主日礼拝

命の言葉

「命の言葉」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 申命記、第18章 15節-22節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第7章17節-43節
・ 讃美歌 ; 99、183、492

 
ステファノの説教
 今私たちは使徒言行録第7章において、キリスト教会最初の殉教者となったステファノが、ユダヤ人たちの最高法院において裁きを受けている場面を読み進めています。ステファノは、6章8節にあったように、恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを行なって、主イエスこそ神様が遣わして下さった救い主であると証しをし、伝道したのです。そのことにいらだったユダヤ人たちは、6章11節にあったように、彼を、「モーセと神を冒涜している」者として訴え、捕えて最高法院にひっぱって行ったのです。7章のほぼ全部が、この裁判におけるステファノの弁明の演説となっています。大変長いこの演説を、三回に分けて読んでいこうと思っています。本日はその二回目、17節から43節までのところです。
 弁明の演説と申しましたが、ステファノがここで語っているのは、自分の無罪を主張し、死刑を免れるための弁明とは違います。むしろ彼は、彼を捕え、裁いている、大祭司を始めとするユダヤ人の指導者たちこそ、神様の民イスラエルの本来の姿を失い、間違った信仰に陥っている、ということを、大変強い調子で語り、聖書に基づいてそれを論証しようとしているのです。ですからこれは自分のための弁明と言うよりも、神様のみ言葉を告げる説教です。その説教を語り、み言葉を告げた結果として、ステファノは石で撃ち殺され、最初の殉教者となっていったのです。

イスラエルの民の歴史
 前回も申しましたように、ステファノがこの説教において語っているのは、イスラエルの民の歴史です。前回読んだ16節までのところには、イスラエルの最初の先祖アブラハムのことから始まり、ヨセフの時代に彼らがエジプトに移住したことまでが語られていました。そこにおけるポイントは、イスラエルの民の歴史とは、神様の約束のみ言葉を受けて、ただその約束のみを頼りに旅立ち、神様の導きに身を委ねて歩んでいく歴史なのだ、ということでした。イスラエルを神の民たらしめているのは、神様の約束なのであって、それ以外のもの、例えば律法を守り行なうことや神殿での犠牲に拠り所を求め、そこに神の民であることの目に見える印を得ようとするのは間違いだ、と語ったのです。「モーセと神を冒頭する」とは言い換えれば、モーセによって与えられた律法をないがしろにし、神様の住まいである神殿を汚す、ということです。それに対してステファノは、モーセ以前の、律法も神殿もまだなかった時代のイスラエルの歴史を語ることによって、イスラエルを神様の民としているのは律法でも神殿でもなく、神様の約束を信じる信仰なのだ、ということを明らかにしたのです。  本日の箇所、17節以下に語られていくのは、そのモーセのことです。ヨセフの時代にエジプトに移住したイスラエルの民が、時が流れ時代が変わっていく中で、次第に奴隷とされ虐待されるようになった、その苦しみから彼らを救い出し、エジプトからの解放の恵みを与えるために神様がお立てになったのがモーセでした。モーセを冒涜している、との嫌疑をかけられたステファノが、モーセのことをどのように理解しているのか、がここに語られているのです。

