主日礼拝

この名によらなければ

「この名によらなければ」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 詩編、第118篇 1節-29節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第4章 1節-22節

 
教会の誕生日
 先週私たちは、ペンテコステ、聖霊降臨日を共に祝いました。ペンテコステは、弟子たちに聖霊が降り、教会が生まれた日、つまり教会の誕生日である、ということを先週の説教においても申しました。しかしこの日がどういう意味で教会の誕生日なのか、ということは、もう少しよく考えておく必要があります。誕生日ということは、それより前には教会はなかったということになりますが、ある意味では、教会はそれ以前にも既にあったのです。そもそも聖霊が降ったのは、共に集まって祈っていた弟子たちにでした。主イエスの弟子たちの群れ、集まりが既にあったわけです。主イエスが捕えられ、十字架につけられた時、弟子たちは皆主イエスを見捨てて逃げ去ってしまいました。しかし復活された主イエスは、その弟子たちにご自身を現わし、彼らを再びご自分のもとに集めて下さったのです。復活した主イエスのもとに、罪を赦されて再び集められ、主イエスを拝み礼拝する群れが生まれました。そこに既に教会があったと言うこともできるでしょう。そしてさらに言えば、教会とは神様に呼び集められた神の民の群れです。そういう意味では、教会は主イエス・キリストの誕生以前から既にあったとも言えます。神様の民イスラエルが、旧約聖書の時代における教会です。キリスト教会は、そのイスラエルの歴史を受け継ぎつつ、主イエス・キリストのもとに結集された新しいイスラエルなのです。そこまで考えれば、教会の歴史はむしろイスラエルの最初の先祖アブラハムから始まるとも言えるのです。それにもかかわらず、ペンテコステはやはり教会の誕生日です。それは何に注目してのことかと言えば、主イエスのもとに集められていた弟子たちが、この日から、主イエスにおける神様の大いなる救いのみ業を、力強く宣べ伝え始めたということです。つまり、伝道が始まったのです。そこに、ペンテコステを教会の誕生日とすることの意味があります。神様の民ならば、主イエスの弟子の群れならば、既にあったのです。しかし聖霊の力が注がれて、力強い伝道が開始されたのは、このペンテコステからだったのです。教会の誕生とは伝道の開始だったのです。

大胆な伝道
 本日ご一緒に読む使徒言行録第4章1節以下にも、ペンテコステにおいて始まった教会の力強い伝道の有り様が語られています。その中心にいるのはペトロとヨハネです。彼らは、エルサレムの神殿の門前で、生まれつき足の不自由だった一人の男を癒しました。そしてこの癒しの奇跡に驚いて集まってきた人々に、神殿の境内で、先週の礼拝で読んだ力強い説教を語りました。本日の4章の4節には、彼らの伝道によって多くの人々が信じ、「男の数が五千人ほどになった」とあります。この数字が正確なのかどうかは分かりません。本当はこの十分の一ぐらいだったのではないか、と考える学者もいます。しかし正確な数はともかく、ペトロとヨハネの伝道によって多くの人々が主イエス・キリストを救い主と信じたことは確かです。そして本日の箇所には、そのことによって彼らが、神殿を管理していた人々、さらにはユダヤ人の指導者たちに捕えられ、尋問を受けたことが語られています。教会に対する最初の妨害が起こってきたのです。そのことは裏を返せば、教会が、主イエスを信じる者たちの群れがそれだけ目立つ、力を持った存在として意識され始めたということです。ペンテコステの出来事からまだそれほど日が経ってはいないのに、こういう妨害にあうほどに教会は成長してきたのです。そして、この妨害、これはまだ「迫害」と呼べる程のものではありませんが、このことによって、教会は元気を失い、伝道の力をそがれてしまったのかというと、全く逆で、むしろこのことを通してますます力強く大胆にみ言葉を語るようになり、信仰者の共同体がますます大きく充実したものへと育っていったことがこの第4章に語られているのです。それはどうしてなのか、妨害に負けずに力強く伝道がなされていった秘密は何なのか、ということを、本日はご一緒に見ていきたいと思います。

