという行動が起るのです。そういうことによって、一緒に礼拝をしている皆が支えられ、守られて、喜びを分かち合っていったのです。47節には「民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」とあります。教会は周囲の人々から好意を寄せられていた、良く思われていたのです。それは、喜びを分かち合い、互いに支え合い助け合っている群れだったからでしょう。そのようにして、新しく教会に加わろうとする人々が日々出てきて、教会は発展していったのです。

不思議な業としるし
 最初の43節には、「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである」とあります。「不思議な業としるし」というのは奇跡のことですが、それはマジックや超能力のようなことが行われたというのではなくて、人々がイエス様による神様の救いの恵みを喜び、神様の愛に生かされ、その喜びを分かち合っていくところに、人間の力ではとうてい出来ないような、常識では考えられないような不思議なことが起るということでしょう。教会の歴史はそういう不思議な業としるしに満ちています。例えば、ヘボンが44歳で日本に来て、77歳でアメリカに帰るまでの33年間、日本の人々のために働いてくれた、そのことが「不思議な業としるし」だと言えます。ヘボンは、イエス様による救いの喜びを知っていました。その喜びをまだ知らない日本の人々と分かち合うためにはるばる来たのです。神様はこのヘボンの志と献身を用いて下さって、豊かな実りを与えて下さいました。その実りの一つが、イエス様による救いの喜びを分かち合う群れであるこの指路教会の誕生です。その教会が、134年後の今も、同じ喜びによって生きています。私たちも、毎週の主の日の礼拝で、神様の愛を、イエス様による救いの喜びを告げ知らされ、その喜びを互いに分かち合い、支え合いながら、そしてその喜びをまだ知らない人々とも分かち合おうとして伝道に励んでいるのです。そのようにして私たち一人一人が、この教会の歴史を、さらにはイエス様の教会の二千年に及ぶ歴史を、担い、前進させていくために、神様によって今用いられているのです。ヘボンと私たちを、またこの教会の歴史を担ってきた多くの先輩たちと私たちを、そしてキリスト教会の二千年の、世界中に展開されている歴史において用いられている全ての人々と私たちを結び付けているのは、イエス様による救いの喜びです。神様から与えられる喜びによって、教会にはすばらしい不思議な業としるしが、これまでにも行われて来たし、これからも、私たち一人一人を通して行われていくのです。それをして下さるのはイエス様の父である神様です。その神様の恵みの力に信頼して、み言葉を聞き、信仰を告白し、賛美を歌い、祈る礼拝をささげていきたいと思います。

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