モーセの生涯
 ステファノは先ずモーセの生涯を振り返って語っていくのですが、そこには、当時のユダヤ人の間での、モーセの生涯を40年ごとに三つに区切る、という考え方がベースになっています。モーセの生涯は120年であったと申命記にありますが、それを40年ずつ三つの時期に分けるのです。第一の時期は、誕生から40歳までです。それが20節から22節までに語られています。イスラエルの民に男の子が生まれたらナイル川に投げ込めとのエジプト王ファラオの命令の下に生まれたモーセは、三か月間匿われていましたが、ついに隠し切れなくなって捨てられたのを、エジプトの王女に拾われ、王女の子として、エジプト人の最高の教育を受けて育ったのです。
 第二の時期は、40歳からの40年間で、23節から29節までです。40歳になった時、モーセは自分の同胞であり、奴隷として苦しめられているイスラエルの人々を救おうと決意し、イスラエル人を虐待していたエジプト人を殺したのです。次の日、今度はイスラエル人どうしが喧嘩をしているところに通り掛かったモーセは、仲裁に入りました。すると仲間を痛めつけていた男は彼を突き飛ばし、「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」と言ったのです。この言葉によって、モーセの心に起っていた同胞を救おうという思いはみるみる萎んでしまいました。そして今度は、エジプト人を殺したかどで捕えられることへの恐れにかられて逃げ出し、ミディアン地方に逃れてそこで40年を過ごしたのです。これは、彼が自分の決意と情熱によって、同胞の救いのために働こうとしたけれども、同胞によって受け入れられずに挫折した、ということです。この挫折のショックによって彼は、40年間、同胞たちから離れ、エジプトからも逃れて、異国で暮らしたのです。その間に結婚もし、二人の子供をもうけました。つまり彼はこの期間、同胞の苦しみから目を背けて、自分と家族とのプライベートな生活の中に引きこもっていたのです。
 第三の時期は30節以下です。40歳から40年たって、80歳になった時、シナイ山近くの荒れ野で、燃える柴の炎の中で、天使が彼に現れ、主なる神様のみ声が聞こえました。主は「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と語りかけられました。つまり、前回のところで、アブラハムに約束を与え、彼の旅路を導き、またエジプトに奴隷として売られたヨセフと共にいて彼を大臣にまで引き上げ、イスラエルの民がエジプトに逃れて生き延びる道を開いて下さった主なる神様が、今、モーセに現れたのです。この主なる神が、今奴隷として苦しめられているイスラエルの民を救うためにモーセを遣わそうとしておられます。34節「わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」。主なる神様のこのみ心によって立てられ、遣わされていったのがモーセの人生の第三の時期、80歳からの40年間なのです。この第三の時期にモーセは出エジプトの指導者として目覚ましい活躍をしたのですが、面白いことにこのステファノの説教において、そのことについては、36節に、「この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました」と語られているのみです。モーセが神様によって立てられるところまでは随分詳しく語られているのに、その後の活躍は簡単に済まされているのです。そうするとステファノはこのモーセの生涯の回顧において何を見つめ、語ろうとしたのでしょうか。そのことは35節に示されています。「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです」。ここに「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセ」とあります。これは先程の第二の時期に語られていたことです。ステファノはモーセの生涯の第二の時期と第三の時期とを見比べて、そこに大切な意味を見出しているのです。第二の時期のことをまとめているのは25節です。「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」。これと35節の「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです」とが対比されているのです。この対比のポイントは、25節の「自分の手を通して」と、35節の「神は柴の中に現れた天使の手を通して」です。ここに、ステファノがモーセの生涯において何を中心的に見つめているかが示されています。それは、モーセが出エジプトの指導者となったのは、自分の手を通してではなかった、ということです。自分の手、自分の情熱、力、決心によってそれをしようとした時には、彼は挫折したのです。同胞に受け入れられず、ほうほうの体で逃げ出すしかなかったのです。そのような彼を立て、イスラエルの民の指導者また解放者としてお立てになったのは主なる神様ご自身でした。神様のみ手によってこそ、モーセは立てられ、遣わされて、あのような素晴らしい働きをすることができたのです。ステファノが語ろうとしているのはこのことです。出エジプトの指導者モーセの素晴らしい働きは、自分の力によることではなく、彼を立て、お遣わしになった神様のみ力によることなのだ。それゆえに、モーセを敬い、モーセの教えに従って歩むとは、自分の力や決意によって、言い換えれば律法を守り行なうという自分の正しさによって立つことでない。自分の力による歩みにおいては挫折せずにはおれない私たちを、主なる神様が恵みのみ心によって立て、用いて下さる、そこにこそ、神の民としての歩みがあるのだ、と彼は言っているのです。