巧みな演説
 逮捕され、一晩監禁されたペトロとヨハネは、翌日、「議員、長老、律法学者」たちの前に引き出されました。これは「サンヘドリン」と呼ばれていたユダヤ人の議会です。主イエスを有罪とし、ローマの総督ピラトに引き渡すことを決めたのもこの議会でした。ユダヤ人の間での最高の権威の前に彼らは立たされたのです。しかしペトロは全く動じることがありません。8節以下の彼の言葉は、まことに大胆な、力強いものです。13節には、議員たちが彼らの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚いたとあります。ペトロもヨハネも、もとはガリラヤの湖の漁師です。特に学問をしたわけでもない、家柄の良い人々との交わりがあったわけでもない、ごく普通の庶民なのです。しかしユダヤの最高権威の人々の前で、堂々と信仰の主張をし、また巧みな演説を展開しているのです。
 巧みな演説と申しました。その巧みさは9節に現れています。「今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば」と彼は言っています。議会が彼らに問うたのは、7節にあるように、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」ということでした。「ああいうこと」とは、生まれつき足の不自由だった人を癒したことです。それ自体は何も悪いことではない、むしろすばらしいことです。そのことをペトロは先ずはっきりさせているのです。わたしたちがしたのは、「病人に対する善い行い」だ、それ以外の何物でもない、そのことによってこのように取り調べを受けているのだ、というわけです。
 ペトロがこのように、自分たちが今何によってこのように取り調べを受けているのかをはっきりさせようとしていることにはさらに理由があります。そもそも前の日に、彼らが逮捕されたのは、1、2節にあったように、「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」が、ペトロらが「イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えている」ことにいらだったからでした。つまり逮捕された時の理由は癒しの業ではなかったのです。主イエスの復活を宣べ伝えたことが問題だったのです。それが何故問題だったかは、ここに「サドカイ派」の人々が出てくることと関係があります。サドカイ派については、新共同訳聖書の付録の「用語解説」に簡単な説明があります。彼らは神殿の祭司を中心とする上流階級の人々であり、その教えにおいては、霊や天使や復活を否定していたのです。この点で彼らはもう一つの党派であるファリサイ派と対立していました。ファリサイ派は霊や天使や復活を肯定し、信じていたのです。この両者の違いは、一つにはサドカイ派が上流階級の、教養ある人々を中心としていたのに対して、ファリサイ派が民衆の中で、一般の人々の生活を律法によって教え導こうとしていたことによるものだと言えるでしょう。霊や天使や復活を信じることは、教養ある人々には当時でも受けが良くなかったのです。逆に一般民衆の中には、それらを信じ、特に体の復活に将来の希望を見出そうとする思いがありました。ファリサイ派はそういう思いを受け止めて信仰の中に位置づけていたのです。当時のユダヤ人たちの間に、そういう信仰上の相違、対立がありました。その中でペトロらが主イエスの復活を宣べ伝えていった時に、それはファリサイ派の教えの一派であるように思われたのです。神殿で祭司を中心とするサドカイ派の人々がいらだって彼らを逮捕したのはそういう事情によることでした。しかし今彼らが引き出されている議会は、今度はファリサイ派の人々が多数を占めています。「律法学者たち」とあるのはファリサイ派のことです。だからその議会としては、死者の復活を宣べ伝えたことで彼らを尋問するつもりはないわけです。むしろ問題にされたのは、癒しの業を何の権威、誰の名によってしたのか、ということでした。このように、逮捕の理由と取り調べられていることが食い違っています。ペトロはそのことを暗に指摘しているのです。つまり、「今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば」という言い方には、「昨日捕えられた理由は死者の復活を語ったことだったはずだが、しかし今日の取り調べでは別のことが問われている、これはいったいどうしたことか」というニュアンスがあるのです。

主イエスの十字架と復活
 ペトロはこのようにまことに冷静に、自分たちを逮捕し、取り調べている人々の姿を観察しています。そして、「何の権威によって、誰の名によってあのような癒しを行なったのか」と問われることは彼にとってはむしろ大歓迎です。ここぞとばかりに、彼は主イエス・キリストのことを語っていくのです。10~11節、「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」。生まれつき足の不自由だったこの人が癒されたのは、ナザレの人イエス・キリストの名によってである。そのイエスは、あなたがた、つまりユダヤ人の指導者たちが十字架につけて殺してしまったが、しかし神様が死者の中から復活させられた方である。そのことは、詩編118編22節に語られていたことの実現だった。家を建てる者、建築の専門家であるはずのあなたがたが、こんな石は役に立たない、いらないと捨ててしまった石であるイエス・キリストが、隅の親石となった。隅の親石というのは、石を積んで建物を建て上げていく中で、アーチのてっぺんに置かれ、それによってアーチが全体の重さをしっかり支えることができるようになる石のことだと思われます。つまり、てっぺんにあって、しかも全体を支えている肝心要の石です。あなたがたが十字架につけて殺した主イエスを、神様はそのような救いの要としてお立てになり、そのみ名によって、生まれつき立つことも歩くこともできなかった人が癒されたのです。ペトロはここでも、十字架につけられ、神が死者の中から復活させられた主イエス・キリストのことを語っています。ペンテコステの日の最初の説教においても、先週読んだ神殿の境内での説教においてもそうでした。本日のところは、逮捕され尋問を受けているのですが、その場においても全く同じように、あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は復活させ、救い主としてお立てになったのだと宣言しているのです。ここに、教会が何を宣べ伝えるのか、何を伝道するのかが示されています。教会が宣べ伝えることは、つきつめて言えば、主イエス・キリストの十字架と復活のみです。主イエスの十字架において、私たち人間の深い罪が露わになり、その罪を背負って主イエスが苦しみを受け、死んで下さったことが示されています。そしてキリストの復活に、人間の罪と死の力を打ち破る神様の救いの恵みの勝利と、私たち自身の復活への希望、肉体の死の彼方にある救いの恵みが示されているのです。

信仰の確信
 私たちは、主イエスの十字架と復活を宣べ伝えます。それが伝道です。けれどもそれは、主イエスの十字架と復活によって神様の救いが実現した、という一つの知識、情報を伝えることとは違います。ペトロたちがここでしているのも、情報の伝達ではないのです。そのことを最もよく現わしているのが12節の言葉です。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。ここには、まことにはっきりとした信仰の確信が語られています。しかもそれは、ただ自分はこう信じる、という確信であるのみでなく、主イエス・キリストのみ名以外によっては救いは得られない、という断言を伴う確信です。他のものによっても、それなりにいろいろな救いが得られるけれども、その中でイエス・キリストによるならばこういう救いが得られますよ、というような話ではないのです。あれもあるがこれもある、という相対的な世界ではなく、救いはこのみ名によってのみ得られる、他のものによっては得られない、という絶対的な真理を語っているのです。

この名によらなければ
 このような言い方には、多くの人が反発を感じることでしょう。キリスト教はこういう言い方をするから嫌いだ、と言う世間の人は多いし、こういう考え方が戦争を生むのだ、という意見もよく聞かれます。このことはよく考えておかなければならない大事な問題です。先ず、ペトロがこのように断言した根拠は何なのか、ということを考えてみたいと思います。彼は、古今東西のあらゆる宗教、神として崇められているもの、救いを与えると考えられているものを調べ尽くす比較研究の結果、このような結論を得たのでしょうか。そうではありません。彼のこの断言は、比較の結果ではないのです。つまり彼がここで言っているのは、他の宗教と比べてキリストを信じる信仰はダントツに優れている、ということではないのです。それでは彼は何を根拠にこのような断言をするのか。それは、彼自身の救いの体験によることです。ここに至るまでのペトロの歩みを全て振り返って見る暇は今はありませんが、彼は主イエスに招かれ、最初の弟子となって共に歩んできました。この方こそ救い主であると信じて、従っていったのです。自分はキリストの一番弟子だ、主イエスの最も近くにいる者だ、という自負を持って生きてきたのでしょう。しかし主イエスは彼の期待に反して捕えられ、十字架につけられ、殺されてしまいました。彼はその時主イエスを見捨てて逃げ去り、さらには三度にわたって、そんな人は知らない、自分とは関係ない、と断言してしまったのです。主イエスを裏切ってしまったのです。ペトロがこのことによって体験したのは、ただ自分の弱さを知ったということではありません。彼は、自分の信念や決意、信仰の確信に従って堂々と力強く、誰にも恥じることなく生きていこう、という歩みに徹底的に挫折したのです。この挫折からの回復は、「あの時は弱くて失敗してしまったが、今度は頑張ろう」などという反省によって得られるものではありません。そういう反省の思いも含めた自分の中にある何か、そういう自分の持っている何らかの力によっては、もう立ち上がることができなくなってしまったのです。そのペトロを再び立ち上がらせたのは、復活した主イエスとの出会いでした。ペトロの裏切りの罪、信仰の挫折、自分の信念に従って正しく生きることができない現実の全てを背負って十字架にかかって死んで下さった主イエスが、父なる神様によってその罪と死への勝利を与えられて復活し、彼と再び出会って下さり、全ての罪を赦して下さり、彼をもう一度、ご自分の弟子、その救いにあずかる者とし、彼の手を取って立ち上がらせて下さったのです。彼は主イエスの手助けを受けて自分の足の力で立ち上がったのではありません。生まれつき立つことも歩くこともできなかったあの男が、ただ主イエスのみ名によって立ち上がることができたように、彼もただ主イエス・キリストのみ名によってのみ、新しく生き始めることができたのです。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」という確信、断言は、この救いの体験から来ています。それは、自分の中にある何らかの力や正しさや立派さ、優れた資質、信仰心というものも含めて、そういうものによってではなく、十字架と復活の主イエス・キリストによってのみ生かされている、という彼の信仰の告白であり、宣言なのです。私たちも、ペトロに与えられたこの救いの体験を共にしており、それゆえにこのペトロの告白、宣言をも共にしているのです。
 それゆえに、この断言は、キリスト信者が、教会が、自分たちを絶対化し、他の信仰の人々をとんでもない迷信に捕われていると軽蔑したり、ましてや神の名によってその人々を攻撃することを許すようなものではありません。キリスト教会が、その歴史において、そういう誤ちを犯してきたことは事実です。それは、このペトロの断言によって起こったと言うよりも、このペトロの言葉の本当の意味を理解しなかったために起ったことです。この言葉が、自分たちを正統化し、他の人々を批判攻撃するために用いられてしまうとしたらそれは、自分たちの持っている何らかの確信や信念、あるいは文化や習慣を絶対化し、それによって救われると思い込んでいるということです。主イエス・キリストのみ名による以外には救いは得られないというこの断言はまさにそういうことを否定しているのです。