命の言葉
 38節には、このモーセがイスラエルの民と神様との間に立って果たした役割が語られています。「この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです」。モーセは神様とイスラエルの民との間に立って、命の言葉を受け、それを伝えたのです。神様とその民との仲立ちをする、それがモーセの果たした役割でした。それは具体的には「命の言葉」を神様から受け、それを人々に伝えることでした。このようにしてモーセが民に伝えた「命の言葉」、それが、十戒を中心とする律法だったのです。ここには、モーセを通してイスラエルの民に与えられた律法とはどのようなものだったのか、が語られています。それは、神様からの「命の言葉」だったのです。そこには二つの意味が込められていると言えるでしょう。「言葉」とは、語りかけです。律法は、神様のみ言葉、神様からの語りかけである、というのが第一の意味です。語りかけであるということは、単なる掟、規則ではないということです。律法は、神の民が守らなければならない規則として与えられたのではなく、神様からの語りかけとして、言い換えれば神様がご自分の民と交わりを持ち、コミュニケーションを結んで下さる、そのために与えられたのです。律法を行なうとは、規則を守ることではなく、神様からの語りかけに応えて生きること、私たちの側からも神様との交わりを持ち、コミュニケーションに生きることなのです。第二の意味は「命の」ということです。「命の言葉」とは、私たちを本当に生かす言葉ということです。神様が与えて下さった律法は、神様の民を生かす言葉なのです。律法を与えられて生きることは、規則に縛られて不自由な、窒息しそうな生活をすることではなくて、神様の恵みによって日々の具体的な生活を導かれ、生き生きと生かされることなのです。

偶像崇拝
 このような「命の言葉」としての律法を伝えるという仲立ちの働きをモーセは与えられました。しかし今、ユダヤ人やその指導者たちは、、モーセの律法を神の絶対の掟として位置づけ、それを守り行なうことが神の民の印だと主張しています。それはモーセとその与えた律法の正しい理解だろうか、とステファノは問うています。律法を神の民の目に見える印としてしまうことは、モーセに本当に聞き従うことではないのです。それはむしろ、イスラエルの先祖たちが、モーセに聞き従わずに雄牛の像を造ってそれを拝んだのと同じことなのです。そのことが39節以下に語られていきます。モーセが十戒を授かるためにシナイ山に登っている間に、麓にいた民は不安になり、アロンに、「わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです」と言いました。それでアロンは、若い雄牛の像を造りました。これは、自分たちを救い、導いてくれる神様を、目に見える形として持っていたい、という思いから出たことです。モーセを通して与えられた命の言葉のみに依り頼み、主なる神様に信頼して生きることができず、目に見える依り所を求めたのです。42節以下には、イスラエルの民が荒れ野の旅路においていろいろな偶像を拝んだことが語られています。天の星々を拝んだり、モレクの神輿やライファンの星を担ぎ回る、それらは全て、目に見える神々を自分たちで持って、それを担ぐことによって救いを実感したい、ということです。そしてそれは、今イスラエルの民が律法を守り、神殿での礼拝を行なうことに神の民としての印を見て、それに依り頼んでいるのと、本質的には同じことなのです。まことのイスラエルとは、アブラハム以来、神様の約束のみ言葉、命の言葉のみによって旅立ち、その導きに身を委ねて歩む者です。モーセもそのように歩んだのです。律法と神殿とを目に見える印としてしまうのはそこからの堕落だ、とステファノは言っているのです。

モーセのような預言者
 ステファノはこのように、今のイスラエルの人々がモーセを正しく尊重していない、と言っているわけですが、それと並んで37節には、モーセが語った一つの預言が記されています。「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる』」。これは本日共に読まれた旧約聖書の箇所、申命記第18章15節にある言葉です。神様があなたがたの兄弟の中から、あなたがたのために、一人の預言者をお立てになるのです。しかもそれは「わたしのような預言者」です。モーセのような預言者が神様によって立てられ、遣わされる。「モーセのよう」ということは、イスラエルの民の指導者また解放者であり、神様と民との間に立って仲立ちをし、命の言葉を伝えてくれる、ということです。そのような預言者がイスラエルに現れる、それは言うもでもなく、主イエス・キリストのことです。主イエスは、神様の民を罪と死の支配から解放して下さる救い主です。そして神様と民との間に立って、仲立ち、執り成しをして下さる方です。そして命の言葉、私たちを本当に生かす恵みのみ言葉を語り伝えて下さる、いや正確には、主イエスご自身が神様の生けるみ言葉、神様からの語りかけであり、私たちを本当に生かすみ言葉であられるのです。モーセは、自分のような預言者主イエス・キリストの到来をこのように預言したのです。モーセと主イエスの共通点はまだあります。モーセが人々から「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか」と拒絶されたように、主イエスも、人々に拒絶され、十字架にかけられて殺されたのです。しかし主なる神様がそのモーセを立て、出エジプトの指導者としてお用いになったように、主イエスは父なる神様によって復活させられ、私たちの救い主として立てられました。「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」の「立てられる」という言葉は、復活させる、という意味でもあります。神様は主イエスを復活させて、私たちの救い主として立てて下さったのです。
 ステファノはこのように、モーセを語ることによって、そこに主イエス・キリストのお姿を見ています。モーセは主イエスを指し示している預言者なのです。モーセの生涯を見つめるときに、そこに主イエス・キリストのお姿が浮かび上がってくるのです。モーセを知ることによって、主イエス・キリストのことがよりよく分かってくるのです。モーセを正しく受け止め、尊重するとはそういうことだとステファノは語っているのです。主イエス・キリストを救い主として信じる教会は、従ってモーセを冒涜したりないがしろにしているのではありません。むしろ、モーセを本当に尊重し、その伝えた命の言葉によって生きている、まことのイスラエルが教会なのです。