大胆に、力強く
 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」という断言は、それゆえに、「どの宗教がいいか」というような話ではなく、私たちが本当に立ち上がって歩くことができるのは何によってか、私たちの人生を本当に支え導くものは何か、ということなのです。その支えと導きが、私たちの中にある何か、私たちが自分のものとして獲得し主張する何かにあるのではなく、十字架にかかって死んで下さり、復活して下さった主イエス・キリストとの出会いと交わりにこそある、と信じることが聖書の教える信仰であり、自分の持っている何かに依り頼むことをやめてその信仰に生きる者となることが、悔い改めなのです。そして悔い改めてこの信仰に生きる時に、無学な普通の人であるペトロやヨハネが、ここに示されているようなまことに大胆な、また力強い歩みを、妨害の中にあってもすることができるようになるのです。議員たちも驚いた彼らの大胆さと力は、彼らの中にある力によるものではありません。自分の力や信念や信仰心により頼んでいた時には、ペトロにせよヨハネにせよ、身の危険が迫れば主イエスを見捨てて逃げ去ってしまったし、三度「知らない」と言ってしまったのです。しかし今彼らは、もはや自分の持っている力や確信によってではなく、ただ主イエス・キリストのみ名によって生かされ、支えられ、導かれています。そのとき、彼らはまことに驚くべき力を発揮して歩むことができるようになったのです。生まれつき足の不自由だった人を癒すこともできたのです。そして今、ユダヤ人の権威ある指導者たちの妨害のただ中で、冷静に状況を見つめ、巧みな弁舌を振るい、そしてはっきりと主イエス・キリストの証しをすることができるのです。
 彼らによって癒された人が現に目の前にいるので、議会の人々もどうすることもできません。ただ、彼らが有罪としてピラトに引き渡し十字架につけたイエスの名がこれ以上広まって民衆に影響を与えることを防ぐために、今後二度とこの名によって語ってはならないと二人を脅しました。しかし彼らはその脅しに対してもはっきりと、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と断言したのです。このような大胆な力強い証し、伝道が、生まれたばかりの教会によってなされていきました。その秘密は、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」というあの確信にこそあります。それは、今見てきたように、自分の信念に凝り固まって他のものを一切認めようとしない依怙地な精神ではなく、そのような自分の信念に依り頼むことからも解放されて、自分のために十字架にかかって死んで下さり、復活して新しい命に生き、恵みの勝利にあずからせて下さる主イエス・キリストをのみ見つめ、主イエスとの交わりに生きることなのです。そこには、人間の信念に依り頼む者の陥るヒステリックな、依怙地な、他を攻撃していくような歩みではなく、妨害の中でも大胆に信仰の証しをなし、しかし周囲の状況を余裕をもって、ユーモアをもって見つめることができる、そして他を攻撃するのではなく、忍耐をもって苦しみを受け止めていく、そういう伝道の歩みが与えられていくのです。それは8節にあるように、「聖霊に満たされて」の歩みです。ペンテコステに教会を誕生させた聖霊は、私たちをそのように導き、伝道させて下さるのです。その聖霊のお働きを祈り求めつつ、大胆に、力強く、主イエス・キリストのみ名によってのみ与えられる救いに生き、そのみ名を宣べ伝えたいのです。

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