荒れ野の集会
 まことのイスラエル、真実の神の民とは、モーセを通して、そして主イエス・キリストにおいて与えられた命の言葉、み言葉によって生きる民です。前回のところでは、神様の約束によって生きる民がまことのイスラエルであると申しました。それは言い換えれば、神様のみ言葉によって生きるということです。そしてそれはいずれにしても、主イエス・キリストによって生きるということです。主イエス・キリストによって神様は私たちに、新しい約束のみ言葉を与え、私たちと新しい契約を結んで下さいました。それは私たちが自分の手、自分の情熱、力、決心によって何事かを成し遂げたからではないし、掟を守って正しい者として生きているからでもありません。そのようなことにおいては挫折するしかない私たちを、神様が、主イエスの十字架と復活によって、赦して下さり、新しい命、永遠の命に生きる神の民として下さるのです。この約束のみ言葉こそ、私たちを本当に生かす命の言葉です。私たちはこの命の言葉を聞きながら、このみ言葉に支えられて、荒れ野のようなこの世を旅していくのです。モーセは荒れ野の集会において、命の言葉を伝えたと38節は語っています。この「集会」という言葉は、「エクレーシア」、即ち「教会」という言葉でもあります。まことのイスラエルは、律法や神殿によってではなく、主イエス・キリストにおいて与えられる命の言葉を聞く集会において成り立つのです。即ち、教会こそがまことの神の民であり、私たちは教会の礼拝において、命のみ言葉によって生かされつつ、荒れ野のようなこの世界を、神様の約束のみ言葉を信じて旅していくのです。

真実の確かさ
 イスラエルの民は、モーセを退け、偶像を造ってそれを拝みました。それは、神様のみ言葉、命の言葉に信頼するのでなく、目に見える何かに依り頼もうとした、ということです。自分の中に、安心できる確かさ、拠り所を持とうとしたのです。私たちも同じようなことをしてしまうことがあります。具体的な偶像を造ってそれを拝むということはなくても、ステファノを裁いているユダヤ人たちが律法を守ることや神殿での礼拝を神の民の印としてそれに依り頼んだのと同じ間違いに、私たちも陥ってしまうのです。39節には、そのような偶像を求める思いは、「エジプトをなつかしく思う」ことだと言われています。エジプトでの奴隷状態をむしろなつかしく思う、ということが起るのです。何故ならば、そこから解放され、神様の民としての自由に生きることは、自分の力や業によらず、ただ約束のみ言葉のみを信じ、命のみ言葉のみに依り頼み、自分の中には何の拠り所も、確かさも、安心感も持たずに生きることだからです。主イエス・キリストを信じてその救いにあずかって生きることもそれと同じです。それはある意味ではまことに不確かな、自分の中に保証や安心を持たないで生きていくことです。けれども、そこにこそ、本当に私たちを生かす命の言葉があるのです。独り子の十字架の死によって私たちの罪を赦して下さり、その復活によって新しい命、永遠の命を約束して下さっている神様の民とされて、その下で生きることは、私たちが自分の中にどのような確かさ、拠り所、安心感を持って生きるにも勝る、本当の確かさ、平安、慰めがあるのです。ステファノはこの本当の確かさ、平安、慰めを与えられて歩み、そして殉教の死をとげました。この確かさ、平安、慰めは、殉教の死においても彼を支え続けたのです。

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